玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

続けるかやめるか考えたら、やりたいことの輪郭が浮き彫りになってきた

 

1.なりたい像があるようです

f:id:urarie:20211015063513j:plain

なりたい像…?

 

前回の記事のつづき。今の自分の仕事を続ける覚悟をもつべきか、やめる勇気を出すべきか、じっくり考えてみた。今回はいつも以上にものすごぉーーく自分のはなし。

 

#思考メモ

#これは自分の話を気兼ねなく書きたいときにつけるタグなのだ、そう決めたのだ

#最近まじめな話しかしてなくない?

 

urarie.hatenablog.com

 

結論、「人育て」の成功体験をもう少し積むまでは今の仕事を続けようと思う。

 

わたしは今、時短勤務をさせてもらっている正社員ワーママ(working mother)なんだけど、来年この時短勤務制度は終了する予定。時短勤務中の今ですら結構キツイと思う場面が多々あって、暗にこの先どうしようかとモヤついていた。けど一旦方向性を定めました、自分の中で。それがさっきのアレ。

 

  • 何のために自ら選んでワーママしてるんだっけ?
  • なんで子供が苦手なくせに子供を産む決意を固めたんだっけ?
  • この先何がしたいかなー?

 

とか、色々整理しつつ考えてみた。そしたら、すべての道の根っこの方で繋がってる想いがあるなぁと気付きまして。

 

わたしは自分のそばにいる後輩や子供たちに色んな選択肢を提示できる大人でいたい、などと思っているようです。んー、今の自分の器量を自分が1番わかっているからこそ、なかなか大層な目標をお持ちだこと、って感じですが‪‪(笑)

 

たとえば娘に「大きくなったらママみたいになりたい!」とか言われたい、とかじゃない。いや、もし実際そんなん言われたらすんごいうれしいかわいいうれしいーーって絶対なるけど(笑)。なるけど、そうじゃなくて。

 

「なんでそう思うの?」ってとこをちゃんと聞いてあげたいし、本人が自分でも気付けていない本音の部分を引き出してあげたい。それなら別に私を目指さなくてもこういう道もあるんじゃない?って、色んな選択肢を見せてあげたい。大人のエゴを押し付けるのは絶対やだなぁ。

 

数ある選択肢の中から何を選ぶかはその子次第だし、頑張るのも頑張らないのもその子次第。自由にしたらいいと思う。

 

ただ、これだけは悲しいなと思うのは

「そんな選択肢があるとは知らなかった

「やりたかったのに出来なかった

ってことなんじゃないかな、と思うのよ。

 

わたし一人で提示できる選択肢なんて限られているけれど、別にわたしが森羅万象の神を目指すわけじゃないからな。わたしが知らないことは一緒に調べたり探せばいいだけだし、知っている人に聞けばいいだけだし、何かしら手はあると思う。

 

大事にしたいのは、そういう芽に気付いてあげること。その子の本音を引き出してあげること。そういうことが出来る大人でいたいんですよねぇ。

 

これは我が子に対してだけでなく、自分の半径5m圏内の年下に対しては。自分の器が大きくなっていけば5m以上先にも目をやりたいけど、今はそこまで考えられるほど残念ながら人間は出来ていない。まずは目と、手が届く範囲で。

 

 

 

2.オーダーメイド製の人育てがしたいですね

f:id:urarie:20211015081058j:plain

着ている服は既製品ばっかですけどね

なんで今、人育てに強い興味を惹かれているんだろう?って自分の経験を棚卸ししてみたんだけど、別に今に始まったことじゃなかった。ずーっと前から興味津々だったわ。

 

だけど昔は人を育てられるような器もなければ技術も無くて、何度も悔しい思いをしてきたなー。

 

「わたしはあの子にどうしてあげるのが正解だったんだろう」

「あー、また救ってあげられなかったなぁ」

 

そういう風に落ち込んだ失敗体験は、10代20代の頃に山ほどやってきた。後輩に対して。生徒に対して(むかし家庭教師してたんですよ)。クライアントに対して。友人に対して。

 

でもやっとね、30過ぎて、人として少しまぁーるくなり出して、で今の職場で人育ての成功体験を少し積み出して来たあたりから、ようやくちょっと端っこの方が分かって来たんだよね。あー、そもそもわたしは「他者への理解」というやつがあまりにも浅かったなぁって。

 

「人を育てる」っていうのは「人を理解する」ってことなのかなって思う。

たとえそれが自分と価値観が180度ちがう人間であっても。

 

自分の知っていること、出来ることを、答えをただ伝えるだけじゃダメなんだよね。相手の中から引き出した「アレ」とか「ソレ」とかを、こちらが伝えたい「コレ」と、こう混ぜ合わせてだなぁ。こう、2人で作っていくといいますかねぇ。(消え去った語彙力)

 

