玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

続けるかやめるか考えたら、やりたいことの輪郭が浮き彫りになってきた

 

1.なりたい像があるようです

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なりたい像…?

 

前回の記事のつづき。今の自分の仕事を続ける覚悟をもつべきか、やめる勇気を出すべきか、じっくり考えてみた。今回はいつも以上にものすごぉーーく自分のはなし。

 

#思考メモ

#これは自分の話を気兼ねなく書きたいときにつけるタグなのだ、そう決めたのだ

#最近まじめな話しかしてなくない?

 

urarie.hatenablog.com

 

結論、「人育て」の成功体験をもう少し積むまでは今の仕事を続けようと思う。

 

わたしは今、時短勤務をさせてもらっている正社員ワーママ(working mother)なんだけど、来年この時短勤務制度は終了する予定。時短勤務中の今ですら結構キツイと思う場面が多々あって、暗にこの先どうしようかとモヤついていた。けど一旦方向性を定めました、自分の中で。それがさっきのアレ。

 

  • 何のために自ら選んでワーママしてるんだっけ?
  • なんで子供が苦手なくせに子供を産む決意を固めたんだっけ?
  • この先何がしたいかなー?

 

とか、色々整理しつつ考えてみた。そしたら、すべての道の根っこの方で繋がってる想いがあるなぁと気付きまして。

 

わたしは自分のそばにいる後輩や子供たちに色んな選択肢を提示できる大人でいたい、などと思っているようです。んー、今の自分の器量を自分が1番わかっているからこそ、なかなか大層な目標をお持ちだこと、って感じですが‪‪(笑)

 

たとえば娘に「大きくなったらママみたいになりたい!」とか言われたい、とかじゃない。いや、もし実際そんなん言われたらすんごいうれしいかわいいうれしいーーって絶対なるけど(笑)。なるけど、そうじゃなくて。

 

「なんでそう思うの?」ってとこをちゃんと聞いてあげたいし、本人が自分でも気付けていない本音の部分を引き出してあげたい。それなら別に私を目指さなくてもこういう道もあるんじゃない?って、色んな選択肢を見せてあげたい。大人のエゴを押し付けるのは絶対やだなぁ。

 

数ある選択肢の中から何を選ぶかはその子次第だし、頑張るのも頑張らないのもその子次第。自由にしたらいいと思う。

 

ただ、これだけは悲しいなと思うのは

「そんな選択肢があるとは知らなかった

「やりたかったのに出来なかった

ってことなんじゃないかな、と思うのよ。

 

わたし一人で提示できる選択肢なんて限られているけれど、別にわたしが森羅万象の神を目指すわけじゃないからな。わたしが知らないことは一緒に調べたり探せばいいだけだし、知っている人に聞けばいいだけだし、何かしら手はあると思う。

 

大事にしたいのは、そういう芽に気付いてあげること。その子の本音を引き出してあげること。そういうことが出来る大人でいたいんですよねぇ。

 

これは我が子に対してだけでなく、自分の半径5m圏内の年下に対しては。自分の器が大きくなっていけば5m以上先にも目をやりたいけど、今はそこまで考えられるほど残念ながら人間は出来ていない。まずは目と、手が届く範囲で。

 

 

 

2.オーダーメイド製の人育てがしたいですね

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着ている服は既製品ばっかですけどね

なんで今、人育てに強い興味を惹かれているんだろう?って自分の経験を棚卸ししてみたんだけど、別に今に始まったことじゃなかった。ずーっと前から興味津々だったわ。

 

だけど昔は人を育てられるような器もなければ技術も無くて、何度も悔しい思いをしてきたなー。

 

「わたしはあの子にどうしてあげるのが正解だったんだろう」

「あー、また救ってあげられなかったなぁ」

 

そういう風に落ち込んだ失敗体験は、10代20代の頃に山ほどやってきた。後輩に対して。生徒に対して(むかし家庭教師してたんですよ)。クライアントに対して。友人に対して。

 

でもやっとね、30過ぎて、人として少しまぁーるくなり出して、で今の職場で人育ての成功体験を少し積み出して来たあたりから、ようやくちょっと端っこの方が分かって来たんだよね。あー、そもそもわたしは「他者への理解」というやつがあまりにも浅かったなぁって。

 

「人を育てる」っていうのは「人を理解する」ってことなのかなって思う。

たとえそれが自分と価値観が180度ちがう人間であっても。

 

自分の知っていること、出来ることを、答えをただ伝えるだけじゃダメなんだよね。相手の中から引き出した「アレ」とか「ソレ」とかを、こちらが伝えたい「コレ」と、こう混ぜ合わせてだなぁ。こう、2人で作っていくといいますかねぇ。(消え去った語彙力)

 

その為には、その子が好きなもの、嫌いなもの、やりたいこと、やりたくないこと、得意なこと、苦手なこと、ってかどんな人生歩んできたんよ?とか、そういうのを時間をかけて理解していくことが大前提だわって。

 

教育法とか育成法みたいなのは色々あると思うしどれからも学ぶことはたくさんあるんだけど、わたしは型に押し込むレディメイド(既製品)方式ではなくて、ひとりひとりの個性にあわせたオーダーメイド方式で人を育てたい。難しいし、手間も時間もかかるし、一度に見れる人数は限られるし、量産もできないけど、それがいい。

 

んで、それを実現するためには「自分とまったく価値観の違う年下を理解できるかどうか」っていうのが今後も課題になっていくんでしょうね。

 

 

3.エゴと思いやりは紙一重

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オシャレとダサい、天才と変人…。世の中紙一重なこといっぱい。

どこかのタイミングでコーチン』の勉強をしたいなと考えてる。仮に、今後仕事で「教育」に携わる場面が減った(なくなった)としても、子育てで役に立つ考え方を獲得することが出来る気がする。

 

