玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

続ける覚悟とやめる勇気。ときどき立ち止まってちゃんと考えたい。

 

1.続ける覚悟と、やめる勇気

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最初に提言しておくけれど、どっちが良くてどっちが悪いって話をしたいんじゃない。続ける方が難しい場合と、やめることの方が勇気がいる場合と、ほんとケースバイケースだと思う。

 

その中でも「さすがにちょっとそれ、よく考えた方がよくない??」って思うのが、

  • 続ける覚悟なく なんとなく続けている場合
  • やめる勇気を持たずしてなんとなくやめている場合

に対して。

 

これって考えることを放棄しているというか、流れに身を任せる方が楽だから流れているだけだよなーって思う。

 

そういう自然の流れに身をまかす方が大事な時ももちろんある。でもそれは一時的な回避でありまして。流れに身をまかせ「続けた」結果、後悔してる人をよく見るんだよね、私は。

 

この辺には賛否両論あると思うんですが、大事な場面では「続ける覚悟」なり「やめる勇気」なり自分で考えて決断しながら、自分が乗ってる船くらい自分で舵取りしたいねって話がしたいんですよ。

 

ここからちょっと自分の話になるけど。

 

ちなみにわたしは元々は「続ける覚悟」が足りない方の人間なんだよね。逆説的にいうと「やめること」は自然的に出来る。継続力が残念な反面、行動力はあるもんだから、「やめること」にめちゃめちゃパワーとか勇気がいる場合でも、必然的に必要で、出来る、って感じ。

 

これは良さでもあるけど、短所でもある事も理解している。だから「続けられること」への憧れが強かったんだよね。

 

そんな「続ける覚悟」が足りない私だけど、今の仕事をはじめて7年半が過ぎようとしてる。これは自分史的には地味に凄いことだなーと。その道のプロから見れば7年半だなんてまだまだ浅い歴史でヒヨッコなんだけど・・・。

 

あとこのブログをつづけて4年半が過ぎた。まぁこっちは途中休憩したりはしてるけど。

 

仕事もブログもどっちにも共通して言えるのは「続ける覚悟」を持ってやってるのはある。続ける覚悟がもともと足りない人間だからってのが根底にあるけど。

 

「続ける覚悟をもつべきなのか」それとも「やめる勇気を出すべきなのか」、どちらを選択すべきか岐路に立たされることはこれから先も何度もあると思う。その時に覚えておきたいことを、「続ける覚悟が足りない私へ」という意味で記録しておく。

 

 

2.続けた人にしか見えない景色はあった

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続けた人だけ手に入れられる副賞チケットもあるとかないとか。

 

「続けた人にしか見えない景色がある」ってよく見かける文章だけど、ほんとにそうだわ。

 

「続ける」とひとくちに言っても、続け方って千差万別だよね。マラソンでいうと、スタート地点はみんな一緒だけど、途中で森林コースと海辺コースに分かれててどっちに進んでも過程が違うだけでゴールに辿り着くみたいな。

 

さらに、最初はその2つのコースの選択肢しかなかったのに、走り続けていくと、続けてきた人にしか見えない新たな選択肢が少しずつ増えてくるなーって感じてる。例えば「マラソンで海辺コース」の先に、「潜水艦で海底探索コース」とか「遊覧船で航海コース」とかが広がってる感じ。

 

「いや、そんな便利な乗り物あるんやったら最初から出しとけよ!」みたいなクレームがマラソン協会に来そうなもんだけど、これは走り続けて来た人にしかそもそも見えない乗り物なんです、みたいな。

 

わたしの場合、仕事を7年半続けた先に見えて来た新しい選択肢がこれ。「教育」と「改革」。どちらもわたしの興味の先にある選択肢。

 

振り返ってみて、たしかにどっちもある程度その道を続けてきた人にしか出来ないものではあるのか・・・と思う。

 

「教育」はまぁイメージ通りだけど、「改革」についても強くそう思う。一見、新参者の方が出来そうな気がするけど、そうじゃない。改革っていうのは ものすごぉーく地道。小さな実績と小さな信頼をすこーしずつ重ねて重ねて…重ね続けた先でしか大きなことは出来ない。(これについては思うことあり過ぎて長くなるからまた別記事に書く。)

