こんにちは、urarie(うらりえ)です。
「新しいことに挑戦することが怖い」
これは至って正常な感覚であり、順調に事が進んでいる証拠だとお伝えしたくて、このブログを書いている。
このブログを書いている今の私だが、
絶賛新しいことに挑戦中であり、
「怖さのど真ん中」に立っている。
新しいことに挑戦しようと思っているあなたに。
だけど怖くて動けないあなたに。
怖さのど真ん中からお届けするこの記事が届けば嬉しいな、と思う。
▼ 目次 ▼
- 1.正直、今まさに怖さでちょっと吐きそうだ
- 2.挑戦することが怖い、という感覚は順調な証拠。
- 3.ビビりな私が新たなことに挑戦してみた話
- 4.未知の世界とはあの時のワンオクのライブの様だ
- 4. 無知ほど怖いものはない
- 5.1を知り10を判断するのは愚か
- 6.こんな不完全な形でもブログを続けていきたいと思っている
1.正直、今まさに怖さでちょっと吐きそうだ
見出しの通り、吐きそうだ。
体調が悪い…というのもあるが、
どっちかというと
精神的げろげろ、の方だ。
実は最近、交換日記プロジェクト-buddy log- を試験的に始めた。
知らない誰かと交換日記をしようと思い、そのお相手を現在募集中だ。
(※大変ありがたい事に、4枠募集のうち、残り1枠という状態だ。有難くて、世の中捨てたもんじゃないと希望を持てた。)
↓ ちなみに、経緯は過去のブログを参照下さい。
これはまさに、何も持たない私にとっての「大きな挑戦」なのだ。
この企画を開始する為に、
無い頭を絞り続けてきた疲れと、
慣れない形の発信をしてきた緊張と不安。
そして、恐怖。
そういうあれ達が、少しの興奮と、子供から貰った風邪菌と入り混じりながら、今全身を駆け巡っている。
そもそも日記の延長でひっそりとブログを始めたんじゃなかったっけ?
何でこんなことになってんだ・・・??
いや、for you とfor meの間を真剣に探したらこうなったのだ。
我ながらまた変なことしているなぁと思う。
だけど私は、
自分の目で見たこと
自分の肌で感じたこと
実際に体感したこと
「自分」というフィルターをちゃんと通って濾した情報、経験こそ宝と思っているし、
そういうものを信じて生きていきたい。
だから、まぁいいのだ。きっと。これで。
とにかく今、吐きそうだ。
げろげろ。
2.挑戦することが怖い、という感覚は順調な証拠。
げろげろしつつも、あなたに伝えたいことをきちんと記しておきたいと思う。
そもそも、「挑戦することが怖い」という感覚は至って正常な感覚だよ、とまず伝えたい。
そもそも挑戦とは、
- いつもの日常
- 見知った顔
- 迷うことなどない場所
そういう安心・安全なコンフォートゾーンから抜け出すことを指すのではないだろうか。
「怖い」という感情をもつということは、自分のコンフォートゾーン(快適な空間)から出ようとしている証拠なのではいだろうか。
稀に、挑戦をゲームの様に楽しめて、「怖い」という感覚も無く、ずんずんと進んでいく強者もいる。
だけど彼らも何かしらのリスクは少なからず負いながら、自らのコンフォートゾーンを抜け出そうと一歩踏み出している。
それを「怖い」と思うか、思わないか、の違いだけで。
「挑戦することが怖い」
こう感じることは至って正常な感覚であり、むしろ自分のコンフォートゾーンを脱しようとしている人だからこそ感じる感覚。
順調に事が進んでいる証拠だと胸を張ってほしい。
3.ビビりな私が新たなことに挑戦してみた話
ブログだけ細々と更新している内は平和だった。
日記を書いているのと大して変わらない感じだったからだ。
平和だったが、変化は無かった。
いや、変化がないから平和だったのかもしれない。
何かが変わり始めたのはtwitterをやり始めたからだろうか。
私は過去に何度もブログでも書いているが、SNSやインターネットへの苦手意識が強い。
「twitterでアカウントを作る」という、普通の人からしたら何てこともない行動が、私にとってはまさにコンフォートゾーンから抜け出す行為そのものであった。
「怖い」という感情を抱きながら、twitterをやってみた結果、
あの青い鳥かごの中に、壮大な世界があることを知った。
「世の中色んな人がいますねぇ」