コーチングとは、対象者の自主性を促し、能力や可能性を最大限に引き出しながら、目標達成に向けてモチベーションを高めるコミュニケーション手法。

「業務改善ノート TMG」より引用)

 

コーチングは別に新しい技術じゃない。私が知っている限りでも10年以上前からある。

 

私がコーチングという技術を知ったきっかけは人材業界で働いていた23歳のとき。当時のチームリーダー(30歳女性)がコーチングを勉強していた。第一印象は「ふーん」って感じ(笑)。別に、人材業界にいる人間が育成法とかコミュニケーション法について勉強する志向はなんら不思議じゃないし、とくに驚きはなかった。

 

でも今思えばこのリーダーはわたし(たち)のことを心底理解しようとしてくれてたんだなぁって思う。

 

勉強熱心で、仕事も出来て、あとすごくよく笑うリーダーだった。めっちゃ背が小さいのに頼もしくて、リーダーのくせにいつも始業時間ギリギリに汗かきながら走って出社してくる人。

 

わたしが何か変わったこととか尖ったこと言っても「それがうらりえだもんねー!笑」って爆笑してて、「なるほど、そういう過去があるから今のあんたがそうなってるんだね」といつも勝手に “なるほど” してらしたな。

 

そんなリーダーがわたしは大好きだったんだけど、どうしても嫌なところが1つあった。会社を辞めると決めたときリーダーに物凄く引き止められたんだけど、なかなか折り合いがつかなったからつい言ってしまったんだよね。

 

「〇〇さん(←リーダーの名前)みたいになりたくないんです」って。

 

いま思い返してもなかなかエグイ言い方よ・・・若かったとはいえ・・・。きっとリーダーを傷付いただろうな、あんなに大事にしてくれたのに。

 

ちなみに何が嫌だったかっていうと、リーダーはわたしたち部下にめちゃめちゃ寄り添ってくれるんだけど、めっちゃ時間遣うのよ。わたしが自分で答えを出せるまで、何時間でも、夜22時を越えてオフィスに誰もいなくなっても付き合ってくれる。それが23歳のわたしには物凄くプレッシャーだった。

 

リーダーは子供はいなかったけど結婚はしていた。仕事が好きなんだろうなっていうのは分かっていた。わたしは仕事も大事だけど、プライベートも死ぬほど大事だし、結婚したら家庭も大事にしたいんですけど、って思ってて。こんな風に時間を遣ってもらえることは幸せなんだけど、自分はこんな上司になりたくない、って強く思ってたんだよね。(また言ってもた)

 

ちなみに、当時のリーダーは今のわたしから見たらついに年下になっちゃったんだけど、やっぱり当時の指導法に関して今思い返しても「?」と個人的に思うことがあったのは事実。

 

そんな時ちょうど今の会社の通信教育のパンフレットを見てたら「コーチング」の講座がありまして。ちょっとテキストの試し読みが出来たから見てみたのよ。そしたら「やっぱそうやんなぁ(笑)」って思うことがあった。

 

発達レベルが低い(意欲はあるが能力が低い)メンバーに対しては、発問*1する前に「教える」ことが必要です。

 

教える前に発問してもメンバーはどう考えたらよいのか、知識が乏しいために分からなくなってしまうので、発問の効果は期待できないでしょう。

 

リーダー的には「発問でわたしから引き出すフェーズ」と判断したけど、当時のわたし的にはまだまだ「答えとやり方を教えてほしいフェーズ」だったんだな。

 

「相手を理解したい」という気持ちは素晴らしい姿勢だと思うんだけど、もしも相手が望んでいないタイミングなら、その行為が途端に自分のエゴに成り下がるよなって気付きがあったのもこのとき。

 

エゴと思いやりは紙一重。見極めるのはむずかしいよね。

 

それでもコーチングの勉強は近い内にするだろうな、と思う。そもそも興味があるし、仕事や育児において何かのヒントになる可能性も高いし。それに「コーチング技術で育てられた人間がコーチングを学ぶ」って過去の答えあわせも出来そうな気もするし、おもしろそう。

 

 

 

4.「ウィキペディア先輩」

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「Hey、センパイ。今日の天気は?」

リーダーへの感謝と反抗心を胸にこれまで身近な年下と接してきた私だけど、最近嬉しかったことを記録しておく。これぞ私の思う理想の距離感ってやつ。

 

昨日、会社の後輩ちゃん(25歳女子)からこう言われた。

 

「わたし、うらりえさんのことウィキペディアやと思ってるんですけど」

 

なにそれ笑?と笑いながら聞き流したけど、本人的には褒め言葉らしい。「めっちゃ良い方の意味ですよ!!笑」と仰っていました。(信じていいんだな、後輩ちゃんよ…)

 

言われてみれば私にもウィキペディア先輩(上司)がいる。(めっちゃ良い方の意味です、はい)

 

わたしにとってのウィキペディア先輩とは

  • 何でも教えてくれる、何でも知ってる
  • 困ったらとりあえずこの人に聞けば何か分かる
  • 質問しやすい空気
  • 必要以上に向こうから来ない安心感
  • 説教くさくない

 

後輩ちゃんのイメージと、私のこの印象が一致している訳ではないと思うけど、そもそもリアルウィキペディアってこんな距離感じゃない?

