- 1.SNSがやっぱり苦手
- 2.現実世界で満たされていない事実に気付く
- 3.色々と不安になった
- 4.じゃあやめればよくない?
- 5.疲れた時ってどうしてたっけ?
- 6.インターネットと現実の境界線について
- 7.ツイッター君に言いたいこと
1.SNSがやっぱり苦手
SNSに苦手意識が消え去らないのは何でなんだろう。楽しい部分も沢山知ってるのに。
mixi、Facebook時代はリアルな友人知人のみがフォロワー。
仲良しな人達とそれなりに楽しくやってた。けど、一緒に遊ぶ程でもない顔見知りな距離感の人にも、自分の日常や友人とのやり取りを公開することに疑問が出て来て疎遠に。
Instagram時代はリアルな友人知人を徹底排除した趣味アカウントだった。
こちらは、妊娠・出産を機にそもそも趣味の時間を確保することができなくなり終了。
どれも微妙な結末を迎えつつも、何だかんだと言いながらこれまでもそれなりにSNSを嗜んでいる自分に気付いて「嫌いではないんだろうな」と改めて認識。
でも嫌いじゃないといっても、苦手意識はある訳で。
そんなSNSに不向きな私がなぜ今twitterを続けられているんだろう?
その矛盾を整理してみたら、気付きたくなかったことに気付いてしまって猛烈に落ち込み、そしてSNSに救われたという話が今回の記事である。
2.現実世界で満たされていない事実に気付く
現実世界で満たされない何かをtwitterで補って貰ってるんだろうな、と気付いてしまった。これは自覚したくなかった事実。
明らかに今の私は満たされていない。
コロナ×育児中 ということで、異常な閉塞感の中なんとか毎日を生きている。この2つの事象が重なったことは致命傷でもあり、ある意味人生の転機ともなっている。
昔SNSに入り込めなかったのは、何だかんだリアルな世界にそこそこの満足感がきっとあったんだと思う。
自分が楽しんでいる姿をネット上でアピールする必要性も当時は分からなかったし、逆にネガティブなことを公に吐露することにも共感出来なかった。
でも今なら分かる。
物理的に不自由になり、それにより心が満たされなくなっている私を満たしてくれる万能な世界になっていた。
私が話をしていい場でもあり
誰かとワイワイ戯れられる学校みたいでもあり
色んなお話を聞ける講演場でもあり
ちょこっと立ち寄れる図書館みたいでもあり
思考のメモ帳でもある
今の私を密かに支えてくれる場所と化しているけれど、これでいいんだろうか…とふと心配になる瞬間も実はかなり多い。
前回の記事から引き続き「スマホ脳」って本をまだ読んでいるんだけど、SNSってやっぱり怖い。
薄々勘付いてはいたけど、人間の行動心理学を完全に押さえた設計になってる。SNS漬けになる様に設計されている。
脳がデジタルにハッキングされている。
3.色々と不安になった
いつの間にかtwitterばかり見て一喜一憂している自分がいた。
はいはい、これが「ツイ廃」ってやつね(笑)。
小さな繋がりではあるけれど、twitter上で人の縁が出来てきたことが理由として大きいんだろうな。
だけど凄く不思議だった。
私はtwitter上ではとてもよく分からない人間だと思う(笑)。迷いながらスタートしているからまぁそれは仕方ないのかもしれないけれど。
そんなよく分からないキャラクターでも絡んでくれる人がいるというのが、凄く不思議だった。
何かさ、対面で話していれば少なからず分かるよね。目の前の人が自分に好意的か、義務的か、とか。
極論、他人の心の内なんて分からないんだけど、表情とか態度とか空気感で多少なりとも心の機微が拾える。
でもSNSにはそれがない。何を考えてるのか読みづらい。
だからかなのかな、ネット上で繋がっている人がいたとしても「甘えてはダメだ」って頭の中の自分が強く言ってくる。「現実世界の友人とは違うんだから」と。
そうやって抑止するのにもエネルギーを遣ってしまってる。甘え下手で、適当さが不足がちな自分がここで裏目に出る。
インターネット上で息をし続けていく自信は元々かなり低い。それがさらに失われそうだ。
孤高の戦士の時の方がよっぽどハートは強かった気がする(笑)。
ブログの方針にやや迷っているから、というのもかなり影響していそうだ。
私はtwitterではブロガーと名乗らない様にしている。twitter上にいるブロガーさんとはちょっと何かが違う気がしてならないから。
自分のことを何と名乗ろうと自由なんだけどさ、そうしてしまうと疑念の波にさらわれそうな気がするんだよね。
だからブロガーさん達とはまだ積極的に絡む気持ちが整っていない。徐々にね、そういう繋がりも欲しいところではあるんだけど。明らかに今じゃないな。
あまり深く考えずサクッとやっていくのも大事。
けど、持論を獲得出来ていないものに対して、自分の気持ちをごまかしたまま進めたり、1%でも迷いや疑問がある癖に納得している風に振舞ってしまうと、あとあと絶対に響いてくる、私の性格上。自分が一番それはよく分かっている。
ちょっと良くないなぁ。
自分に自信が無くなってしまうとチャレンジングな事は出来なくなるし、純粋な気持ちでブログを楽しめなくなっちゃう。
4.じゃあやめればよくない?