 

  • ひとつのことを続けること。
  • 「やりたいこと」をやり続けること。
  • 「小さな信頼(成果)」を重ね続けること。

 

そうやって地道に「続ける」ことではじめて見える景色があるんだなぁと実感してる。それがわたしの場合は偶然「教育」と「改革」というコースの出現だったけど、きっと他にも道はたくさんある。さらに続けていくことで、じわじわともっと興味の純度が高くなっていくんだろうな。

 

 

3.「続ける」と「やめる」は表裏一体

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ぼくらニコイチなんだよね。

 

「続ける覚悟をくくること」と「やめる勇気をもつこと」は表裏一体だと思う。

 

例えば今こうしてブログを書いている訳だけど、絶賛ワーママなわたしに正直自由時間は限りなく少ない。人生で今一番 笑えるくらいに自由時間がない(笑)。それでも、細くてもながーーくブログを続けたいがために、やめていることがたくさんある。

 

正直ここ最近は仕事もプライベートの方も忙しくて、ついに今日はしびれを切らして「睡眠」をやめることでこの時間を捻出してます。これはワーママが一番やってはいけないと心得ている方法です・・・(苦笑)。

 

マンガ読んだり、ゲームしたり、YouTube見漁ったり、友人と交流したり、家事したり・・・ぼ~っとしてたら私のミジンコみたいな自由時間なんて瞬殺でぜんぶ消える。だから、続けるためにやめていることがたっくさんある。

 

仕事だってそう。続けるためにやめたことが思い返せば色々ある。

 

でもこれは何もワーママだけの話じゃない。みんな人生それぞれに忙しいし、時間も有限。続けるためにはやめる勇気も伴うからこそ、ときどき立ち止まってちゃんと考えたい。

 

 

4.「忙しい」は最高の暇つぶし

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暇つぶしは英語で「killing time」っていうんだって。

 

「“忙しい” っていう字は “心を亡くす”と書く」みたいな話をよく聞くけど、一番問題なのってそれよりも「思考を亡くすことだと思うわ。っていうのもここ最近のわたしは思考を亡くしてた気がするから。

 

見出しにも書いたけど、「忙しい」っていうのは最高の暇つぶしだと思うんですよ。だって何も考えなくてもやることめっちゃあるし、気付いたら1日終わってるもんね。のくせに、何か体感的には「は~今日も一日めっちゃ頑張ったわ~」みたいな謎の達成感があるじゃん。ほんと『最高の暇つぶし』ですよ(いい意味じゃなくて皮肉の方の「最高」ね)。

 

こうやって思考を亡くしている(止まっている)ときこそ、冒頭に述べたこの残念な状態になりがち。

  • 続ける覚悟なく なんとなく続けている場合
  • やめる勇気を持たずしてなんとなくやめている場合

 

それに、忙しい忙しいって言ってるときの自分ってめっちゃ嫌いなんだよねぇ。じゃぁ忙しくならないように考えろよ、何とかしろよ、って思う「改革・改善を司る手厳しい奴」が自分の中にひとりいる。こいつの活躍のおかげで、仕事では「改革」を担当させてもらえるという新たな景色が見れたんだけど、、、皮肉なもんで自らに対しても手厳しくなるという・・・(笑涙)。

 

「忙しい」っていうのは、最高の暇つぶしでもあり、最高の言い訳でもあるのかも。(いや、実際忙しいことは事実だから言い訳じゃないんだけど・・・ニュアンスのはなしね、ニュアンス。笑)

 

そんなこんなで結局「忙しい」という恥ずかしい言葉をここで発している訳だけど、悲しいことに来年には “さらに“ 忙しくなることが確定している。時短勤務が終わるからね。

 

いやー、正直今でも手詰まり感ハンパないんだけど、どうやってやりたいことも続けつつ生き抜いていこうか・・・(笑汗)。やってみないと分からない部分は大きいけど、ここら辺で一度ちゃんと立ち止まって「続ける覚悟」か「やめる勇気」か、色々なことに対して答えを出していかないといけないですね。

 

一旦、今日はここまで。

 

 

\この話はつづきまーす/

   *うらりえ*