私が理想としてるコミュニケーションの距離感ってたしかにこんな感じかもなぁ、と後輩ちゃんのひとことで気付かされた。

 

わたしもどっちかっていうと基本ほっといてほしい派なんだよね。過干渉な距離というのはそこそこ嫌悪感がありまして。監視されてる気分というか、信頼されてない感というか、居心地は悪いし、斜に構えてしまう。それは優しさでもあるというのは充分に理解しているし、強引に干渉しにいく方がいい時があるのも分かってるんだけど。

 

だからこそコーチングの基本スタンスには賛成なんだよね。相手の芯の部分を引き出して寄り添うってさ、相手を尊重してるというか。拡大解釈にはなるけど、たとえ年下だろうと相手に敬意を持って接するスタンスって感じじゃん。年下といえど、相手の方が経験豊富なことだってたくさんあるし、あちらがベストな案を持っていることもあるしね。

 

そういう距離感の人でいたいなぁって思っている自分としては「ウィキペディア先輩」って呼ばれるのは、第一段階としてこれは喜んでいいんじゃないか?と思う。

 

だけどそれだけじゃちょーっと違うんだろうなぁ。

 

これからも求められない限りはアドバイスを積極的にするつもりもあまりない。アドバイスして欲しい時ってのは、人はそういう意思表示をするものだと思うから。

 

けど、放任しているようで実はちゃんと見守っていて変化には気付くとか、ここぞという時にだけは求められていなくても引っ張ってあげる必要もあると思ってる。

 

ほんの一滴の面倒見のよさみたいなやつは必要だろうなぁ。3滴も4滴もたらすときっと鬱陶しいだけだから、ちょっとでいい。

 

とりあえずは、自分が困ったときや助けて欲しいときだけでも適当にわたしをウィキ(利用)してくれるのは自分的には光栄なことなので、この調子でおけまるってことでよろしいか。

 

 

 

5.まとめ

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いい?まとめっていうのは簡潔に、よ

今日は見事に自分のはなしばっかりだったなー(笑)。でもいい感じに自分の人生の分岐点の記録ができたのでヨシとしよう。

 

結論、人育ての成功体験をもう少し積むまでは仕事は続ける。そのために、今以上に取捨選択してやめる勇気を…もつ(気弱)

 

今の仕事は基本的にプラスが多いけど、マイナスも当然ある訳ですよ。

 

判断のポイントは、

  • プラス面に焦点をあてて、続ける覚悟をくくるのか
  • マイナス面に焦点をあてて、やめる勇気をもつのか

ってとこ。

 

しんどい時っていうのはマイナス面にばかり目がいきがちだけど、実は失ってから気付くプラス面というのもある。

 

逆に、好調だなーってときはプラス面にばかり目がいきがちだけど、実は闇でマイナス面に大事なものが奪われているときもある。

 

ま、どっちにせよ、なんにせよ、時々ちゃんと立ち止まって冷静に考えましょう、って話でした。

 

 

\時短おわるのこわい~笑/

   *うらりえ*

*1:メンバーが潜在的に持っている多様な考えを引き出していくために行う問いかけ

続ける覚悟とやめる勇気。ときどき立ち止まってちゃんと考えたい。

 

1.続ける覚悟と、やめる勇気

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最初に提言しておくけれど、どっちが良くてどっちが悪いって話をしたいんじゃない。続ける方が難しい場合と、やめることの方が勇気がいる場合と、ほんとケースバイケースだと思う。

 

その中でも「さすがにちょっとそれ、よく考えた方がよくない??」って思うのが、

  • 続ける覚悟なく なんとなく続けている場合
  • やめる勇気を持たずしてなんとなくやめている場合

に対して。

 

これって考えることを放棄しているというか、流れに身を任せる方が楽だから流れているだけだよなーって思う。

 

そういう自然の流れに身をまかす方が大事な時ももちろんある。でもそれは一時的な回避でありまして。流れに身をまかせ「続けた」結果、後悔してる人をよく見るんだよね、私は。

 

この辺には賛否両論あると思うんですが、大事な場面では「続ける覚悟」なり「やめる勇気」なり自分で考えて決断しながら、自分が乗ってる船くらい自分で舵取りしたいねって話がしたいんですよ。

 

ここからちょっと自分の話になるけど。

 

ちなみにわたしは元々は「続ける覚悟」が足りない方の人間なんだよね。逆説的にいうと「やめること」は自然的に出来る。継続力が残念な反面、行動力はあるもんだから、「やめること」にめちゃめちゃパワーとか勇気がいる場合でも、必然的に必要で、出来る、って感じ。

 

これは良さでもあるけど、短所でもある事も理解している。だから「続けられること」への憧れが強かったんだよね。

 

そんな「続ける覚悟」が足りない私だけど、今の仕事をはじめて7年半が過ぎようとしてる。これは自分史的には地味に凄いことだなーと。その道のプロから見れば7年半だなんてまだまだ浅い歴史でヒヨッコなんだけど・・・。

 

あとこのブログをつづけて4年半が過ぎた。まぁこっちは途中休憩したりはしてるけど。

 

仕事もブログもどっちにも共通して言えるのは「続ける覚悟」を持ってやってるのはある。続ける覚悟がもともと足りない人間だからってのが根底にあるけど。

 

「続ける覚悟をもつべきなのか」それとも「やめる勇気を出すべきなのか」、どちらを選択すべきか岐路に立たされることはこれから先も何度もあると思う。その時に覚えておきたいことを、「続ける覚悟が足りない私へ」という意味で記録しておく。

 

 

2.続けた人にしか見えない景色はあった

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続けた人だけ手に入れられる副賞チケットもあるとかないとか。

 

「続けた人にしか見えない景色がある」ってよく見かける文章だけど、ほんとにそうだわ。

 

「続ける」とひとくちに言っても、続け方って千差万別だよね。マラソンでいうと、スタート地点はみんな一緒だけど、途中で森林コースと海辺コースに分かれててどっちに進んでも過程が違うだけでゴールに辿り着くみたいな。

 

さらに、最初はその2つのコースの選択肢しかなかったのに、走り続けていくと、続けてきた人にしか見えない新たな選択肢が少しずつ増えてくるなーって感じてる。例えば「マラソンで海辺コース」の先に、「潜水艦で海底探索コース」とか「遊覧船で航海コース」とかが広がってる感じ。

 

