1.Facebookが社名を「メタ」に変更したそうです
10月28日、Facebookが社名を「Meta(メタ)」に変更しましたね。
このニュースを知った最初の感想は
「ん・・・!?メタだと・・・!?」
と妙に刺さりました。
というのも、ちょーーど今わたしの中で「メタ」という単語が熱いんですよ。
以前の記事で「コーチング」に興味がある旨を書いたんだけど、その流れで「メタ認知」という概念と出会ったんですよね。
メタとは「高次の〜」とか「卓越した〜」って意味。つまりメタ認知っていうのは『自分が認知していること(記憶、思考、感情、知識とか)を、高次の視点から認知する』という直訳になる。
もうちょっと平たくいうと『自分を客観視出来て、さらにコントロール出来る能力』ってこと。
教育関係や人材育成、経営などの業界で重要な能力の一つとして注目されるようになってるみたいなんだけど、人生快適にいきたい身としても個人的にはこの力は大事だなーと思ってる。
まぁそんなこんなで、今わたしの中では「メタ(認知)」がホットな訳なので、今日はメタなおはなしをしたいと思う。
あ、ちなみにちょっと話は逸れるけど。
見出しのFacebookの話だけ回収しておく。
Facebookの方の「メタ」の由来は、仮想空間である「Metaverse(メタバース)」事業に本気で取り組んでいく姿勢の表れらしいよ。
メタバースってのは「超(meta)」と「宇宙(universe)」を組み合わせた造語なんだって。元々は、SF作家のニール・スティーヴンスンさんって人が、1992年に発表した作品『スノウ・クラッシュ』に登場する、架空の仮想空間サービスに付けられた名前だったらしい。(※参考サイト「IT media NEWS」より)
Facebookの方の「メタ」は、もっと高次元的なハイテク臭の強い「メタ」っぽいね。
まぁわたしにとっては、はてなブログも、Facebookも、Instagramも、twitterも、広い意味では充分メタバースだけど。
わたしがインターネットという仮想空間でしっかり息するようになった背景には、「コロナ」と「育児」という現実世界の閉塞感がきっかけとしてある。まだコロナとのお付き合いは完全には切れないし、その中で毎日に窮屈さを感じる人もさらに増えていくだろうな…。
もっとハイテクに、もっとフレキシブルに、思い思いのアバターで「もう一つの現実」を生きていけるようになれば、そんな世界はこれからの時代では重宝されそうな気がするよ。
別にそういうものに強い期待をしている訳ではないけど「メタ繋がり」ってことで妙にFacebook社、否、Meta社の肩を持っている感じになってしまった。メタ友~。
2.ブロガーって、ある意味メタい
メタ友?・Meta社の話はほどほどにして、私の中のホットな「メタ」の話をしていこうと思う。
見出しにもある通り、わたしは前から強く思っていることがあるんですよ。それが何かっていうと、ブロガーってブログやってない頃の自分と比べたら、メタ認知能力が高まっていると思うんだよね。
ブログ、とひと言で言っても色んなジャンルのブログがある。でもどんなブロガーでも、自分の日常、思考、知識、記憶、そういうあらゆるものを俯瞰的に見ながら文章に落とし込んでる、という点においては共通してる。
めっちゃメタ認知してるじゃーん。しかも日常的に。
※実際はさ、メタ認知的能力を使って「不得意分野への対処法などを把握する」ことまでできてはじめてメタ認知能力を高めることができてる、というらしいけど…。ま、そういう難しいことは一旦横においとこ。
わたしは、はてなブログを始める前の15年間くらいは、オシャレでもなんでもないただの大学ノートに、わわわ〜っとアレやらコレやらを書き殴ってた。そういうことをずっとやってたから体感的にも感じてるんだけど、シンプルに「書く」ってメタれるよなーって。自分の中身も、周りのことも、俯瞰的によく整理出来る。
プラットフォームが大学ノートからブログに変わったことで難しさも増えたり、自分の文章の下手さとかそういう残念な面も露呈しちゃったりもしてるけど(しょぼーん)、それって捉え方を変えれば、別角度からメタれてるってことなのかな?そう思うと、これはこれで全然ありなのかも。
それにさ、ブロガーさんなら自分の記事を読み返す人も多いと思うんだよね。単純に昔のアルバムを懐かしむ感覚で読み返す人もいれば、リライトするって目的がある人もいたり、人それぞれだと思うけど。
今提供されている、はてなブログの特別お題の中でもこんな質問があった。
『Q:自分の記事を読み返すことはある?』
わたしは大学ノート時代からそうしていたように、ブログもときどき読み返すんだけど、これもいい感じにメタれるなって思ってる。
「うわーこの時の自分、残念やなぁ。笑」とか
「で、結局何が言いたかったん、これ」とか
「これは黒歴史やなぁ・・・(苦笑)」とか
まぁそういうのが多いんだけど(笑)、稀に良い方のやつもあったりする。読み返すことで頑張ろうって思えたり、ほっこりする時もある。きっとブロガーさんならこんな感覚あり・・・ますよね?
