玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

子供が苦手な人間がママになれるのか-1

 

前回のブログが2018年6月。すごく久々に書きます。

 

 

 

***

 

元々、赤ちゃんや小さな子供が苦手だった私が、

 

ついに自分の子供を妊娠・出産しました。

 

そんな葛藤ママの記録を残せたら。

 

***

 

 

 

 2018.7  子供苦手アラサー、子を授かる…??

 

 

 

 結婚して約2年が経った頃に妊娠が発覚。

 

 

結婚当初は「子供は出来てもいいし、出来なくてもいいね」くらいの気持ちだった私達。DINKSとして悠々自適に暮らしていくのもいいかなぁと思っていた。

 

でも、29歳、30歳…と、35歳に一歩ずつ近付いていくにつれて、「本当に自分の人生に子供がいなくていいのか??」と考え始めた。

 

 

今は正直、子供がいない人生が楽しい。

お金も時間も全て自分の為に遣えて、何より自由だ。

 

趣味もたくさんある。バドミントンやスノボは毎年。

海外旅行も結婚してから主人の影響で大好きに。

仕事で稼いだお金で好きな服を買ったり、ちょっとリッチなご飯を時々食べに行く

のが幸せ。

 

 

子供が出来たら、そんな日常が無くなって夢になる。

 

それも嫌だったけど、一番問題なのは、私がそもそも赤ちゃんや子供をそんなに好きではない事。これは大問題やろ、と自分でも思っていた。

 

 

 

でも人生まだまだ長い(はず)。

40代、50代、60代になった時でも、子供が居なくて楽しい人生なのだろうか?

 

 

私の持論として、

“本当の幸せは努力の上にある”

と思っている。

 

だからこそ、子供は苦手だけど今この30代は努力する事で、その結果、人生の後半を幸せに生きられるかもしれない。

 

 

 

そういう考えも伝え、主人とも相談し始めた。DINKSでも全然いいなー!と言っていた主人と、妊活をスタートする事について、すぐに意見がまとまった訳ではないですが(ま、この辺りの話はまぁまた追々…)、私達夫婦は妊活をする事に決めた。

 

 

 

2017年、職場に迷惑をかけぬ様、「そろそろ子供が出来てもいいかなと思っています」と上司にだけ、やんわりとした妊活をスタートする旨を報告した。

 

 

けれど、そもそも妊娠・出産に興味も強くなかった為、妊活といっても避妊をやめるぐらいしかしていなかった。というか、避妊をやめればすぐ出来るもんだと思っていた。この時、私30歳。

 

 

妊活に前のめりではないものの、毎月一応「もしかしたら今月の生理は来ないかもしれないぞ??」「今月は妊娠してるかもしれないぞ?」とか考えながら過ごしていた。

「来月は妊婦になっているかもしれないから、これは出来ないかも」とかも一応ぼんやり考えながらスケジュールを入れていた。

 

けれど、避妊をやめただけでは全然妊娠せず、1年以上経過…。今思えば本当に無知だったなと思うけど、そもそも排卵日って何??というレベルだったので、そりゃ妊娠しないわ…。

 

 

 

さすがに1年も出来ないので、ちゃんと妊活した方がいいのかも!?と若干の焦りが出て来て、基礎体温排卵日といった基本知識をようやく習得(おそっ。

 

主人とも妊活アプリを共有し、タイミング法(この名前も後に知る)でしっかりと妊活を改めてスタート。

 

それでもなかなかうまく行かず、最後の頼みの綱として

排卵日予測検査薬』なるものも導入。

 

これがめちゃめちゃ良かったです・・・!

 

アプリ上で排卵予定日となっていても、

実際これを使って陽性となる日は微妙にずれていたんです。

 

 

私が実際に使った『ドゥーテスト』という排卵日予測検査薬は、

森三中の大島さんが当時CMもされていて、

大島さんも無事にご出産された事で信頼できそうだな・・・と思って購入してみたのですが、本当に助けられました・・・。

 

 

 

 

(※主人としては、不妊治療までして子供が欲しい訳ではない、との事。自然に妊娠出来れば子供を持ってもいいなぁと思う、との事だったので、病院には行っていません。)

 

 

そして、2018年7月。やっと妊娠検査薬が陽性に…!