「いや、そんな便利な乗り物あるんやったら最初から出しとけよ!」みたいなクレームがマラソン協会に来そうなもんだけど、これは走り続けて来た人にしかそもそも見えない乗り物なんです、みたいな。

 

わたしの場合、仕事を7年半続けた先に見えて来た新しい選択肢がこれ。「教育」と「改革」。どちらもわたしの興味の先にある選択肢。

 

振り返ってみて、たしかにどっちもある程度その道を続けてきた人にしか出来ないものではあるのか・・・と思う。

 

「教育」はまぁイメージ通りだけど、「改革」についても強くそう思う。一見、新参者の方が出来そうな気がするけど、そうじゃない。改革っていうのは ものすごぉーく地道。小さな実績と小さな信頼をすこーしずつ重ねて重ねて…重ね続けた先でしか大きなことは出来ない。(これについては思うことあり過ぎて長くなるからまた別記事に書く。)

 

  • ひとつのことを続けること。
  • 「やりたいこと」をやり続けること。
  • 「小さな信頼(成果)」を重ね続けること。

 

そうやって地道に「続ける」ことではじめて見える景色があるんだなぁと実感してる。それがわたしの場合は偶然「教育」と「改革」というコースの出現だったけど、きっと他にも道はたくさんある。さらに続けていくことで、じわじわともっと興味の純度が高くなっていくんだろうな。

 

 

3.「続ける」と「やめる」は表裏一体

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ぼくらニコイチなんだよね。

 

「続ける覚悟をくくること」と「やめる勇気をもつこと」は表裏一体だと思う。

 

例えば今こうしてブログを書いている訳だけど、絶賛ワーママなわたしに正直自由時間は限りなく少ない。人生で今一番 笑えるくらいに自由時間がない(笑)。それでも、細くてもながーーくブログを続けたいがために、やめていることがたくさんある。

 

正直ここ最近は仕事もプライベートの方も忙しくて、ついに今日はしびれを切らして「睡眠」をやめることでこの時間を捻出してます。これはワーママが一番やってはいけないと心得ている方法です・・・(苦笑)。

 

マンガ読んだり、ゲームしたり、YouTube見漁ったり、友人と交流したり、家事したり・・・ぼ~っとしてたら私のミジンコみたいな自由時間なんて瞬殺でぜんぶ消える。だから、続けるためにやめていることがたっくさんある。

 

仕事だってそう。続けるためにやめたことが思い返せば色々ある。

 

でもこれは何もワーママだけの話じゃない。みんな人生それぞれに忙しいし、時間も有限。続けるためにはやめる勇気も伴うからこそ、ときどき立ち止まってちゃんと考えたい。

 

 

4.「忙しい」は最高の暇つぶし

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暇つぶしは英語で「killing time」っていうんだって。

 

「“忙しい” っていう字は “心を亡くす”と書く」みたいな話をよく聞くけど、一番問題なのってそれよりも「思考を亡くすことだと思うわ。っていうのもここ最近のわたしは思考を亡くしてた気がするから。

 

見出しにも書いたけど、「忙しい」っていうのは最高の暇つぶしだと思うんですよ。だって何も考えなくてもやることめっちゃあるし、気付いたら1日終わってるもんね。のくせに、何か体感的には「は~今日も一日めっちゃ頑張ったわ~」みたいな謎の達成感があるじゃん。ほんと『最高の暇つぶし』ですよ(いい意味じゃなくて皮肉の方の「最高」ね)。

 

こうやって思考を亡くしている(止まっている)ときこそ、冒頭に述べたこの残念な状態になりがち。

  • 続ける覚悟なく なんとなく続けている場合
  • やめる勇気を持たずしてなんとなくやめている場合

 

それに、忙しい忙しいって言ってるときの自分ってめっちゃ嫌いなんだよねぇ。じゃぁ忙しくならないように考えろよ、何とかしろよ、って思う「改革・改善を司る手厳しい奴」が自分の中にひとりいる。こいつの活躍のおかげで、仕事では「改革」を担当させてもらえるという新たな景色が見れたんだけど、、、皮肉なもんで自らに対しても手厳しくなるという・・・(笑涙)。

 

「忙しい」っていうのは、最高の暇つぶしでもあり、最高の言い訳でもあるのかも。(いや、実際忙しいことは事実だから言い訳じゃないんだけど・・・ニュアンスのはなしね、ニュアンス。笑)

 

そんなこんなで結局「忙しい」という恥ずかしい言葉をここで発している訳だけど、悲しいことに来年には “さらに“ 忙しくなることが確定している。時短勤務が終わるからね。

 

いやー、正直今でも手詰まり感ハンパないんだけど、どうやってやりたいことも続けつつ生き抜いていこうか・・・(笑汗)。やってみないと分からない部分は大きいけど、ここら辺で一度ちゃんと立ち止まって「続ける覚悟」か「やめる勇気」か、色々なことに対して答えを出していかないといけないですね。

 

一旦、今日はここまで。

 

 

\この話はつづきまーす/

   *うらりえ*

1日100PVいきそうになってビビっています

 

1.前回の記事が1日で72PVとなり、嬉しさよりも先に「?」がきた

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前回の記事をアップした日に、1日72PVまでいってビビッています。

 

urarie.hatenablog.com

 

いや、私のブログというものはですね、細々とやっている路地裏の小汚い居酒屋みたいなもので、1日に72回も入口のベルが鳴ることなんてないんですよ…。

 

「?」すぎて色々調べてみたら「1日100PV」というのが初心者ブロガーの最初の壁ということを知りました。ほえぇ…。

 

今はtwitterとか他のプラットホームとの連携を積極的にしていないのですが、どうやって皆さんここに辿り着いて下さっているんだろうか・・・。

 一人の方が何回も見に来て下さっているんでしょうか・・・。

 

摩訶不思議なのですが、、、えっと、嬉しいもんですね。

 

