玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

子供にとって「仕事の話が出来る親」でありたい

 

1.子供にとって「仕事の話ができる親」でありたい

「ねぇママ?午前のタスク、公園ピクニックにアサインするメンバーは誰?」「ママとパパよ。パパにリマインドしとくわね(ういんく)」


つい最近、ハッキリと自分の中で気付いたことがある。タイトルにある通り、「子供の仕事の話が聞ける親でありたい」って件。

 

ここ最近、仕事について悩むことが多くてですね。

でも、「仕事を辞める」という選択肢は、どうも簡単に取りたくなくて。

単純に金銭的な面もあるけど、それだけじゃないんだよなぁって、ずっと引っかかってたんです。

 

  • なんで自分はこんなに仕事に固執するんだろ?
  • 「やりたいこと」と「仕事」の関係性に執着する理由は?
  • 仕事大好き人間なのか?(嫌いではないけど、なんかちがう気もする)

 

などと、絶妙なモヤっと感をまとっていたんだけど、つい最近解決したよ。

 

私は「子供が仕事のことに悩んだときに、ちゃんと聞き役になれる大人でいたいんだ」って分かって、言語化できて、めちゃスッキリした。

 

自分の中の「大事なこと」とか「価値基準」とか「軸」を言語化できるとさ、人って迷いがなくなるよね。私はこの感覚が好きで、いつも自分のアタマの中、ココロの中をウロウロと探検してます。

 

そんな宇宙探検(笑)の結果、今回は「掴んだ!」という感覚はあるんだけど、まだちょっと粗い。だいぶ粗い。

粗いけど、今時点でわかっていること、掴んだことはキロクしていこうと思う。

 

「子供の仕事の話が聞ける親でありたい」——この軸が強く私の中にある理由は、きっと、私自身の子供時代の体験からきているっぽいな。

 

2.私が高校生のときに母親に抱いた強烈な違和感

おかあさんって、なんかさ・・・

ちょっと回想入るけど。

 

私の母親は、実は色々苦労していた。

大人になってだんだん分かってきた。

だけど、子供の頃にはそんな様子を一切感じなかった。

それが母親の母親たる素晴らしいところだと、今でも尊敬している。

 

苦労を知る人だからこそ、私には楽をさせたかったんだろうね。

平成時代でいう『勝ち組コース』みたいなのに、乗せようとしてくれていた。学歴とか、将来の選択肢とか。

 

そんでまた私はというと、学校の勉強は得意だったんだよね。

人生をイージーに生き抜く〝賢さ〟はまったく無いのに・・・(涙)

 

大人になってからはさておき、「学生時代」は学校の成績さえよければまぁ充分に安泰なものでして。母親の描く『勝ち組コース』のど真ん中を悠々と突き進んでいた、中学、高校時代だった。

 

だけど、高校卒業が近付いて来て、「進路」その先の「就職」がチラつき始めた時に、私は一気に焦った。「これは母親が決めた将来じゃん」って。「私自身のやりたいことって何かわらかない」って。

 

中途半端に自我が芽生えてしまった女子高生は、進路相談をグシャグシャに積み重ねた結果、こうなったのです。

 

親が敷いてくれたレールから飛び降りた世間知らずの女子高生だった私

(以下の過去記事からの援用文)

 

\参考記事/

▼私の子育ての原点はここかも、と気付いたときの話

urarie.hatenablog.com

 

もちろん、周りの大人たち、そして母親に、全力で止められた。

 

けど、私にはどうしても、母親に対して強烈な違和感があって、聞く耳を持てなかった。

 

「そんなこというけど、お母さん、その道で働いてへんやん」

「自分がやったこともないことを、理想像を、勝手に押し付けんなや」

 

この想いは相当に強かった。

 

3.新卒で入った会社も、親への反骨心の影響が強い

親の言いなりにはならない・・・ZE★

そんなこんなで、大学も、母親の理想とは違うところに行き、就職先なんて理想の真逆みたいな会社に入った私(笑)

 

大学は、建築デザインを専攻。

だけど、挫折。

 

\参考記事/

▼挫折した時の話。

urarie.hatenablog.com

 

建築を仕事にしていいのか?

私がやりたい仕事ってなんだ??

と、迷った挙句、入社したのは、転職支援サービスを展開する人材系企業の法人営業。

 

理由は、

  • 就活でやった『業界研究』の延長を、いろんな企業の内情見ながら出来るから
  • 3年以内に転職できるくらい自分の市場価値を高めたかったから
  • 自分と同じように就職・転職で悩む人の手助けをしたかったから

 

実は『辞める前提』で入社してます。新卒のくせに「この会社を踏み台にしたろう」くらいの気持ちでした。(結果、仕事が厳しすぎて、こっちが踏み倒されたけどww)

 

 

えっと、まとめるとですよ?

 

「大学」も「会社」も、『〝やりたいこと〟を見つけないと』という見えないゴールに縛られ過ぎながら選んでるんだよね。

 

これは、母親が『〝やりたいこと〟を仕事にしている人』だという影響が、かなり大きい。自分も、母親のように当然に〝やりたいこと〟を仕事にするんだー、と思ってた。

 

母親が敷いてくれたレールから飛び降りるとき、母親に散々言われた言葉がある。

 

それが、

「やりたいことが仕事にできる人なんて、ごく一部の人間だけやからね」

 

この言葉に、血気盛んな女子高生は、反骨精神が超ウルトラスーパーむき出しになった、という風に記憶している。

 

そう、世間知らずなJKでした、はい。

 

4.現場好きのスペシャリスト、上流にいっちょ噛み系ゼネラリスト

こう見えて、私たちって全然似てない

まぁ、なんやかんやで、今に至る訳なんですが。

 