検査薬を使う1週間前くらいから、経験した事のない気持ち悪さやだるさがあり(今思えばつわり)、「今回は本当に妊娠してそう…」と感じたくらいだった。

 

 

 

最初はDINKSでもいーなー♪とお気楽だった私達だが、検査薬が陽性になった時は嬉しがった。

 

けれどまだこの頃は、

「陽性になったって報告したら、本当に主人は喜ぶのだろうか??」

「ほんとに妊娠したんやー…。そっか、お酒とかスノボーとか出来ひんくなるんか…」

など、子供がいない自由な生活を惜しむ気持ちも全然あった。

 

当然、赤ちゃんや子供が苦手である事には変わりないし、100%全力で楽しみだった訳ではない。

 

 

 

「わたし、本当に子供を愛せるだろうか・・・?」

 

 

 

この不安がずっと続くのであった。

 

 

 

 

そして、初めての妊娠は、そう順調に進まなかった。

 

 

 

* つづきます *

相手に響く言葉とは

わー。

 

わーー。

 

久しぶり過ぎて、自分に若干引いてるー。笑

 

 

 

最近は、5年日記ってのを始めまして。

 

日にちごとのページがありまして。

1ページが5段に仕切られてまして。

書き続けていけば、去年の同じ日の自分と、2年前の同じ日の自分と出会える、っていう日記でして。

 

来年、再来年、そのまた次が楽しみです、はい。

 

 

 

****

 

 

この数ヶ月、ブログを更新していない間に

 

私は、今いる会社の中で結構な中堅社員になっていたことに気付いた。

 

 

この4月から5年目になるんだけど

 

気付いたら後輩が何人かいて

色んな質問を受ける立場になっていた

 

中途採用バンバンしてる会社なので

普通に年上の後輩も結構いる

 

 

 

 

だから、という事もあるけど

色んな状況が重なって、

 

「自分と違う人との接し方」

に興味が今凄くある

 

 

以前にもこのブログで書いたけど

 

私は多分、同世代の女性の中では

やや少数派に入るタイプかな?と思っている

 

なんとなく、うん。

 

 

仕事に対する考え方、

何がモチベーションを上げるのか、

どこに価値を置いているのか、

とか。

 

 

 

 

そして、流石にもう31歳で、

社会人経験としては今年で10年目になる訳ですから、

 

種族の違う人がそもそも同じ組織の中にいる事や、

種族の違う人同士が上手くお互い関係し合って毎日業務を進めていく事や、

はたまたそんな上下関係な中、部下や後輩を育てていく事、

 

そういう事がある事とか

違う価値観の人間がお互い尊重し合う大事さとか

ある程度「組織のカラー」で似た種族を集められる事とか

 

 

 

色々、失敗だってした事もあるし、思うところもある。

 

 

 

特に、「人を育てる」という場面では

この辺の事を意識的に操作できる様になった方がいいんだろうな、

 

と強く思うわけです。

 

 

 

 

上司にも

「そういうの皆どうやってるんですか?」

って聞いたんですよ。

 

 

 

 

そしたら、まぁ何となく気付いてたけど、

 

やっぱり相手のタイプに合わせて

相手に響く言葉を使い分けて

アドバイスや指導をしているんだって。

 

 

 

 

自分の過去の話になるけど、

 

私は新卒の時、人材系の会社にいた。

 

 

その時にも、営業先のお客さん(法人企業)に、

人材が会社に定着する為に(=辞めない様に)

というテーマで、よくその話をしていた。

 

 

「組織のカラー」を変えることなく、そこに当てはまる人だけ採用して、合わないなら辞めれば?

という、超ウルトラスーパー上から目線スタンスでは、企業は育たないんですよ

 

 

定期的に新卒生や若い世代を組織に迎えて、きちんと新しい血を計画的に巡らせないと、

企業の長期的な発展はないんですよ!!

 

!!!

