玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

オシャレでいる必要はない

とある人の、洋服に対する考え方が好きだ。

面白い。

 

 

 

彼はオシャレに価値を置いていない。

 

とはいえ、ダサい服を堂々と着る程、無頓着な訳ではない。

 

 

 

 

平日の仕事はスーツだから、

私服は3セットもあれば充分、と言う。

 

ミニマリストなのだ。

 

 

 

 

清潔感を基調としたシンプルな上下セット ×3

3セットどれにでも合う靴 ×1〜2

どれにでも合うカバン ×1

 

これで1シーズン過ごす

 

1シーズンで使い倒してしまったら

季節の終わりと共に捨てる。

 

躊躇なくゴミ箱に即捨てる。

 

 

 

 

 

 必要最低限の服しか

クローゼットに入っていない。

 

 

 

服装からの個性は感じない。

無難だし、どちらかというと、無個性。

 

 

 

 

 服装は無個性やけど、、、

 

いや、けどその考え方が、

個性的過ぎるやろ笑笑

って思いました。笑

 

 

 

 

****

 

 

 

私は、20代の頃

衣装持ちだった。

 

 

前職は私服通勤だった事もあり、

 

 

今日はコンサバ

今日はカジュアル

今日は格好よく…と、

 

気分によって服装や髪型を変えていた。

 

 

 

 

ブランド物やそんなに高価な服は

持っていないけど、

 

オシャレだね

 

って言われると嬉しかったし、

オシャレな自分でいたかった。

 

個性的な自分でいたかった。

 

 

 

 

 

 

でも、

 

年齢を重ねるごとに、

 

ファッションで「自分」という人間を主張する事に、何か違和感を感じ始めた。

 

 

 

 

服装とか、そういった見た目の雰囲気で

 

あ、敬遠されてるなぁ

 

と思う事も、実は時々あった。

 

 

それって勿体無いな、と思った。

 

新しい誰かと仲良くなれるチャンスを

減らしてしまってる気がして。

 

 

 

あと、単純に、

色んなテイストの服が好きだと

色んなアイテムを持たないといけなくて

お金もかかるし、

 

自分自身の好みが変わると

ただのゴミになってしまう事が勿体無いし、

 

すっごく無駄な事してると思った。

 

 

 

 

 

それから、

服も髪も無難にまとめる様になった。

 

 

 

 

最初は味気ない気もしたけど、

 

出会う人、仲良くなる人も

少し変わった。

 

不思議なもんで。

 

 

 

 

 

 

だんだん、オシャレする事が

自分にとって、前ほど価値のあることではなくなって来た。

 

 

 

 

私自身も、

他人と接する時、

 

相手の考え方や話す言葉の方が興味があって、

 

 

その人がオシャレかどうかは

関係なかったから。

 

 

 

 

 

 

過去に、

いっぱい服を買って、

いっぱい失敗もしたから、

 

自分に似合わない形や色も分かってきて、

 

流行っていたとしても、

自分に似合わなければ買っても無駄、

と、買わなくなった。

 

 

断捨離も進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

彼ほどのミニマリストでは無いけど、

 

明らかに昔より

 

ミニマム化

シンプル化

 

 

している。

 

 

 

 

 

 

30にもなると、

 

 

オシャレというのは

ただのマナーであり、

 

自己主張のツールや

他者からの承認を得る為の物ではなくなった。

 

 

 

ファッションに取られている

時間、お金、空間、労力   を

 

他の物に充てた方が

 

人生の充実度が違う気がする。

 

 

 

 

 

ファッションを楽しむ生き方も勿論素晴らしい。

 

外見がオシャレなのは

憧れるし、素敵だ。

 

 

 

 

けど、

ファッションをただの生きる道具として定義してみる彼の生き方も

 

私は凄くオススメしたい。

 

 

 

 

 

 

自分という人間を主張する方法や

自分という人間を承認してもらう方法なら、

 

他にも沢山ある。