玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

1日100PVいきそうになってビビっています

 

1.前回の記事が1日で72PVとなり、嬉しさよりも先に「?」がきた

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前回の記事をアップした日に、1日72PVまでいってビビッています。

 

urarie.hatenablog.com

 

いや、私のブログというものはですね、細々とやっている路地裏の小汚い居酒屋みたいなもので、1日に72回も入口のベルが鳴ることなんてないんですよ…。

 

「?」すぎて色々調べてみたら「1日100PV」というのが初心者ブロガーの最初の壁ということを知りました。ほえぇ…。

 

今はtwitterとか他のプラットホームとの連携を積極的にしていないのですが、どうやって皆さんここに辿り着いて下さっているんだろうか・・・。

 一人の方が何回も見に来て下さっているんでしょうか・・・。

 

摩訶不思議なのですが、、、えっと、嬉しいもんですね。

 

ただただ自分が書きたいことをツラツラと書いている状態なのですが、誰かが見て下さっているというのは、うん、素直に嬉しい。

 

だけど同時に、こんな書きたいこと書いてるだけで大丈夫か…?もうちょっとちゃんとしなきゃ。みたいな気持ちが芽生えてしまって、ここ最近は少し書く内容を考えてしまったり、手が止まったりしてしまう日々でした。

 

 

2.「書きたい」が先なのか、「伝えたい」が先なのか

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ニワトリと卵の話みたいなんだけど、そもそも「書く」が目的な人と、「伝えたい」が目的な人がいるよなって思うんだよね。

 

私は今のところ前者寄りなんだけど、後者を少し意識し出している状態。

 

基本的にこのブログは、自分の人生の記録、思考の整理、みたいな位置づけでして(色々試してみた上での今のポジションは)。

 

だから「書く」が目的なんだよね。

 

でも時々「この人に私の考えや気持ちを適切な言葉で届けたいな」って思う場面があって、そういう時に「書く」は手段になるんだな。上手に使いこなしたいな、って思い始めた。

 

「書く」が手段となり「伝えたい」が前に来たときに、初めてこういうPV数とか、誰が見てくれてるかとか、何をどう表現するかとか、そういうマーケティング的な視点が自然と芽生えるのかー、なるほどなるほどー、と体感しております。

 

そういうこともあって、ゆるりとでも「書く」についてちゃんと勉強したいという気持ちが芽生えてまして、そういう本を読んでみた。インスピレーションで選んだ3冊。

 

読書感想文というやつはものすごく苦手なんだけど、せっかくなのでその書籍のことについて記録しておきたいと思う。

 

 

3.編集者、ライター、エッセイスト。三者三様の「書く」

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インスピレーションで選んだ本たちだけど、結果的には三者三様な声を聞けたな、という印象。

 

学びたいという目線で選んでいるので、勉強になった点をピックアップしながら簡単にまとめてみる。

 

1.編集者の「書く」

まずお一人目は、竹村俊助さんという編集者の方の「書く」について。

 


書くのがしんどい

 

さすが、著者やライターに「赤入れ」する立場のお方。

竹村さんの「書く」は、徹底的な読者目線という印象。

 

実用書って感じで、めちゃめちゃ分かりやすかった。

 

そもそもタイトルだけなく、目次がもう何ていうか、読者目線だな~って感じだった。

特にこの辺。

 

CHAPTER1 書く事がなくてしんどい

CHAPTER2 伝わらなくてしんどい

CHAPTER3 読まれなくてしんどい

CHAPTER4 つまらなくてしんどい

CHAPTER5 続かなくてしんどい 

 

ブログでも小説でも何でも、「書く」に携わっている方なら、こういう「しんどい」を少なからず経験したことあるんじゃないかなぁ?

 

「じゃぁ具体的にどうするのか?」という実践的なテクニックもとてもわかりやすーく書かれているから、ありがたい。

 

総じて竹村さんの場合は「伝えたい何か」が先にあって(ハッキリさせて)、その手段として「書く」がある。

 

 

2.ライターの「書く」

お二人目は、一田憲子さんというフリーライターの方の「書く」について。

 


暮らしを変える書く力

 

「書く」に対するスタンスがいちばん今の私に近いような気がして、分かる分かるー!と思いながら読み進めた。

 

あくまで一田さんの「書く」の起点は「自分の心が動いた瞬間」という印象。

 

特に共感出来たのはこの辺り。

 

文章を書くということは、目の前にある「事実」と、自分の内側にある「興味の種」をリンクさせながら分析することなのだと思います。

 

「これはどういうことだったんだろう?」と事実をひとつずつ取り出して、さらに自分の引き出しを開け、中にあるものと比較し、理解していく…。

 

それは気の遠くなるほど大変な作業だけれど、「ああ、なるほど!」と何かと何かがカチリと結びつき、「わかった」瞬間の快感といったら!