その為には、その子が好きなもの、嫌いなもの、やりたいこと、やりたくないこと、得意なこと、苦手なこと、ってかどんな人生歩んできたんよ?とか、そういうのを時間をかけて理解していくことが大前提だわって。

 

教育法とか育成法みたいなのは色々あると思うしどれからも学ぶことはたくさんあるんだけど、わたしは型に押し込むレディメイド(既製品)方式ではなくて、ひとりひとりの個性にあわせたオーダーメイド方式で人を育てたい。難しいし、手間も時間もかかるし、一度に見れる人数は限られるし、量産もできないけど、それがいい。

 

んで、それを実現するためには「自分とまったく価値観の違う年下を理解できるかどうか」っていうのが今後も課題になっていくんでしょうね。

 

 

3.エゴと思いやりは紙一重

f:id:urarie:20211015082246j:plain

オシャレとダサい、天才と変人…。世の中紙一重なこといっぱい。

どこかのタイミングでコーチン』の勉強をしたいなと考えてる。仮に、今後仕事で「教育」に携わる場面が減った(なくなった)としても、子育てで役に立つ考え方を獲得することが出来る気がする。

 

コーチングとは、対象者の自主性を促し、能力や可能性を最大限に引き出しながら、目標達成に向けてモチベーションを高めるコミュニケーション手法。

「業務改善ノート TMG」より引用)

 

コーチングは別に新しい技術じゃない。私が知っている限りでも10年以上前からある。

 

私がコーチングという技術を知ったきっかけは人材業界で働いていた23歳のとき。当時のチームリーダー(30歳女性)がコーチングを勉強していた。第一印象は「ふーん」って感じ(笑)。別に、人材業界にいる人間が育成法とかコミュニケーション法について勉強する志向はなんら不思議じゃないし、とくに驚きはなかった。

 

でも今思えばこのリーダーはわたし(たち)のことを心底理解しようとしてくれてたんだなぁって思う。

 

勉強熱心で、仕事も出来て、あとすごくよく笑うリーダーだった。めっちゃ背が小さいのに頼もしくて、リーダーのくせにいつも始業時間ギリギリに汗かきながら走って出社してくる人。

 

わたしが何か変わったこととか尖ったこと言っても「それがうらりえだもんねー!笑」って爆笑してて、「なるほど、そういう過去があるから今のあんたがそうなってるんだね」といつも勝手に “なるほど” してらしたな。

 

そんなリーダーがわたしは大好きだったんだけど、どうしても嫌なところが1つあった。会社を辞めると決めたときリーダーに物凄く引き止められたんだけど、なかなか折り合いがつかなったからつい言ってしまったんだよね。

 

「〇〇さん(←リーダーの名前)みたいになりたくないんです」って。

 

いま思い返してもなかなかエグイ言い方よ・・・若かったとはいえ・・・。きっとリーダーを傷付いただろうな、あんなに大事にしてくれたのに。

 

ちなみに何が嫌だったかっていうと、リーダーはわたしたち部下にめちゃめちゃ寄り添ってくれるんだけど、めっちゃ時間遣うのよ。わたしが自分で答えを出せるまで、何時間でも、夜22時を越えてオフィスに誰もいなくなっても付き合ってくれる。それが23歳のわたしには物凄くプレッシャーだった。

 

リーダーは子供はいなかったけど結婚はしていた。仕事が好きなんだろうなっていうのは分かっていた。わたしは仕事も大事だけど、プライベートも死ぬほど大事だし、結婚したら家庭も大事にしたいんですけど、って思ってて。こんな風に時間を遣ってもらえることは幸せなんだけど、自分はこんな上司になりたくない、って強く思ってたんだよね。(また言ってもた)

 

ちなみに、当時のリーダーは今のわたしから見たらついに年下になっちゃったんだけど、やっぱり当時の指導法に関して今思い返しても「?」と個人的に思うことがあったのは事実。

 

そんな時ちょうど今の会社の通信教育のパンフレットを見てたら「コーチング」の講座がありまして。ちょっとテキストの試し読みが出来たから見てみたのよ。そしたら「やっぱそうやんなぁ(笑)」って思うことがあった。

 

発達レベルが低い(意欲はあるが能力が低い)メンバーに対しては、発問*1する前に「教える」ことが必要です。

 

教える前に発問してもメンバーはどう考えたらよいのか、知識が乏しいために分からなくなってしまうので、発問の効果は期待できないでしょう。

 

リーダー的には「発問でわたしから引き出すフェーズ」と判断したけど、当時のわたし的にはまだまだ「答えとやり方を教えてほしいフェーズ」だったんだな。

 

「相手を理解したい」という気持ちは素晴らしい姿勢だと思うんだけど、もしも相手が望んでいないタイミングなら、その行為が途端に自分のエゴに成り下がるよなって気付きがあったのもこのとき。