ただただ自分が書きたいことをツラツラと書いている状態なのですが、誰かが見て下さっているというのは、うん、素直に嬉しい。

 

だけど同時に、こんな書きたいこと書いてるだけで大丈夫か…?もうちょっとちゃんとしなきゃ。みたいな気持ちが芽生えてしまって、ここ最近は少し書く内容を考えてしまったり、手が止まったりしてしまう日々でした。

 

 

2.「書きたい」が先なのか、「伝えたい」が先なのか

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ニワトリと卵の話みたいなんだけど、そもそも「書く」が目的な人と、「伝えたい」が目的な人がいるよなって思うんだよね。

 

私は今のところ前者寄りなんだけど、後者を少し意識し出している状態。

 

基本的にこのブログは、自分の人生の記録、思考の整理、みたいな位置づけでして(色々試してみた上での今のポジションは)。

 

だから「書く」が目的なんだよね。

 

でも時々「この人に私の考えや気持ちを適切な言葉で届けたいな」って思う場面があって、そういう時に「書く」は手段になるんだな。上手に使いこなしたいな、って思い始めた。

 

「書く」が手段となり「伝えたい」が前に来たときに、初めてこういうPV数とか、誰が見てくれてるかとか、何をどう表現するかとか、そういうマーケティング的な視点が自然と芽生えるのかー、なるほどなるほどー、と体感しております。

 

そういうこともあって、ゆるりとでも「書く」についてちゃんと勉強したいという気持ちが芽生えてまして、そういう本を読んでみた。インスピレーションで選んだ3冊。

 

読書感想文というやつはものすごく苦手なんだけど、せっかくなのでその書籍のことについて記録しておきたいと思う。

 

 

3.編集者、ライター、エッセイスト。三者三様の「書く」

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インスピレーションで選んだ本たちだけど、結果的には三者三様な声を聞けたな、という印象。

 

学びたいという目線で選んでいるので、勉強になった点をピックアップしながら簡単にまとめてみる。

 

1.編集者の「書く」

まずお一人目は、竹村俊助さんという編集者の方の「書く」について。

 


書くのがしんどい

 

さすが、著者やライターに「赤入れ」する立場のお方。

竹村さんの「書く」は、徹底的な読者目線という印象。

 

実用書って感じで、めちゃめちゃ分かりやすかった。

 

そもそもタイトルだけなく、目次がもう何ていうか、読者目線だな~って感じだった。

特にこの辺。

 

CHAPTER1 書く事がなくてしんどい

CHAPTER2 伝わらなくてしんどい

CHAPTER3 読まれなくてしんどい

CHAPTER4 つまらなくてしんどい

CHAPTER5 続かなくてしんどい 

 

ブログでも小説でも何でも、「書く」に携わっている方なら、こういう「しんどい」を少なからず経験したことあるんじゃないかなぁ?

 

「じゃぁ具体的にどうするのか?」という実践的なテクニックもとてもわかりやすーく書かれているから、ありがたい。

 

総じて竹村さんの場合は「伝えたい何か」が先にあって(ハッキリさせて)、その手段として「書く」がある。

 

 

2.ライターの「書く」

お二人目は、一田憲子さんというフリーライターの方の「書く」について。

 


暮らしを変える書く力

 

「書く」に対するスタンスがいちばん今の私に近いような気がして、分かる分かるー!と思いながら読み進めた。

 

あくまで一田さんの「書く」の起点は「自分の心が動いた瞬間」という印象。

 

特に共感出来たのはこの辺り。

 

文章を書くということは、目の前にある「事実」と、自分の内側にある「興味の種」をリンクさせながら分析することなのだと思います。

 

「これはどういうことだったんだろう?」と事実をひとつずつ取り出して、さらに自分の引き出しを開け、中にあるものと比較し、理解していく…。

 

それは気の遠くなるほど大変な作業だけれど、「ああ、なるほど!」と何かと何かがカチリと結びつき、「わかった」瞬間の快感といったら!

 

以前書いたこちらの記事の冒頭でも、なんか似たようなことを言ってました(笑)。

 

urarie.hatenablog.com

 

ちなみに一田さんのブログ「外の音(ね)、内の香(か)」の紹介文の冒頭にこういう一文がある。

 

私の夢は、

おばあさんになっても、誰かに会って「へ~っ」と感動し、

その刺激を、自分の家に持ち帰ったら、

自分の暮らしがちょっと変わる…。

そんなささいなプロセスを、自分の文章で綴っていくことです。

 

ライターとして色んな方に取材をされ、多種多様な価値観と触れていらっしゃるからこそのコメントだなーと納得。

 

わたしはライターじゃないし、書くことはただの趣味みたいなところがあるけど、これは何か分かる気もする。

 

「事実」を伝えるだけでなく、ご自分の体感された「発見」や「感動」っていう生の感覚を大事にされている部分がとても良いなぁと思った。

 

自分の感じたこの生感覚を、それを読んだ人も「じぶんごと」として疑似体験できるような文章に昇華させる技術について書かれており、うわーやっぱこの辺がプロの技術だな~と読んでてとても勉強になった。

 

 

3.エッセイストの「書く」

これに関しては「書く」について論じられている本ではないんだけど。

 読んでいて、もうなんていうか著者の気持ちが滲みまくっていて、色々「書く」について考えさせられたのでリストインさせちゃう(笑)

 

エッセイというものに興味を持ち始めたのは割と最近だから、自分の中に情報がめちゃめちゃ少ない状態ではあるんだけど。

 

今、ジャケ買いしたこちらのエッセイを読んでいる最中。結構おもしろいなーと思っている。韓国で25万部売れてベストセラーになった本。

 


あやうく一生懸命生きるところだった

 

前述したライターや編集者の「書く」は、どちらかというと「文章という成果物として魅力がある」っていう感じが強い気がする。

 

一方、エッセイストの「書く」は「著者自身の魅力」が前面に出てる感じ。

 

ん~、うまく説明できないのが歯がゆいなぁ・・・(苦笑)

 

よくある魅力的な文章の概念ってあるじゃないですか?