 

以前書いたこちらの記事の冒頭でも、なんか似たようなことを言ってました(笑)。

 

urarie.hatenablog.com

 

ちなみに一田さんのブログ「外の音(ね)、内の香(か)」の紹介文の冒頭にこういう一文がある。

 

私の夢は、

おばあさんになっても、誰かに会って「へ~っ」と感動し、

その刺激を、自分の家に持ち帰ったら、

自分の暮らしがちょっと変わる…。

そんなささいなプロセスを、自分の文章で綴っていくことです。

 

ライターとして色んな方に取材をされ、多種多様な価値観と触れていらっしゃるからこそのコメントだなーと納得。

 

わたしはライターじゃないし、書くことはただの趣味みたいなところがあるけど、これは何か分かる気もする。

 

「事実」を伝えるだけでなく、ご自分の体感された「発見」や「感動」っていう生の感覚を大事にされている部分がとても良いなぁと思った。

 

自分の感じたこの生感覚を、それを読んだ人も「じぶんごと」として疑似体験できるような文章に昇華させる技術について書かれており、うわーやっぱこの辺がプロの技術だな~と読んでてとても勉強になった。

 

 

3.エッセイストの「書く」

これに関しては「書く」について論じられている本ではないんだけど。

 読んでいて、もうなんていうか著者の気持ちが滲みまくっていて、色々「書く」について考えさせられたのでリストインさせちゃう(笑)

 

エッセイというものに興味を持ち始めたのは割と最近だから、自分の中に情報がめちゃめちゃ少ない状態ではあるんだけど。

 

今、ジャケ買いしたこちらのエッセイを読んでいる最中。結構おもしろいなーと思っている。韓国で25万部売れてベストセラーになった本。

 


あやうく一生懸命生きるところだった

 

前述したライターや編集者の「書く」は、どちらかというと「文章という成果物として魅力がある」っていう感じが強い気がする。

 

一方、エッセイストの「書く」は「著者自身の魅力」が前面に出てる感じ。

 

ん~、うまく説明できないのが歯がゆいなぁ・・・(苦笑)

 

よくある魅力的な文章の概念ってあるじゃないですか?

「結論が最初にある」とか「シンプルで短い文章」とか。

 

なんかそういう黄金律が多少乱れても、その不調和すらも人間らしくて魅力みたいな、なんか、そういう感じぃぃ・・・(語彙力、消失)。

 

エッセイは好き嫌いが分かれるジャンルだと思うけど、私はこういう人間くさい感じは結構好きだったりする。

 

あまりにも「じぶんごと」を「じぶん語り」で書くのはいかがなものか?とよく思ったりするんだけど、そういう生々しさ?非スマートさ?も楽しむ人もきっと一定数いる。私みたいに。

 

 

 

4.まとめ:タグをちゃんと考えようかな

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えっと、色んな「書く」に触れて考えてみた結果、『タグを整理しよう』という答えに行き着きました(笑)。

 

なんか完全なる勘だけど、書く技術についてあれやこれやと考えるのは、私の場合もっと先な気がするんだよねー…。

 

あらゆることに言えるんだけど、「表面上整っているだけのもの」というものには私はそこまで魅力を感じないんですよね。中身が詰まっていない美しいものというのは、「美しい」けど「惹かれない」。

 

逆に、見かけが多少いびつでも中に熱とかオモシロサとか個性がギュウギュウに詰まっている方が、個人的には凄く魅力を感じるんだよね。

 

(もちろん一番いいのは、外見も中身も充実していることだけど。)

 

これを「書く」に置き換えた時に、今この小手先の技術に囚われすぎてしまうと、ただでさえ面白くないのに(しょぼん…)、もっとつまらないモノになってしまいそうで、何か違う気がするー。もちろん意識はしていかないといけないんだけど。

 

 

他者目線を意識するのであれば技術も大事だけど、「この文章は何なのか?」をラベリングして分かりやすくするというのも、アプローチは違えど読み手への配慮かな、と思った。

 

「これは自分メモ。これは〇〇さん宛て。これは世の中に言いたいことだぜ!(←そんなんあるっけ?笑)」みたいな。

 

現状わたしは「書きたい」と「伝えたい」が8:2…くらいの状態、かな?

現時点でのこのブログは、パブリックな表舞台というよりかは、プライベートなバックヤード色が濃い。

 

そういう思考のバックヤードを好んで見てくれる人と、煩わしく思う人と、色んな読者の方がいらっしゃると思うので、タグで少しでも分かりやすく出来たらいいのかな??などと思いました。

 

そしたら「今回は違いそうだな、やめておこう」と無駄な時間を過ごさなくてもいいし(貴重な時間を奪うのは申し訳ないしね)。逆に「それの方が見たい」と思う人(い、いるのかなぁ…笑??)にとっても判断しやすいかなぁ、なんて。

 

#思考メモ?

#思考の記録?

#あたまの中?

 

・・・ぐぇぇ、センスない(苦笑)。

 

あんまり「わたし語」にし過ぎたら検索問題もあるしなぁ。むむむ。

 

とりあえず暫定で『#思考メモ』とかにしてみようかな。微妙だったらまた変えればいいだけだし。

 

ん~、やっぱり第三者を意識すると途端にむずかしくなる気がするけど・・・ゆっくりとやっていこっと。

 

・・・迷ったら『#思考メモ』をつけて、好きなことを書ーく!笑

 

 

 

*うらりえ*