って熱弁してましたわ笑

 

 

っていうのも

めちゃめちゃ共感できるから。

 

 

 

 

会社、とか、組織、とかいうからお堅い話に聞こえるけど、

 

もっと身近な世界でいうと、

 

親子の関係とか。

恋人同士とか。

友達同士とか。

 

とにかく、人と人のコミュニケーション全てに通ずる話だと真剣に思う。

 

 

 

絶対的に、自分と全く同じ年齢、価値観、趣味嗜好、ぜーーんぶ一緒の人なんている訳ない。

 

皆が皆、少なからず自分とは何か違う人と関わりながら生きている。

 

(その中でも出来るだけ自分と似た様な人と一緒にいるのが楽だし心地いいから、友達や恋人とかは、きっと何だかんだ似てる人が多いと思うけど)

 

 

 

 

そういう時に大事なのが

「まずは相手を知り理解する」

 

それから

「どんな言葉なら響くのか?」を考察する

 

 

 

どんな時でもこれができれば、めちゃめちゃ円滑なコミュニケーションだらけの毎日になるでしょね。

 

 

 

 

例えば、自分の子供に東大に行かせたいと思ってるとする。

 

東大に入って無事卒業出来れば、社会に出てもきっと困る事は無くて、子供が大変な思いをしなくていいだろう、という親心ですね。

 

 

その時に、どういうのが子供に響くか。

 

 

 

 

「東大行ったら、将来一生楽してお金稼げるよ〜!!」

 

「東大行ったら、きっと頭も良くてかっこいいイケメンいっぱいいるやろうね〜、あぁ楽しそうな学生生活やね〜〜」

 

「東大行ったら、あの有名な博士号持ってる教授がいるから、あなたが興味ある◯◯の分野に、すっごく詳しくなれるだろうね!」

 

「東大行ったら、家からの通学時間短いから楽なんじゃない?」

 

 

 

どれでも、なんでも、いい訳ですよ。

 

結局東大を受験するかどうかは子供本人が決める事だけど、

親の言葉が響けば、子供の考えや動きが変わる可能性ももちろんある。響けば、ね。

 

 

 

それが、対恋人なのか、対部下なのか、そういう違いだけ。

 

 

自分の価値観でだけ話してると、

自分と違う他人を動かす事に、他人に寄り添う事に限界がある。

 

 

相手目線に近い言葉で話せると、相手の中に入って行きやすい。

 

 

 

 

話は戻るけど。

 

会社っていう箱の中にも、勿論色んな人がいる。

 

部下や上司、同僚を選べる訳でもない。

 

でも毎日同じ空間で、「仕事」としてバトンタッチの連続、リレーをしている。

 

 

 

 

 

多分、誰もが通る道だと思うけど、

 

戦略的にそういう部分をスムーズに出来る様になると、人生において結構最強な気がする。

 

 

だから、

ちょっと意識してみるぞ。おー。

 

っていう呟き。

 

 

呟き?

 

にしては長っ。笑

 

 

おーわり。

嫌いな人がいる理由。

 

ブログって、やっぱり根気がいるなぁ…笑。

 

久しぶりに記します。

 

 

 

 

最近はというと

 

自分の中で、少し

「成長欲」

が生まれた様な日々でした。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

いきなりネガティブ発言ですが、

 

職場の隣の席の女性がすっっごく嫌いでした笑

 

 

 

 

年は同じ。

彼女は転職して来たので私が先輩。

同じチームで彼女は事務。

 

 

 

何だろう…

 

 

 

一言で言うと、

ただただ  合わない。笑

 

 

 

悪い人ではないと思う。

仕事も、手は速いらしい(先輩談。

 

 

 

 

 

無愛想な態度。

細かい報連相が少なく独断専行する時がある点。

コミュニケーション能力が低い。

 (もいちど言うが仕事の手は速いらしい。

 

 

 

たぶんこの部分が私のイライラポイントを時々突いてくる原因と思われる。

 

 

 

 

こう書くと、

ふ〜ん…って程度に見えるけど、

 

当事者としては大変でした…。笑

 

嫌い過ぎて、毎日ストレスが。笑

 

 

隣の席やから、

どれだけ関わらない様にしようとしても

彼女の電話の声とか聞こえるからなぁ。苦笑

 

 

 

 

 

あまりにもイライラでしんどくて、

普段そんな愚痴みたいなこと私は言わない方なんだけど、

先輩I(男性・40代)に相談。

 

 

 

 

 

 

先輩の客観的な所感と、

 

少し前に読んでいた「嫌われる勇気」の言葉が

うまく相まって、

 

 

自分の中で

ストンッ

って落ちた。

 

 

 

「どうやったらムカつかないんだ?」

 

「だめだめ、彼女のいいところを探すんだ!」

 

「一層の事、席替えや異動を申し立てるか?」

 

「逆に積極的に話しかけるか?」

 

(最後のはやってみたけど、まぁそもそも合わんから、会話しても全然面白くないという…笑

 

 

 

 

何ヶ月もかけて

何かもう色々悶々と考えたけど、

 

 

そういうんじゃない!