「結論が最初にある」とか「シンプルで短い文章」とか。

 

なんかそういう黄金律が多少乱れても、その不調和すらも人間らしくて魅力みたいな、なんか、そういう感じぃぃ・・・(語彙力、消失)。

 

エッセイは好き嫌いが分かれるジャンルだと思うけど、私はこういう人間くさい感じは結構好きだったりする。

 

あまりにも「じぶんごと」を「じぶん語り」で書くのはいかがなものか?とよく思ったりするんだけど、そういう生々しさ?非スマートさ?も楽しむ人もきっと一定数いる。私みたいに。

 

 

 

4.まとめ:タグをちゃんと考えようかな

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えっと、色んな「書く」に触れて考えてみた結果、『タグを整理しよう』という答えに行き着きました(笑)。

 

なんか完全なる勘だけど、書く技術についてあれやこれやと考えるのは、私の場合もっと先な気がするんだよねー…。

 

あらゆることに言えるんだけど、「表面上整っているだけのもの」というものには私はそこまで魅力を感じないんですよね。中身が詰まっていない美しいものというのは、「美しい」けど「惹かれない」。

 

逆に、見かけが多少いびつでも中に熱とかオモシロサとか個性がギュウギュウに詰まっている方が、個人的には凄く魅力を感じるんだよね。

 

(もちろん一番いいのは、外見も中身も充実していることだけど。)

 

これを「書く」に置き換えた時に、今この小手先の技術に囚われすぎてしまうと、ただでさえ面白くないのに(しょぼん…)、もっとつまらないモノになってしまいそうで、何か違う気がするー。もちろん意識はしていかないといけないんだけど。

 

 

他者目線を意識するのであれば技術も大事だけど、「この文章は何なのか?」をラベリングして分かりやすくするというのも、アプローチは違えど読み手への配慮かな、と思った。

 

「これは自分メモ。これは〇〇さん宛て。これは世の中に言いたいことだぜ!(←そんなんあるっけ?笑)」みたいな。

 

現状わたしは「書きたい」と「伝えたい」が8:2…くらいの状態、かな?

現時点でのこのブログは、パブリックな表舞台というよりかは、プライベートなバックヤード色が濃い。

 

そういう思考のバックヤードを好んで見てくれる人と、煩わしく思う人と、色んな読者の方がいらっしゃると思うので、タグで少しでも分かりやすく出来たらいいのかな??などと思いました。

 

そしたら「今回は違いそうだな、やめておこう」と無駄な時間を過ごさなくてもいいし(貴重な時間を奪うのは申し訳ないしね)。逆に「それの方が見たい」と思う人(い、いるのかなぁ…笑??)にとっても判断しやすいかなぁ、なんて。

 

#思考メモ?

#思考の記録?

#あたまの中?

 

・・・ぐぇぇ、センスない(苦笑)。

 

あんまり「わたし語」にし過ぎたら検索問題もあるしなぁ。むむむ。

 

とりあえず暫定で『#思考メモ』とかにしてみようかな。微妙だったらまた変えればいいだけだし。

 

ん~、やっぱり第三者を意識すると途端にむずかしくなる気がするけど・・・ゆっくりとやっていこっと。

 

・・・迷ったら『#思考メモ』をつけて、好きなことを書ーく!笑

 

 

 

*うらりえ*

むかし雑誌に載ったときの話をする

 

 

1.むかし雑誌に載ったときの話

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※これはイメージ画像ですが

 

8年前、私は建築デザインの仕事をしていた。

 

新築の戸建て住宅のコーディネーターをやっていたんだけど、個性的なお客さんしかうちの会社には来なかった。お客さんのこだわりを徹底的に実現する、ゴリゴリの注文住宅だけを作ってるデザイン特化型の建築会社だったんだよね。

 

コーディネーターなんて適当なゆるふわ系のそれっぽい名前が付けられているけど、仕事内容と働き方だけでいったら、まじで人におすすめできるようなものじゃないですね(笑)。

 

1つの家を作り上げるまでに一人でなんでもこなさないといけない役割だったから、そのおうちへの関わり具合といったら多分他社では経験出来ない深度だったと思う。

 

その仕事で、

 

わたしが手掛けた渾身の自信作が雑誌に2度掲載されました。

 

1度目は、会社のHPを見た編集社から会社に電話がかかってきて「雑誌に掲載したいのですが」みたいな運びだったと記憶しています。

 

2度目は、別のおうち。

巻頭特集のトップページに見開きでババーーンと写真が載っています。

 

もう8年くらい前の話だしすっかりこの事を忘れていた。

でも前回チームプレイの記事を書いていて、この時のことを思い出した。

 

urarie.hatenablog.com

 

 

2.自分の本領が発揮されるときって知ってますか?

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世の中の人たちは「自分の本領が発揮されるとき」というのを、自己認識しているものなのかな?

