こんにちは、urarie(うらりえ)です。
今日は、
2:6:2の法則について、下2の存在は実は貴重ではないのか?という話をしたいと思います。
▼ 目次 ▼
- 1.262の法則とは
- 2.下2の存在はある場面において実は大切ではないだろうか
- 3.上2の人から見た下2は異なる才能者の集団だ
- 4.下2の存在価値について主人と討論した日の話
- 5.結論:革新が必要とされる昨今は、下2の存在は実は貴重かもしれない
1.262の法則とは
2:6:2の法則ってご存知でしょうか?
私は社会に出てすぐにこの法則と出会った。
人材系企業で働いていた時だ。
簡単に説明すると、どんな集団も必ず
この3つに分類される、という法則。
この法則は、よく「働きアリの法則」とも呼ばれている。
働きアリの例の方が分かりやすいので、引用文を添付する。
- 働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
- 働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
- よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
- よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
- よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
- サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
<引用:wikipedia「働きアリの法則」>
これが、人間社会のどんな集団にも同様に起こるというのが、262の法則の考え方。
私が人材系企業で働いていた時には、262の法則に基づき、
「組織内のハイパフォーマーの傾向を探る事」
「上位2割のハイパーフォーマーに近い素養を持った人材を採用する事」
などを、企業コンサルの一環として提唱していた。
そう教えられた。
262の法則の理屈には共感していたが、「下位2割の集団への冷遇感」についてやや引っかかりが実はあった。
2.下2の存在はある場面において実は大切ではないだろうか
はたして、2:6:2の下位2割は、価値の無い存在なのだろうか?
仕事の成果が他8割に比べて低い、という事実から見ると、資本主義的な概念の中では存在価値が確かに低いのかもしれない。
実際、人材企業で勤めていた際も、上位2割のハイパフォーマーに注力する人材戦略は成果をあげる事が多かった。
私の感じた「下位2割の集団への冷遇感」への違和感は、気のせいだったのだろうか・・・。
そんな違和感を抱いた事も、人材業界から離れた事で記憶から薄れていっていた。
しかし最近、ようやくその違和感の正体を言葉に出来た気がする。
それは、
“「これまでと同じなら」上位2割が活躍するだろう”
という前提文があればスッキリと納得できる、ということ。
「これまでと同じなら」には様々は意味が包括されている。
- これまでと同じやり方なら。
- これまでと同じベクトルで進むなら。
- これまでと同じ評価基準なら。
つまり、
「新しいことするなら」下位2割って意外と大切なんじゃないの?という話だ。
3.上2の人から見た下2は異なる才能者の集団だ
2:6:2の法則における、それぞれの集団は、似た属性の人々が集まる集団だと言えるだろう。
性格、特性、価値観、しいては得意な事など、細かい部分は当然人それぞれで違いはあるが、大枠の人間性は似ている。
ある程度似ているからこそ、同様のパフォーマンス結果が出せる、という事実に落ち着くのだろう。
「類は友を呼ぶ」ではないが、何だったらこの集団属性に引っ張られて、よりその平均値に寄って行ってしまう人もいる。
例えば、休日にゴロゴロしていた人が、集団属性に引っ張られてジムに通い始めたり、朝活をし出したり。
そうすると、どんどん上位2割と下位2割の差が濃くなる。
仕事が出来る・出来ないという「業務遂行能力の差」という意味ではなくて、
「もっと本質的な才能の差」が顕著になってくると思う。
例えば、
上2の特性が「リーダーシップがある」集団ならば、
下2の特性は「無駄な対立を避ける能力」が高まっている可能性がある。
上2の特性が「感情的な問題にも冷静・公平に対応できる」集団ならば、
下2の特性は「他人の些細な感情の機微を掴むのが上手い」集団の可能性がある。
上2と下2の関係性は、お互いが「異なる才能者の集団」なのではなかろうか。