これは昔から自分がよく言っている(様な気がする)言葉だが、そんな言葉じゃ包めない程、おびただしい数の人種がこの世界には存在するのだと痛感した。
その人混みの中に自らを放り込んだ結果、色んな岩に打ち付けられながら「今の自分」というこの場所に気が付いたら漂流していた。
そして、交換日記プロジェクトという新たな挑戦を進めようとしている。
「何でそうなんねん」
もう何回も、自分で自分に突っ込み倒した。
でもそうなったのよ。
今まで、勇気を出して人生のサイコロを振って来たことが何度かある。
でも、所詮1~6しか目が出ないと分かっているサイコロを振ることは、本当の挑戦じゃなかったのかもしれない、と思えてきた。
ビビりな私が、本当の挑戦をしたみた結果。
ボロボロの難破船が、未開の地へ辿り着いた。
気分はまるで、瀕死のコロンブス。
4.未知の世界とはあの時のワンオクのライブの様だ
ネット音痴な私が、ブログ、twitter、交換日記プロジェクトを始めてみて感じた感覚は、昔ONE OK ROCKのライブに連れて行って貰った時のそれに似ている。
ワンオクのライブに初めて行ったのは、もう10年程前の話になると思う。
当時付き合っていた彼氏がワンオクが大好きだった。
その影響で私もワンオクにハマっていた。
ZEPP OSAKAという小さな会場で開催されるライブに連れていってくれたのだが、1階スタンディングでの参戦だった。
ロックバンドのスタンディングライブについて完全無知だった私にとって、これがとんでもない悲劇の始まりだった。
その時の学びが、
- 無知ほど怖いものはない。
- 1を知り10を判断するのは愚か。
というもの。
これは、今後また新たな挑戦をする時に、ポケットに忍ばせておきたい大事な教訓。
4. 無知ほど怖いものはない
ワンオクのライブが始まった途端に
「あ、死ぬ。」
本気でそう思った。
ダイブ
サークル
ウォール・オブ・デス
ロックのロの字も知らず、まさに裸に槍一本でアマゾンへ突入した私。
ゴリゴリのロック狂から、ゴリゴリロックな洗礼を見事に受けたのだ。
ちなみに、前述した呪文みたいなカタカナ用語は、ロックライブやフェス会場では日常茶飯事。観客の盛り上がり方の一種だ。
いや、てかもう最後のやつ、deathって言ってるから。
あかんやつよ。素人が混じっちゃ。
さすがにtwitterでdeathな洗礼は無かったけれど、それでもやっぱり無知は怖いな、と思った。
5.1を知り10を判断するのは愚か
だけどまぁ不思議なもので、明らかに場違いな、この居心地の悪いハコの中にも、何となくマナーというものがあることをうっすらと感じ取れ出した。
実は、ライブ中に何人か、意識を失って観客が倒れた。
すると、血も涙もない(と思っていた)ロック狂たちが、ササっと見事な連携プレーで、荒れ狂うアマゾンの中に道を作り、要救護者をいとも簡単に会場の外へと運び出したのだ。
他にも、よーく周りを見ると、様々な観客がいた。
端っこの方でおとなしくライブを楽しんでいる女子たち。
ダイブをしたそうな客をそっと上に押し上げ、手伝っている人。
(これは「リフト」と呼ぶらしい。)
ここは、無法地帯ではなかった。
実は暗黙のマナーがいくつも存在した上で成り立つ空間だったのだ。
「そうか、狂気を感じたこの空気感も、この世界の楽しみ方の1つなだけなんだな」
それがやっと理解出来た時、何となく周りの観客達に自分の命を委ねることが出来た。
新しい世界について、1を知ったくらいで10を判断するのは、とても愚かだと思った。
6.こんな不完全な形でもブログを続けていきたいと思っている
これはブログにも言えることだ。
私はブログという存在の何たるかを全然分かっていなかった。
そして、今も分かっていないだろう。
不完全過ぎる状態。
お前もっと勉強しろよ、とか、クオリティ低すぎだろ、とかそんな野次を無視できるほど、私のハートは強くはない。
だけど、私はこんな不完全な形でも、無理をせずに粛々とやっていこうと思う。
そもそもこのブログは、私の奮闘記なのだ。
そういう、上機嫌ではない瞬間こそ、記さねばならないのではないか。
ポケットの中に忍ばせた、挑戦のお供の3行目に、
- やはり、継続は力なり。
この一文をいつか書き足して、あなたにも渡せたらと思う。
*urarie/うらりえ*