 

わたしはさ、正直あんまり分かんないんだよね。

 

だからこうやってブログを書きながら自分を内観したり、人との関わりの中で気付いたことを言語化しつつ、ちまちまと記録をとっているわけですよ。

 

でも、前回のヨンケイの記事を書いたことで、

 

わたしは一人で頑張るよりも

誰かと何かを成し遂げるときの方が頑張れるタイプ

 

と認識するきっかけとなりました。

 

というのもさ、「好きなスポーツは?」という前週のはてなのお題は、自分にとっては割と簡単に答えられるテーマだったのよ。1週間もあれば書き上げられるだろうなーと軽い気持ちで着手した。

 

なのに実際書き始めてみると、当時の記憶がフツフツと蘇ってきて楽しくなってしまった。ライティングハイみたいな状態になっちゃったんですよね。

 

ちょうど今読んでいる本にこういう記述がある。

 

「無邪気な書き手」と「イジワルな編集者」

 


書くのがしんどい

 

気持ちのいい文章が書きたくて「書く」ことにフォーカスした書籍を何冊か読んでいるんだけど、この書籍の著者は自分の中に2人の役割をつくるとよいと主張していらっしゃいます。

 

まずは無邪気に自分の思うままに文章をダーーッと書く。

そうして出来上がった「ひとりよがりの文章」を、今度はイジワルな編集者が推敲していくのだとか。

「これわかりづらくね?」「ここおもんねー」って具合に。

 

この理屈で言うと前回の記事は「無邪気な書き手」のムジャキさが暴走しすぎて、編集者の持ち時間が足りなくなってしまったパターンです(笑)。1週間後の期日までに編集しきれませんでした(笑)。つらみー。

 

はてな今週のお題にどう付き合っていくかは一旦さておき。

 

「こんなに饒舌に語れるものが自分の中にあるんかー」っていうのが良い発見だったんですよね。

 

なんか、歳を重ねるごとにブレーキかけるのが上手くなりすぎて・・・いや、違うな。アクセルをかけるのが下手になり過ぎて、だ。

 

そう、アクセル全開になることが下手になり過ぎている。

 

アクセルは全然壊れてないんだよね。踏み込むことが出来なくなっているだけで。

 

その見えないラインを自分が超えられるトリガーってなんなんでしょ?

そう考えてみたんだけど、やっぱり「チームプレイ」ってとこなのかも。

 

仕事も趣味もなんだって、チームで取り組むことはワクワクするし底力的なやつも出るんだよね。

 

ここでやっと冒頭の雑誌の話に戻るんだけど。

 

そういえば雑誌に載った2つの作品を手がけているときも、大好きなチームで取り組んでいたときだったなーって思い出したんですよ。

 

自分は建築デザイン・空間デザインも勿論好きだったんだけど、好きな仕事だから頑張れたというより「好きな人のために頑張った」って感覚。

 

お客さんのことがとにかく大好きだった。

 

ちょっと具体的なことを書くのがはばかれるくらい当時は忙しく、責任とプレッシャーが大きすぎる仕事だったんだけど、命を削ってでも完遂できたのは、間違いなくお客さんの存在のおかげ。

 

週一の打合せを半年間つづける中で、その人たちの好きなもの、価値観から人生観、将来の話まで、相手の人生の全てをこってり取材する訳よ。生涯そこで暮らしていくことになる、たっかい買い物なんだからさ、こっちも向こうもそりゃ全力な訳ですよ。

 

ちょっとオーバーな例えなんだけど、自分にとってこの時のお客さん達はさ「死線をともに超えた仲間」みたいな存在なんだよね(笑)。

 

 

3.いつかこのブログは秘密基地に出来たらいいなと思う

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また機会があれば別の記事に書こうかと思うけど、結果的に今はこの仕事をしていません。簡単にいうと限界点を超えてしまいました。

 

色々と消化不良のこととか、苦い想い出も数えきれないほどあるんだけどさ、その時のお客さんとは今でも交流が続いている。自分が作ったその新しい家に何度も泊めてもらったりさ、子供が出来たら連れていったりさ。

 

辞めてしまった申し訳なさもあって、会うことで少しチクチクと心が痛むんだけど、それでも受け入れてくれることに感謝しかありません。

 

 

自分はやっぱり「チーム」として動くことで実力以上の力を発揮できる人間です。

 

残念ながら、一人で最高傑作を生みだせる様な職人タイプじゃないんだよな。

そういうエピソードよく考えたらめちゃめちゃあるわ(笑)。

 

ブログをさ、ずーーっっと続けていきたいと思っているんだけど、

 

ここは自分の舞台ではなくてバックヤードみたいな位置づけだな

 

って思うとしっくりくる。

 

イメージ、子供の頃の秘密基地みたいな。

 

小学校の頃、体育館倉庫の裏にほんとに秘密基地を作ってたんだけどさ。当時はそこで色々友達と面白いことを考えたりしてたなー。

 

ロケット作るか!みたいな話を基地でこそこそと計画立てて、いざ公園に出撃!

公園でロケット打ち上げるもあえなく失敗。

秘密基地にとぼとぼと戻って来ては、リベンジ会議してまたワクワクする、みたいな。

 

自分はチームプレイで本領発揮するタイプだから、そういう仲間がいたらきっとバカみたいなこと考えながらどっかにダーッと走って行って、傷だらけになっても笑って帰ってくるんだろうな~って思う。

 

大人になるにつれてアクセルの踏み方をどんどん忘れてしまっている自分だけど、こうやってブログで棚卸しをしてく中で、やっぱり毎日ワクワクしながら無邪気に生きてたいよなって思っちゃうよね。

 

あー、もっともっと出会いたいねー。

自分の中のオモシロサとチカラが全解放されるような人たちと。

あ、これは他力本願ともいうやつか(笑)。いかんいかん。

 

何か想像したらちょっと楽しみになってきたので、ワクワクした気持ちのまま今日は〆ます。

 

やっぱおもろいことをやっていきたいですね。

 

 

*うらりえ*

*後編*脇役ミドレンジャーでも活躍できるスポーツ

今週のお題「好きなスポーツ」。

 

 

前回の記事のつづきです。

 

urarie.hatenablog.com

 

 

 

5.それぞれの役割

1走:爆発力の黄レンジャー

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元気いっぱい黄レンジャー

 

黄レンジャーは、瞬発力・爆発力が最大の魅力である砲丸選手だ。

 

わたしも冗談まじりで砲丸を投げてみたことがあるがむずかしい。

 

何が難しいって、ほとんど「静」の状態から一気に「動」に転じなければいけない点だ。

半径1mほどのサークルの中から動けないので、助走は微々たる動きでしかとれない。

 