 

ってなった。

 

 

 

 

****

 

 

 

先輩Iの言葉

 

「愛想はよくないな笑。俺もそこは、彼女損してるな、と思うわ。でも多分本人もそれ自分で気付いてると思うで。そういう人。俺からしたらそんなとこも可愛いなぁ〜って感じやわ笑。」

 

(年が離れた異性だとそんなもんなんかな…。

でも確かに自分の欠点って、まぁまぁ自分で分かってたりするよな…

 

 

 

「仮に、誰かが彼女に注意して、明日から彼女が凄い愛想よくなったとしても、それはそれで違うやろ?」

 

(…うん、確かに。

 

 

 

「仕事がもう全然出来ひんとかじゃないから異動とかも現実的にないと思うで。逆にurarie(ブログ主)を出すってのも無理やと思うで。どっちもいなくなったら困る。」

 

(ん!?私は正直いなくなってほしいわ、くらいまでいってる相手やのに、必要としてる人もいるんや…

 

 

 

「仕事はちゃんとやってる人やから、そういう面では実害そんなにないはずやで?彼女に何かを直してもらうというか、urarie(ブログ主)自身がどうかって問題やと思うで。」

 

(え〜……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

多分これって、

また自分に何か問題が起きた時に使える考え方だからログしておこうと思う。

 

 

 

 

「嫌われる勇気」で学んだ

アドラー心理学の考え方。

 

 

 

 

ストレスMAXな毎日を

以下2つの視点で見てみる。

 

 

原因論:(広く普及している多くの宗教や心理学の考え方)

 

自分がイライラしてる原因は何か。

 

➡︎「彼女の態度が悪い(=原因)からだ」

➡︎「私と価値観・性格が違う(=原因)からだ」

 

 

普通の私であれば、こう考える。

 

で、その原因となる要素を排除出来るか?って考える。

 

 

そして、

排除出来る可能性が低いことに気付いて

もちゃぁ〜っ て頭の中でなる。

 

 

 

 

 

②目的論:(アドラー心理学の考え方)

 

私は彼女にイライラすることで、何の目的を果たしたいのか?

 

➡︎「本当は彼女と仲良くなりたいけど出来ない。その出来ない自分を認めたくなくて、怒る事で距離を取る理由にしている」

 

 

 

 

アドラー心理学と根幹とも言える考え方が、

「目的論」

との事。

 

 

たぶん、

私の状況を目的論に基づいて話すと

 前述した感じになるのでは…。

 

 

 

 

 

よく、

「相手の欠点だけを見るのではなく、良い所を探そう」的な事を言うけど、

 

嫌いな人の良い所なんて、正直冷静に探せないよ!?笑

 

 

何回も何回もやりましたが、

…無理です。笑

 

 

 

 

 

別に好きにならなくてもいいと思う。

 

自分も含めて、この世に100点満点の人間なんて1人もいないと思ってるから

合わない人がいて普通だと思う。

 

 

好きにならなくていいけど、

 

自分が何でイライラするのか?とか

どういう風に対応すればイライラしないのか?とか

 

そういう部分を客観的に整理さえ出来ればいい気がする。

 

 

 

 

 

私は、一旦彼女をこう思う事にした。

 

 

「彼女はATM」だと。

 

 

 

細やかな気遣いや

愛嬌なんかを期待せず、

 

欲しい物があれば

営業時間内にピッピってしたら

出てくる。

 

必要な操作だけして、

感情は不要。

 

 

 

 

 

私の対応の問題だけ。

 

 

 

 

****

 

 

 

“嫌いな人がいる”

 

 

 

 

久々にイライラがずっと続くという、

この上手くいかない事にぶち当たり、

 