心がざわつくくらいならtwitterやブログを辞めればいい。ストレス因子を排除すればいいだけ。
当然それも考えた。
だけどそれは何か嫌なんだよね。
リアルな現実世界で自分の心の「カラメル部分(以下、過去記事参照)」を100見せきれる自信はないけど、ブログを通してなら何故か出来る。
自分で自分の頭と心を整える手法であり
新しいことにチャレンジ出来る世界であり
カラメル部分が露呈した状態の私が誰かと繋がれる場でもある。
今の私にとってのサードプレイス的な存在なんだよね。
昔の自分には必要なかったのに、環境や条件が変われば選択肢は変わってくるもので。
だけど、この空間で息がしづらくなった時はどうやったら踏ん張れるんだろう。
5.疲れた時ってどうしてたっけ?
最近、実は私は人好きのウェット人間だったと判明した。
その癖、現実世界での人との交流をかなり疎かにしてしまっていることにも気付いた。
自覚していなかったんだけど、育児で自由時間が激減している中で一人時間を欲しすぎていたことも明らかに影響している。
ピンチな時は遠慮し過ぎず人に頼る。
大人になってからそう出来る様になってきた。
だけど、今回のことに関しては相談できそうな相手が一人も思い浮かばなかった。というのも、こうやってネット世界で生きていることはリアルの友人知人には伏せておきたいと思っているから、相談したくなかった。
それこそこういう感情をtwitterで吐き出すのも一つの手なんだろうけど、何か根本解決になってないというか、それじゃない感。
おやおや?
ではこれからこういう感情に陥ってしまった時は、どうやって対処していくべきなんだ?
6.インターネットと現実の境界線について
今回のことは、結論から言うと、ネット上で仲良くさせて貰っている人たちに今の悩みを吐露させて貰った。自分でもよくこんなことが出来たものだと思ったんだけど。
SNSが苦手な私からすると、ネット上の繋がりは希薄なものでしかないと思っていた。でもそうじゃなければいいな、と思う気持ちもどこかにあった。
正直ネットで繋がる人にこんな深層心理を話すことはとても怖かったし、適切ではない判断だったかもしれない。
それなのに心の内を開きたいと思ったのは、
この人たちが現実世界に、今自分の隣にもしいたとしたら、私はどう接するかな?
そういう風に考えたから。
ネット上の人といってもちゃんと実在する人間でしょ?顔が見えないだけで。
私は自分と関わる人たちには、出来ることならば自分という人間性を深く理解してほしいと願っているし、反対に、相手の人間性も誤解曲解なく理解したいと思っている。
当たり障りない付き合いをすれば当たり障りない人脈が形成できるけど、そういう人間関係は正直もう別にいらないなって思ってる。そういう人脈形成に時間と労力を充てられるほど、自分の人生に余白もない。
自分の心の内を見せることで「何だこいつ、めんどくさ」と不快に感じる人もきっといる。寂しいけれど、そういう人はきっと私から離れていくだろうし、受け止めてくれている人がいればそういう人を大事にしたい。
限られた時間をそういう人だけに遣いたい。
そう、ほんと余白ないのよ(笑)、悲しいことに。
これからもう少しこの場所にいたいと思うのであれば、「ネットだから」「現実だから」という線をきっちり引かなくてもいいんじゃないかと思った。
とは言っても、現実世界と一緒で甘え過ぎちゃダメだし、バランスは大事だけど。
今はこんな風に考えているけど、これから色んな失敗も経験するだろうなぁ。勿論その都度考え方や接し方は修正していくつもりだけど、後悔が残る様なことはしたくないなぁ。
7.ツイッター君に言いたいこと
もしツイッター君が現実世界に存在して、自分の目の前に現れたらどうするだろうなぁ。
とりあえずまずは説教したいな(笑)
君は人の気持ちを揺さぶり過ぎです
疲れている人がいるの分かってんでしょ?ねぇ?
揺さぶるだけ揺さぶっといてフォローしないのはアカンところよ
ほんと反省しな
まぁノーダメージなのは分かってる。
くそぉ、ツイッター君め・・・。
でも最後にやっぱ感謝は伝えるよね。
君のそういうところはどうーーも好きになれないけれど
個人的にツイッター君に救われている部分も凄いある
ありがとう・・・って調子に乗るんじゃないよ!(小さな抵抗)
ツイッター君、もし現実世界にいたら、、、魅力的ではあるけど、絶対距離取るわ(笑)。
*urarie/うらりえ*
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」