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1.期待感を煽る、美容院の事前アンケート
私は、美容院ではフル充電のスマホと活字の本を持って席にいつも着く様にしている。その意味は「私に話しかけないでください」だ。
つい先日、不本意ながら近所の新しい美容院を探しネット予約をした。
なぜ不本意かというと、基本的に美容院は変えたくない派だから。いつもの美容院でいつもの美容師さんに担当して貰うのが、髪だけでなく会話の温度感とかも含めて一番よく分かってもらえてるし楽。
でもコロナ禍で致し方なく、渋々ネット検索。その時、予約画面で有難い項目を発見。
『接客についてのご要望』という欄だ。「静かに過ごしたい」か「美容師との会話を楽しみたい」か、事前に希望を選択出来る模様。
いつもは馴染みの美容院だからスルーしてたけど、こんなのあったのかと少し気待ちが軽くなった。これは当然「静かに過ごしたい」の一択。
あー、助かるー。髪のお手入れ方法とかアレンジの仕方とかについて話が出来るのは嬉しいんだけど、世間話はしたくない。髪を切りに来ているだけなのに、なぜ初対面の人との会話で気疲れしないといかんのだ。
まぁでも今回は、そんなコミュニケーションの煩わしさについてウダウダと考えなくて済みそう。
いいね、この自分のコミュニケーションスタイルを事前に開示するシステム。大変賛成でございます。
2.淡い期待はあっさりと裏切られた
見出しの通り。
着席するやいなや、初見の客という事もあり、コロナ禍で雑誌・飲み物の提供を控えていること等の説明がなされた。
そこまでは良かったのだけど「コロナ大変ですよね」みたいな切り口で、お仕事は〜?とかお住まいは〜?とか何だかんだと聞いてくる。
いや、喋るんかーい。(棒)
少なくとも私は、美容院に楽しさなんてこれっぽっちも求めていない。綺麗にして欲しいという欲望と、リラックスしたいという切なる願いを持って来ている。
今日は気楽に過ごせそう~という淡い期待は、いとも簡単に裏切られた。
おーい、何の為のアンケートぉー。
聞いてますかー?
読んでますかー?
おーい。
3.私は省エネ人生を送りたいのかもしれない
コミュニケーションに対する自分の希望を、目に見える形で周囲に意思表示する事は、他の場面でも有用なのではないか、といつも私は考えている。
例えば仕事中。集中したい時には「雑談お断りフラッグ」をPCの上にピョコッと立てたらどうだろうか、とか。
旗の名称はまぁ何でもいいんだけど、それが立ってたら「あ、今は話しかけちゃマズイんだなー」と周りが目に見えて分かる、という具合に。
例えば服屋さん。接客されたくない客は、入口で「接客お断りパス」を手首につけるとかどうだろうか。遊園地のフリーパス的なあれ。
それつけてる人には店員は声掛けないとかさ。そっちの方が下手に接客するよりも、店内の滞在時間長くなって売れると思うんだけど。
そういえば、昔居酒屋でバイトしてる時に名札に一言自己紹介みたいなのを書かされたことを思い出した。要は、お客さんに話し掛けられるきっかけ作りな訳だけど、かなり嫌だった。無記入という選択肢が無いのは如何なもんかと。結果そのバイトはすぐ辞めたけど。
ツラツラと書いたことをまとめると、話かけられたい人間と、話しかけられたくない人間と、気分によって揺れる人間と、色んな距離感の人がいるんだからさ、皆が心地よい感じでやっていこうよ、という生ぬるい提案な訳です、どれも。
人と人とのコミュニケーションにおいて「察して欲しい」という気持ちがいかに煩わしい余計な物か、これまでの人生で何度も味わって来た。
察して欲しいと願うのも、
察して欲しいと願われるのも、
割と厄介事に膨らむことしばしば。
思いは言葉に。意思を形に。
これって一見エネルギー要る様に思うけど、自分を知って貰う一手間を惜しまない方が、実は省エネで生きられる気がしてる今日この頃。
4.騙されてはいけない、省エネっぽい言葉
出来るだけ小さな労力で、最大限心地よい環境を作り、楽に生きたい。
この志向は、実は私の価値観のベースにあるのかもしれない。
人に何度か言われて気付いたんだけど、私は、後の楽のためなら、今の苦労を簡単に選ぶ人間だ。
だから、仕事においては「業務の効率化」とか、自分の人生においては「自分を理解する為のブログ」とか、そういう一見面倒くさいことに力を入れているのかも。この辺はまさに目先の苦労を乗り越えれば、後で楽に、心地よい環境になるって分かってるからやってるだけ。言うならば、〝怠惰な努力〟でもあるのかもしれない。
話は戻るけど、そういう価値観の私が、楽に生きたいという理由から、思いを言葉に、意思を形にするに当たって、気を付けていることが2つある。
- 1つは、「人見知り」という言葉を出来るだけ使わないこと。
- 1つは、「お世辞」を極力使わないこと。
1つ目、「人見知り」という言葉について。これはホント都合よく使える割には邪魔くさい言葉だと思っている。ちなみに私は多用していた方の人間。
「私、人見知りなんです」と自ら使うのは、コミュニケーションに対する努力を放棄しているな、と感じる。
「人見知りで自分から距離を詰められないから、そちらから来てほしいんです」なのか、「人見知りで距離が近いとしんどいから、あんまりぐいぐい来ないでほしいんです」なのか、お前空気読めよ、って暗に言ってるよな、と感じる。
いや、ほんと、「察して系」は変な勘違いさせるし、本心とは逆の意味に捉えられることあるから、一見省エネ風に見えて、実は反対方面にまっしぐらコース。
それから2つ目、「お世辞」を極力使わないことについて。
人の良いところをシンプルに褒めるのは凄く良い事だと思うし、褒められて不快に思う人は少ないと思う。
けど、こと「お世辞」に関しては、受け手にも労力を遣わせるものだと私は思っている。褒めるとお世辞は似て非なり。謙遜したり、お世辞返ししてみたり、もうその1つ1つが煩わしいやり取りだと感じる。変に相手を期待させてしまうという側面もある。
若い頃はお世辞の万能さにそこそこお世話になった気がするけど、30超えたくらいから、お世辞は極力使わずに、的確に褒めることを意識したいと思う様になってきた。
こういう使い勝手がいい言葉や、聞き心地の良い言葉っていうのは、表面的にはコミュニケーションの潤滑油みたいに感じるけれど、実はそうでもないことも多い。遠回りせず、着実に自分の思いを言葉に、意思を形にしていきたいものである。
とか言っている割に、冒頭の初見の美容師に「私、あなたとは話したくないので、話しかけないで下さい」と単刀直入に伝えるのかというと、それもまた多分違う気がするから、人生ってややこしい。
*urarie/うらりえ*