自分の未熟さにも気付かされた。

 

 

 

人として、

成長したいなぁ、

と思いました。

 

 

とさ。

 

 

 

 

やはし、

安定の語彙力不足問題。

 

「嫌われる勇気」

今、読んでいる本。

 

「嫌われる勇気」。

 

 

 

 

 

 

少し前にベストセラーになってたみたいですね。

 

 

 

 

****

 

 

 

昔から、アルバイト先や職場で

孤独感

を感じる事が多々ある。

 

 

 

私が人見知りってのもあると思うけど、

 

相手もこちらに心を開きにくい存在なんだろうな、と思う。

 

 

 

 

そもそも私の考え方がやや変わってると思うけど、

 

職場は同僚とワイワイする為に行く場ではないと思う。

 

 

1番いいのは、

ワイワイする同僚もいて、

かつ

その全員が仕事で成果を残す事を重視した考え方、価値観、能力を持っているという環境?

 

 

 

 

なんかいつも思うのが、

仕事や上司や会社の愚痴を言う同僚とつるんで何がプラスなんやろか、

 

と思う。

 

 

 

士気が下がるだけやし、

 

そういう人達と仲良くする事で、そこから逸脱しない様に、とかってなると、おそらく仕事の成果もそこまで上がんない気がする。

 

 

 

 

それって、出世願望とかって言われるかもしれないけど、

 

出世したり昇級・昇格する人って

そこを狙ってやってる訳じゃないと思うねんなー。

 

 

 

 

シンプルに

 

いい仕事がしたい。

 

それだけだと思う。

 

 

 

そのスタイルを貫いた結果が

あくまで出世等々の副産物となってるだけやと思うんよな。

 

 

 

 

 

私には、

結構そういう考え方が色濃くあるんだけど、

 

同時に、

 

「今日もう仕事行くんだるいよなぁー」

って言うごく普通の女子も

私の中にいたりする。

 

 

 

 

だからなんて言うか、

孤独を感じる事がよくあるんだと思う。

 

 

 

 

どっちかっていうと、

 

会社の中でも、上役や仕事バリバリのおじさんと話す方が居心地がいい。

 

 

 

同世代の事務の女の子と、

相手の顔色を伺ったりしながら

ランチ友になるのとかって

気疲れしちゃう。

 

1人でランチ行って本読んでる方がましや笑

 

 

 

 

けど決して孤高の狼的なんになりたい訳じゃなくて、

 

普通に仲良い同世代の同僚も欲しい。

 

 

 

 

歩み寄る努力とかが必要なのか?

 

でも、そもそも合わない人に合わせる様なライフスタイルは絶対嫌やな。

 

 

 

 

とか。

 

そんな感じ。

 

たまに 孤独 感じる。

 

 

 

 

 

 

そういうとことは全然別角度から、

 

「嫌われる勇気」の存在を知って読んでるんだけど、

 

 

すごい救われる。

 

 

 

 

なんとなく、そこはブラしたくないわ。

 

って自分の中でも守ってた事が

あながち良かったんかもしれない。

と思わせてくれる。

 

 

 

 

本の感想はまたログに残したい。

 

 

 

とりあえず今回は殴り書き。

 

 

 

 

****

 

誰にでも好まれる人生と。

 

自分の事を嫌っている人がいる人生と。

 

 

 

後者を選ぶ人でこれからもいたいわ。

 

 

語彙力

凄く久々に書きます

 

…記録に残し続けるというのは

なかなか熱量が必要だな、

と感じる日々。

 

 

 

 

****

 

 

 

最近、久しぶりに本屋にぷらっと寄り、

何となくその時の直感で

読んでみたいな、と思った本を買いました。

 

 

20代前半の頃は

本屋でこういう買い方をする事は

日常茶飯事だったんですが、

 

 

大人になってめっきり機会が少なくなった。

 

 

 

…とても悲しい事だと思いました。

 

 

 

それは多分、世の中の様々な事、人に対して

昔ほど興味が無くなってきたんだと思います

 

 

そして、自分の身の回りの問題や疑問を

感覚でこなせる様になった、こなす様になってしまった証拠だと思います

 

 

 

久々に自分の直感のままに選んだ本。

何だかとてもワクワクした。

 

 