今は新型コロナウイルスの流行により、企業も個人も急激な変化が余儀なくされている。働き方もライフスタイルも大きな革新が必要になってきた。
飲食店が、移動販売型カーを導入してランチ営業を強化したり。
インターネットと接点が希薄だった業界が、通販に乗り出してきたり。
個人の生活だってそうだ。
そんな大きな革新が必要な時には、これまで「異質」だったものに自然と目を向ける。
「これまでと同じ」ではいけないからだ。
業務遂行能力は上位2割のハイパフォーマーが高いのは事実なのだが、「これまでにない新しいジャンルや考え方とアイデアを掛け合わせたい」という時には、下位2割の「異なる才能の集団者」にも目を向けてみるのはどうだろうか。
そういった点で私が最近体験した事についての具体例を続いて話す。
4.下2の存在価値について主人と討論した日の話
ある日主人と仕事の話をしていた。
「仕事が出来る人・出来ない人」の話だった。
主人とは職場が違う為、彼が上位2か中位6かは分からない。
とにかく彼の主張では職場の下位2割の人と一緒に仕事をすると、全て指示をしないといけないから大変だ、というのだ。
上位2の人と仕事をする際は、1を言って10を理解してくれる人も多く、やり易いらしい。
特に彼は、仕事を効率よく進める為のシステム化に興味がある。
「どうやったらもっと楽になるだろうか?」
「このやり方に無駄な点はないか?」
と自発的に考えられる人を、上位2割と捉えているらしい。
要は、彼の職場では(あくまで彼目線だが)『指示待ちタイプ』が下位2割に認定される様だ。
気持ちは分からなくはないが、私は反論した。
というのも、私も比較的主人と同じ思考を持っていて、つい最近自分の仕事を1つシステム化したところなのだが。
その時に、彼の言う下2割『指示待ちタイプ』である後輩の才能に救われた事がある。
(自分が2:6:2のどこに属しているかは分からないが、そこは棚に上げて話をとりあえず進めていく。)
システム化した業務は、元々は私の業務範囲ではなかった。
偶然私がその業務に携わる機会があったのだが、とにかくやり辛かった。
何でこんな古いやり方のままずっと誰も何も疑問に思わず、同じ型で粛々と何年も受け継いで来たのか?甚だ疑問だった。
聞くと、どうやら全員「面倒くさい作業」という認識はあった様だ。
満場一致なのであれば、と改革に向かう事にしたのだが、どう考えても本業とは全く関係ない「お絵描きソフト」的な物があると解決しそうな匂いがした。
本業は、デザイン業界ではないので、そうお絵描きソフトに詳しい人は近くにいない。
だけど『指示待ちタイプ』で仕事には決して積極的ではない後輩の中に、趣味で絵を描いているメンバーがいた。
仕事に熱は発揮せず淡々とやるべきことを終わらせて、趣味で人生を謳歌するタイプのメンバーだ。
私は彼女の趣味の事を知っていたので、「イラストを描くソフトで、こんな事やあんな事は出来るのか?」と聞いてみたら「出来ますよ!こんなのも出来ます」と色々教えて貰った。
大した事ではないかもしれない。
結局実際に動いていたのは私だけなのかもしれない。
だけど、少なくとも私は、彼女の隠れた才能のお陰で、解決までのロードマップが具体的に見えた、と思っている。
(余談だが、結果的にはこの改革は無事完結した。社内を色々駆けずり回り、デザインソフトの「Illustrator」を自分のPCに導入して貰い、販促デザインをしている他部署の全然知らない社員を捕まえて色々教えて貰いながら、無事構想通りにシステム化が出来た。)
下2割は『仕事が出来ない』と切り捨てるのも別に悪ではない。
そういう人材戦略もある。
ただ、下2割を『異なる才能の集団者』として見るという選択肢もあってはいいのではないか、という話だ。
5.結論:革新が必要とされる昨今は、下2の存在は実は貴重かもしれない
働き方改革がますます注目される中、企業側のこういった風潮も出て来ている。
- 『フリーアドレス(自分の好きな席で働くワークスタイル)』で固定されたコミュニケーションの柔軟化を狙う
- 『副業解禁』で社内にはないノウハウや知識の獲得を狙う
多くの企業人は新しい風を敏感にキャッチ出来る様アンテナを張り巡らせている。
でも実は意外とすぐ傍に、イノベーション(革新)の種が隠れているかもしれない。
こんなご時世だからこそ、固定概念に縛られずに、身近な人間の個性や才能に目を向けるのも、一つの選択肢として私は提案したい。
革新とは、異質のモノの掛け合わせだから。
*urarie/うらりえ*