 

エゴと思いやりは紙一重。見極めるのはむずかしいよね。

 

それでもコーチングの勉強は近い内にするだろうな、と思う。そもそも興味があるし、仕事や育児において何かのヒントになる可能性も高いし。それに「コーチング技術で育てられた人間がコーチングを学ぶ」って過去の答えあわせも出来そうな気もするし、おもしろそう。

 

 

 

4.「ウィキペディア先輩」

f:id:urarie:20211015083322j:plain

「Hey、センパイ。今日の天気は?」

リーダーへの感謝と反抗心を胸にこれまで身近な年下と接してきた私だけど、最近嬉しかったことを記録しておく。これぞ私の思う理想の距離感ってやつ。

 

昨日、会社の後輩ちゃん(25歳女子)からこう言われた。

 

「わたし、うらりえさんのことウィキペディアやと思ってるんですけど」

 

なにそれ笑?と笑いながら聞き流したけど、本人的には褒め言葉らしい。「めっちゃ良い方の意味ですよ!!笑」と仰っていました。(信じていいんだな、後輩ちゃんよ…)

 

言われてみれば私にもウィキペディア先輩(上司)がいる。(めっちゃ良い方の意味です、はい)

 

わたしにとってのウィキペディア先輩とは

  • 何でも教えてくれる、何でも知ってる
  • 困ったらとりあえずこの人に聞けば何か分かる
  • 質問しやすい空気
  • 必要以上に向こうから来ない安心感
  • 説教くさくない

 

後輩ちゃんのイメージと、私のこの印象が一致している訳ではないと思うけど、そもそもリアルウィキペディアってこんな距離感じゃない?

私が理想としてるコミュニケーションの距離感ってたしかにこんな感じかもなぁ、と後輩ちゃんのひとことで気付かされた。

 

わたしもどっちかっていうと基本ほっといてほしい派なんだよね。過干渉な距離というのはそこそこ嫌悪感がありまして。監視されてる気分というか、信頼されてない感というか、居心地は悪いし、斜に構えてしまう。それは優しさでもあるというのは充分に理解しているし、強引に干渉しにいく方がいい時があるのも分かってるんだけど。

 

だからこそコーチングの基本スタンスには賛成なんだよね。相手の芯の部分を引き出して寄り添うってさ、相手を尊重してるというか。拡大解釈にはなるけど、たとえ年下だろうと相手に敬意を持って接するスタンスって感じじゃん。年下といえど、相手の方が経験豊富なことだってたくさんあるし、あちらがベストな案を持っていることもあるしね。

 

そういう距離感の人でいたいなぁって思っている自分としては「ウィキペディア先輩」って呼ばれるのは、第一段階としてこれは喜んでいいんじゃないか?と思う。

 

だけどそれだけじゃちょーっと違うんだろうなぁ。

 

これからも求められない限りはアドバイスを積極的にするつもりもあまりない。アドバイスして欲しい時ってのは、人はそういう意思表示をするものだと思うから。

 

けど、放任しているようで実はちゃんと見守っていて変化には気付くとか、ここぞという時にだけは求められていなくても引っ張ってあげる必要もあると思ってる。

 

ほんの一滴の面倒見のよさみたいなやつは必要だろうなぁ。3滴も4滴もたらすときっと鬱陶しいだけだから、ちょっとでいい。

 

とりあえずは、自分が困ったときや助けて欲しいときだけでも適当にわたしをウィキ(利用)してくれるのは自分的には光栄なことなので、この調子でおけまるってことでよろしいか。

 

 

 

5.まとめ

f:id:urarie:20211015123114j:plain

いい?まとめっていうのは簡潔に、よ

今日は見事に自分のはなしばっかりだったなー(笑)。でもいい感じに自分の人生の分岐点の記録ができたのでヨシとしよう。

 

結論、人育ての成功体験をもう少し積むまでは仕事は続ける。そのために、今以上に取捨選択してやめる勇気を…もつ(気弱)

 

今の仕事は基本的にプラスが多いけど、マイナスも当然ある訳ですよ。

 

判断のポイントは、

  • プラス面に焦点をあてて、続ける覚悟をくくるのか
  • マイナス面に焦点をあてて、やめる勇気をもつのか

ってとこ。

 

しんどい時っていうのはマイナス面にばかり目がいきがちだけど、実は失ってから気付くプラス面というのもある。

 

逆に、好調だなーってときはプラス面にばかり目がいきがちだけど、実は闇でマイナス面に大事なものが奪われているときもある。

 

ま、どっちにせよ、なんにせよ、時々ちゃんと立ち止まって冷静に考えましょう、って話でした。

 

 

\時短おわるのこわい~笑/

   *うらりえ*

*1:メンバーが潜在的に持っている多様な考えを引き出していくために行う問いかけ