 

家に帰ってじっくり読む。

思ったより分厚い。

 

普段なら1冊の本の読破に数日かかるが、

 

何だか不思議な高揚感で

どんどん読み進められた。

 

 

本の内容が興味深かった事もあるけど、

きっと久々にじっくり読書している時間が

楽しかったのもあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間で1冊読みきって

ひどく疲れた

 

 

それはいい疲れで

例えるなら半月程海外旅行に行った時に似てる

 

いっぱい「刺激」というボールが飛んで来て、

疲労感と満足感と達成感と解放感と、

あと何か自分の枠がちょっと広がりそうな気がするワクワク感。

 

 

 

でもこれらの感覚は

普通にしていると、日を追うごとにどんどん薄れていく事も知ってる。

 

 

 

 

今日書きたかったのは、

その感覚を味わう事が重要だよ、という話ではなくて、

 

プロの物書きの方が綴る文章を読み、その表現力を借りる事で、

自分の頭の中、心の中の感覚や経験を

言語化できる様にする事の大切さについて書いておきたかった。

 

 

 

 

 

私も含めて、世の中の人皆、

毎日何かしらを考え、

何かを経験してる。

 

何も考えてなくて、何もしてなくても、それも経験。

 

「あ、自分このままじゃあかんな」とか

ふと思ったりする感覚も大事な感覚だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

そういう自分の思っている気持ちとか経験とか

ニュアンスの違いなく

他人に伝える事が出来る能力

 

それを物書きの人は持っていると思う。

 

 

表現力というか、

もっとシンプルに語彙力の差?

 

 

 

 

 

私自身もそういう世代ど真ん中なんだけど、

 

楽しい事も

辛い事も

驚いた事も

 

全てを「やばい!」で表現してしまったり笑

 

 

 

美しいと思う感覚も

愛らしいと思う感覚も

美味しいという感覚も

 

全てを「可愛い〜♡!」にしちゃったり笑

 

 

 

ま、これは極端な話だけど。

 

 

 

 

 

 

私は、

自分はまるで

使いにくいホイップクリームの絞り器

みたいに感じる。

 

 

 

 

私は語彙力が低い方の人間だ。

 

けど、頭の中で考えている事が沢山ある。

心の中で感じている感情が沢山ある。

 

きっと必要以上に、ある。

 

 

 

 

パンッパンにホイップクリームが詰まっているのに、絞り口の部分でなんかスムーズに出ない。

 

勢いに任せて、ギューーッと絞ると

変な形のクリームになる。

 

綺麗なクリームを絞り出すには

ゆーっくり、そーっと

出さないといけない。

 

絞り出す練習も必要だと思う。

 

 

綺麗なクリームが絞れた事で得られる物は、

自己満足だけでは決してないと思ってる。

 

綺麗なクリームは、

誰かの為、未来の自分の為にも繋がると思う。

 

 

 

 

 

 

プロのパティシエ達と接する事で

絞り出し方を真似出来たりする。

 

 

「そんな口金あるんだ!」

ってなって、

同じ口金に変えて絞ってみる。

(絞り口のところの金具って、口金っていうのであってる?笑

 

 

 

 

 

つまり、

 

自分の考えや想い、経験を

きちんと言語化するためには

プロの物書きさん(表現者)の語彙力を

拝借するのも一つだと思う。

 

 

 

 

 

本人は無意識だとしても、

やっぱり本をたくさん読む人は

著者から得ているものがあるよ。

 

そういう人と話してて

感じるもん。

 

 

 

 

 

 

私は、

友達や大事な人から

何か相談された時、

 

スッキリ解決してほしいから、

解決の糸口になればいいなって思って、

これ伝えたいなぁー

と思う事が結構ある。

 

 

 

 

自分の失敗体験や、考え、

他にも、

あなたは見えていないけど、あなたにはこんな良い所があるよ、そこを使ってあなたらしく解決しようぜ!