結局、何が正解やったんかなー、とか。

あの時どうしてたらよかったんかなー、とか。

とはいえ逆の立場やったら、あんな風に反対はせんやろー、とか。

やりたいことが仕事に出来る人は、確かにごく一部だけかもなー、とか。

 

いろーーーんな想いが、この20年程度の時間の中で交錯してきたんだけども、1つハッキリと分かっていることがある。

 

それは、母親と私は、まったく違う人間だった、ってこと。

 

 

幼い頃から、私にとって母親は強烈なロールモデルだった。

 

やりたいことを仕事にしている女性。

仕事をしながらも、家事と育児の両立も出来ている女性。

家庭と仕事のバランスを自由に取れている女性。

 

こんな女性になりたいなー、という気持ちが、いつの間にか「こんな女性になれるはず」に変わっていた。全然違う人間なのに。

 

母親と自分がまったく違う人間だと気付いてから、自分の中で行き着いた結論がある。

 

その結論ってのが、世の中には

  • 現場好きのスペシャリスト
  • 上流にいっちょ噛み系ゼネラリスト

ザックリこの2種類がたぶんいるんだわ、ってこと。

 

そして、母と私は、この対極に位置する人間だったんだわってこと。

 

 

社会人歴が浅いのに「やりたいこと」ってのが明確にある人ってのは、『現場好きのスペシャリスト』が多いなーって。専門特化したスキルでフリーランスとして働くことができるタイプ。ひとまとめにはできないけど、結構この色が強い人って、マネジメントスキルはなかったりする気がする。

 

そしてもう一つ。『上流にいっちょ噛み系ゼネラリスト』。

現場の人間としてのスキルは乏しいけれど、浅く広く知識と技術があって、全体を見たり動かしたりする能力の方が強い人。仕事の上流にいっちょ噛みしたい意向が本人になくても、組織の中でマネジメントとか企画とか調整役とかそっちの方が花開く系。

 

 

この2つのどっちか!なんてことはなくて、他にもいろんなタイプの人がいるんだけど。

 

ちなみに、母は完全なるスペシャリストで、私はようやくやっと気づいてきたけどゼネラリストくさい。「改革」とか「教育」を担当している時点で、どっちかというとそっち寄りなんだろうなぁ。

 

\参考記事/

▼私は「教育」と「改革」が好きだと自覚したときの話。

urarie.hatenablog.com

 

 

社会で働く人をジャンル分けしたくてこの話をしている訳ではなくて、要は「世の中にはAとかBとかCとか、いーーっぱい色んな人がいて、その中で私はここらへんよ」というメタ認知ができていることが大事じゃん、って話。

 

さっさと自分の立ち位置を把握できたら、遠回りしなくていいよね。

 

母親みたいな働き方をしたかった私だけど、今は自分がゼネラリスト志向だと受け入れたことで、楽になった。

 

だって、「改革」と「教育」、おもしろいもん。

 

専門スキル・専門知識がないと、改革も教育もできないから、深める努力は必要だけど、この道でスペシャリストとして働く人の深度よりかは浅い。その代わり私は、人材育成や仕組み化づくりなんかの方に自分の時間や資源を割く。そっちのが楽しいし、得意なんだよね。

 

ああいう生き方もあるし、こういう生き方もあるんだよ~っていう話は、子供たちにきちんと言語化できる大人でありたい。選ぶのはキミだけどね、って。

 

5.まとめ|これからも仕事での気付きは記録していく

「ママって記録魔だよね」「知ってる」

言葉にして説明できる、それも、分かりやすく。というのは、簡単なようでそうでない。それを「簡単」といえる人は、無意識に、日常的にアウトプットをしている人だけです。

 

私からすると、自分の仕事を教えることは比較的難しくない。でもそれは、過去に何十人と教えてきて、たくさん失敗しているから。

 

自分が「慣れ」と「感覚」で習得していることを、何も知らない人に何度もアウトプットしていく中で、たくさんの失敗と気付きを経て、だんだん体系化できてきただけである。

 

仕事のことだけでなく、人と人のコミュニケーションの原点も同じな気がするんだよね。

 

私は昔、大学ノートに自分の感じたことや考えていることを、ただただ書き殴ることを続けていた、ちょっとキモイ人間なんだけどw でも今思えばあの頃は、いろんなタイプの友人から相談事をされることがめちゃめちゃ多かった。

 

 

\参考記事/

▼私が昔やっていた、思考と感情の整理法の話。

urarie.hatenablog.com

 

 

相当に自分のアタマ&ノートの中で、自分に起きたこと、周りで起きたことを殴り倒していたから(笑)、めっちゃアウトプット練習しまくりな日々だったんだと思う。

 

思考と感情が言語化できていたからこそ、適切な「量」を、適切な「表現」で、相手に伝えることができていたのかもしれない。

 

 

でも今は、人の相談に乗ることが本当に自信がない。

だって全然練習していないもん。

 

毎日の忙しさにかまけて、思考も感情も放置しまくり。

言語化できていないのが常。

余計な失言をかますこと多し。

だけど、肝心なことをきちんと言葉にできない。

「なんかそんな感じ」と抽象表現になる。

 

 

まわりの人にも出来ることならもっと丁寧に接したいし、少なくとも、私の言葉の影響が大きい相手、そう、わが子には後悔のない対応がしたい。

 

だから、これからも仕事を通して気付いたことや学んだことは記録していきたいと思います。

 

ブログは、私のキロクであり、練習でもあるのだな、と気付いた回でした。

 

この #思考メモ の数々と、挑戦と失敗のキロクが、画面越しの他の誰かの役にも立てばいいな・・・という淡い企みもあるのですが、、、それにはまだ私の器量と技術が追い付いていない感しかありません・・・苦笑。

 

 

とりあえず今回はこのへんで。

 

 

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