こうやって自分が紡いだ文章を読み返すことも、時間差のメタ認知だと思う。
つまりさ、
世のブロガーさんってみんなメタくて好きだって話です。
…メタ友がほしいです(笑)。
3.自己肯定感という言葉にメスを入れたい
メタな話といえばもう一つ。前から思っていることがあって。
いつからか「自己肯定感」という言葉を世の中で見かけることが急に増えた。どっかの何かのタイミングで流行ったのかなぁ。
自己肯定感って大事だと思う。けどさ、必要以上に煽りすぎてない(笑)?って当時思ってたんだよね。
自己肯定感ってのはさ、自己否定感とセットで持たないといけないと思うんですよ。
そんでもって、
どのタイミングでどっちを発動させるかは「メタ認知」でコントロール出来てこそ意味がある。
自己否定感って書くと、己の存在を全否定する感も含まれてしまいそうで、それはかなりニュアンスが違うんだけど。もっと部分的に、自分を疑うというか、客観視してみるというか。
例えると、自分を「車」という容れ物として捉える感じかなぁ。
- 自己肯定感=アクセル
- 自己否定(懐疑)感=ブレーキ
- メタ認知=運転手
前の記事にも似たようなこと書いた気がするけど、一番だいじなのは「自己肯定感」よりも「バランス」だと思うんですよ。
不調なとき、進めなくなったときは、アクセルを踏めるように自己肯定感を養うための生活、人付き合いを優先した方がいいだろうし、
好調なとき、物事が順調なときは、調子に乗らず、いつでもブレーキを踏めるようにフラットな目で周りと自分を見ておいた方がいい。
わたしの乗ってるクルマは、ブランド物でもなければ高性能でもないし、自動アクセル&ブレーキがついてるわけでもない。さらには今どきレンタカーにも標準で付いてくるナビすらも付いてない。
快適なドライブライフになるか否かは運転手の力量次第みたいなとこある。
ついでに、つい数年前から私のクルマにはお客さまが乗ってらっしゃいまして。助手席にちょーんと2歳が座ってるんですよ。
この小さなお客さまを教習所にお連れして、自分の小さなクルマを運転できるようになるまで見守りながら、「ハタチ」という場所まで無事に送り届けねばいけませぬ。
そうやって彼女を色んな場所に連れて行きつつも、わたしはわたしで行きたい場所に立ち寄りたいし、自分のドライブライフも楽しみたいと思ってる。
1台の普通車で2人分のコースを走って行くのは欲張りかもしれないけど、やれるだけやりたいですねぇ(とおいめ…)。
その為にも、迷いなき運転手としてメタっていきたい所存です、はい。
4.【特別お題】この10年で変わったこと
はてなブログさんが2021年11月7日にサービス開始から10周年を迎えられるそうです。凄い。おめでとうございます(パチパチ!)
10周年を記念して10にまつわるお題が出題されてます。
『Q.10年で変わったこと・変わらなかったこと?』
ここまで書いてきた通り、わたしがこの10年で変わったと思うことは「昔よりは運転手らしくなってきたんじゃないか」という点かな。
正直まだまだ自分を客観視しきれてないけど、10年前のじぶんと比べたら幾分かマシになってると思う。さっきも書いたけど、それは はてなブログさんのお陰でもあるんですよ。初心者でも簡単に執筆しやすいブログというプラットフォームを提供してもらえてるんだもん。ありがたい〜。
これからも他のブロガーさんをひっそりと応援しつつ(メタ友…)、私自身もブログを続けてメタくなっていきたい。
*うらりえ*
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」