 

とか。

 

 

 

 

 

悩みに寄り添うだけでいいのかも。

 

けど、そうして欲しい人は多分、

そもそも私に話してこないと思う。笑

 

 

 

 

 

話、逸れた。

 

 

 

 

つまり、

 

 

前回の西野カナの話とリンクしてるって事かもしれない笑

 

urarie.hatenablog.com

 

 

自分という人間の中身は

アウトプットしないと

何も始まらない。

 

世の中にも貢献できないし、

自分も成長しないし、

大切な人も守れない。

 

 

 

そのツールの一つが

ホイップクリーム

 

 

 

あ、語彙力。

 

だと思ったよ、って話、でした。

 

 

おしまい。

 

世の西野カナ化について。

 

最初に書いておきますが、

 

西野カナさんファン

ごめんなさい。

 

 

****

 

 

西野カナさん

 

ケータイ世代の歌手として

大人気ですよね

 

 

 

キャッチーなメロディーと

若い女性の共感を呼ぶ歌詞

可愛らしい容姿

 

 

 

世に広く受け入れられる歌手なんだろうな、

って思います

 

 

 

 

 

ただ、

 

私は西野カナさんが大ヒットしてしまう世の中って

 

残念やな、って思います。

 

 

 

と、思って

 

得意のネット検索をかけたところ、

 

まぁ見事にマツコデラックス様が

同じ様な意見を主張されてました!

 

 

ので、ここからは

マツコさんのお言葉も時々お借りした文章になってしまってるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

もっかい書きますけど、

 

ほんと西野カナさんファンすみません。

 

 

 

 

西野カナ(すんません、もう敬称も略で)って、

 

めっちゃつまんないアーティストやと思うんよなぁ…。。(何様

 

 

 

でもね、売れてるって事は

需要もあるし、世に求められてるって事やから

それ自体はいいと思うんです。

 

歌もビジネスだから。

 

 

 

 

何がつまんないかというと、、、

 

 

歌詞。

 

 

 

 

あれは、アーティスト、表現者のモノじゃないと思う。(何s…以後略

 

 

 

実況中継の様な事象の説明

 

万人が感じる様な表面的な感情を

ありふれた言葉のみで並べる

 

 

 

 

彼女が表したいシーンが

もう簡単に想像出来て、

 

その登場人物が発する言葉が

誰もが言いそうな言葉。

 

 

 

そして聞き手は、そんな言葉に「共感出来る」と言う。

 

 

 

 

 

今、世の中の人達は何も考えていないのか?

 

「楽しい」

「好き」

「辛い」

「苦しい」

 

その喜怒哀楽の感情だけを

誰かと共有出来れば

それで満足なの?

 

 

 

共感は大事だ。

共感出来る他人が存在する事で、

救われる気分になる。

  

自分が承認された様な気もする。

 

 

 

 

 でも、

共感って成長を生むの?

 

 

感情の共有って

一時的な安堵であって、

新たな気付きも解決もないんじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

特別ファンって訳ではないんだけど、

 

歌詞、いいなぁ

って思ったアーティストさんって沢山いる。

 

 

 

 

 

そういう人達の歌詞には、

 

一部の人には受け入れられなかったとしても、

 

苦しみや悲しみを

私はこうして乗り越えようと思う、乗り越えたんだ!という意思や、

 

 

 

どんな経験から

何を感じ

何を学び

今をどう生きてるのか

というストーリーや、

 

 

 

誰の為に、何を伝えたいのか、

というメッセージが

 

にじんでいる気がする。

 

 

 

 

 

彼女にそれが全くないなんて事はないと思う。

 

 

 

 

ただ、受け入れる側の思考が、

 

浅い様な気がする。

 

 

 

 

 

いや、誰も音楽にそこは求めてないのかな。

 

音のノリと、

歌い手のビジュアルと、

 

そういうパフォーマンス的な部分、なんだろうな…。

 

 

 

 

 

音楽も、書籍も、映画も、

 

自分の考えを表現する作品って物は、

 

だんだんそうやって大衆化されていくのかな。

 

 

 

大衆化?

 

陳腐化?

 

 

うーん…

何というか、

 

自ら切り込んでいっときながら

語彙力が無さすぎて辛い(苦笑

 

 

 

 

 

他人と違っていたとしても、

非難されることを恐れず、

 

自分なりに精一杯

あと一歩、二歩、

考え抜いてみて欲しいな

 

 

 

 

 

 

気持ちの良い言葉で

傷を休めたり、

気持ちを高揚させるだけでなく、

 

 

 

 

自分とは違う誰かの

考えや想いに触れて考察し、

吸収してみたり、反論してみたり。

 

 

 

そうやって

自分の思考や価値観に

厚みや深さをもたらして

唯一無二の個性が輝いてくるんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

最後まで

何様爆発で

 

おわります。

 

 

 

 

オシャレでいる必要はない

とある人の、洋服に対する考え方が好きだ。

面白い。

 

 

 

彼はオシャレに価値を置いていない。

 

とはいえ、ダサい服を堂々と着る程、無頓着な訳ではない。

 

 

 

 

平日の仕事はスーツだから、

私服は3セットもあれば充分、と言う。

 

ミニマリストなのだ。

 

 

 

 

清潔感を基調としたシンプルな上下セット ×3

3セットどれにでも合う靴 ×1〜2

どれにでも合うカバン ×1

 

これで1シーズン過ごす

 

1シーズンで使い倒してしまったら

季節の終わりと共に捨てる。

 

躊躇なくゴミ箱に即捨てる。

 

 

 

 

 

 必要最低限の服しか

クローゼットに入っていない。

 

 

 

服装からの個性は感じない。

無難だし、どちらかというと、無個性。

 

 

 

 

 服装は無個性やけど、、、

 

いや、けどその考え方が、

個性的過ぎるやろ笑笑

って思いました。笑

 

 

 

 

****

 

 

 

私は、20代の頃

衣装持ちだった。

 

 

前職は私服通勤だった事もあり、

 

 

今日はコンサバ

今日はカジュアル

今日は格好よく…と、

 

気分によって服装や髪型を変えていた。

 

 

 

 

ブランド物やそんなに高価な服は

持っていないけど、

 

オシャレだね

 

って言われると嬉しかったし、

オシャレな自分でいたかった。

 

個性的な自分でいたかった。

 

 

 

 

 

 

でも、

 

年齢を重ねるごとに、

 

ファッションで「自分」という人間を主張する事に、何か違和感を感じ始めた。

 

 

 

 

服装とか、そういった見た目の雰囲気で

 

あ、敬遠されてるなぁ

 

と思う事も、実は時々あった。

 

 

それって勿体無いな、と思った。

 

新しい誰かと仲良くなれるチャンスを

減らしてしまってる気がして。

 

 

 

あと、単純に、

色んなテイストの服が好きだと

色んなアイテムを持たないといけなくて

お金もかかるし、

 

自分自身の好みが変わると

ただのゴミになってしまう事が勿体無いし、

 

すっごく無駄な事してると思った。

 

 

 

 

 

それから、

服も髪も無難にまとめる様になった。

 

 

 

 

最初は味気ない気もしたけど、

 

出会う人、仲良くなる人も

少し変わった。

 

不思議なもんで。

 

 

 

 

 

 

だんだん、オシャレする事が

自分にとって、前ほど価値のあることではなくなって来た。

 

 

 

 

私自身も、

他人と接する時、

 

相手の考え方や話す言葉の方が興味があって、

 

 

その人がオシャレかどうかは

関係なかったから。

 

 

 

 

 

 

過去に、

いっぱい服を買って、

いっぱい失敗もしたから、

 

自分に似合わない形や色も分かってきて、

 

流行っていたとしても、

自分に似合わなければ買っても無駄、

と、買わなくなった。

 

 

断捨離も進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

彼ほどのミニマリストでは無いけど、

 

明らかに昔より

 

ミニマム化

シンプル化

 

 

している。

 

 

 

 

 

 

30にもなると、

 

 

オシャレというのは

ただのマナーであり、

 

自己主張のツールや

他者からの承認を得る為の物ではなくなった。

 

 

 

ファッションに取られている

時間、お金、空間、労力   を

 

他の物に充てた方が

 

人生の充実度が違う気がする。

 

 

 

 

 

ファッションを楽しむ生き方も勿論素晴らしい。

 

外見がオシャレなのは

憧れるし、素敵だ。

 

 

 

 

けど、

ファッションをただの生きる道具として定義してみる彼の生き方も

 

私は凄くオススメしたい。

 

 

 

 

 

 

自分という人間を主張する方法や

自分という人間を承認してもらう方法なら、

 

他にも沢山ある。