だから黄レンジャーはいつも「白筋(速筋)」を鍛えていた。

 

「白筋(速筋)」と「赤筋(遅筋)」は収縮速度の違いから、それぞれそう呼ばれている。

ラソン選手なんかは、長い間収縮することが出来て長時間の持続的な運動を支える筋肉=赤筋(遅筋)を鍛えている。

 

監督が組む練習メニューもそういう類のものが必然的に多かった。

ちなみに黄レンジャーは部内イチの筋肉オタクでもあった(笑)。

 

この身体のつくりは、ヨンケイの1走・スターターとの相性は抜群にいい。

 

「ピストルの音と同時に走り出せ!」

これがスターターの最大のミッションだからだ。

実際、黄レンジャーのスタートダッシュはかなり速かった。

 

だけど黄レンジャーには最大の弱点があった。

 

白筋(速筋)を鍛えすぎたのか、

持久力がめちゃめちゃになかった。

 

ラソン競技はおろか、100m走ですら後半でへばってしまうタイプだった。

50m走ならアカレンジャーアオレンジャーとも十分に戦えるレベルなのに。

 

この最大の弱点を補うのが、我が校の静かなるエース・アオレンジャーだ。

 

 

2走:エース、アオレンジャー

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静かなるエース・・・

 

アオレンジャー4人の中で一番100m走が速いエーススプリンターだ。

専門も100m、200m走であり、ホンモノのプロだ。

 

学校の運動会だとアンカーにエースを配置しがちだが、陸上界では実はそうじゃない。

ヨンケイではどのチームも2走にエースを配置することがほとんどだ。

 

理由は2つある。

 

1つは、2走が走るコースが直線コースだからだ。

 

ヨンケイは400mトラックを一周するコースなので、必然的にカーブコースが存在する。

そんな中、2走が走る区間は the 直線。

加速がめちゃめちゃしやすい為、シンプルなスピード争いになる区間だ。

 

そして2走にエースを配置するもう1つの理由は、4人の中で一番長い距離を走ることが出来るから(最大130m)。

 

各走者の間には「テイクオーバーゾーン」と呼ばれるバトンパスの区域が30mずつ配置されている。

この30mを上手く使えば、2走は100mといわず130m走ることが出来るのだ。

 

細かいことを省いてザックリ説明すると、

「1走から出来るだけ早くバトンを受け取り、3走へのバトンパスをギリギリまで引っ張ることが出来れば」130m走ることが出来る。

 

これはデカい。

 

エースの走力で30mも余計に走ってくれるとタイムはかなり縮められる。

ヨンケイは0.01秒を争う競技だからだ。

 

だけど2走に130m走ってもらう為には、それを実現するためのバトンパスの技術が必須となる。

バトンパスは、いかにトップスピードを落とさずに繋いでいくかだけでも難しいのに、こんな細かいことまで考えながらやるのは至難の業なのだ。

 

1走の黄レンジャーは間違いなくへばった状態でエースにバトンを持ってくる。

トップスピードが落ちている状態のため、こちらから早々にバトンを受け取ることはそう難しくはない。

 

問題は3走ミドレンジャーとのバトンパスだ。

 

 

3走:バランスのミドレンジャー

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・・・え、わたしですか・・・??

 

ミドレンジャーは、走り幅跳びが専門の選手だ。

 

そもそもだが4人の中で一番やる気がない。

陸上熱も、勝利への執念も希薄だ。

非常にマイペースで部活もこそこそとよくサボっている(そしてアカレンジャーによく怒られている)。

 

そんな一見ヨンケイに無縁そうなミドレンジャーが選ばれた理由は、一言でいうと「安定感とバランス力に長けているから」。

 

ヨンケイにおける3走の役割だが、ここは4人の中でも走力が劣っている選手が配置されやすい。

というのも、ここは2走のような単純な走力合戦ではないからだ。

技術的な意味で、実はいちばん難しいポジションと言われている。

 

理由は2つある。

 

最大の難所は、4人の中で唯一、直線を走ってくる選手からバトンを受け取る点。

 

3走以外は、カーブを走って来た選手からバトン受け取る。

これは視覚での距離感が掴みやすく、走り出すタイミングの微調整がまだしやすい。

 

一方3走は、2走のエースがトップスピードでまっすぐ自分に迫ってくる中、タイミングを見計らって走り出さないといけない。

これは距離感をはかるのがかなり難しい。

 

でもこのテクニカルポジションが意外にも走り幅跳びとの相性が良かった。

 

走り幅跳び選手は自分の走りをコントロールすることに慣れている。

走り幅跳びが、常に「安定した加速」が必要とされる競技だからだ。

 

走り幅跳びは0.1cmをせめぎ合う競技。

助走でしっかり加速しつつも、いかに踏み切りラインにプラスマイナスゼロで寄せてジャンプ出来るかがミソなのだ。

 

集中力を極限に高めて、

歩数、歩幅、リズム、スピード

これらを常に安定させる必要がある。

 

この辺りの技術が、難関のバトンパスポジションを担うのにフィットするという算段。

 

そしてもう1つ3走が難しいと言われる理由は、この難しいバトンパスをカーブコースの中で行わないといけない点だ。

 

が、これもミドレンジャーと相性がよかった。

 

というのも、ミドレンジャーは右足で踏み切るジャンパーだった。

これは反時計回りのトラックでは有利。

外側になる右足の脚力が強いのでコーナリングがしやすい身体なのだ。

 

ミドレンジャーは黄レンジャーのように、持久力がないという訳ではないが、走力にはやはり欠ける点が弱点だった。

 

その弱点を、安定したバトンパス技術で埋める作戦。

それは暗にアオレンジャーをギリギリまでトップスピードで走らせることを意味していた。

 

「お前は順位を上げようとか考えるな。

 

エースのスピードを殺さずにアンカーに届けることが最重要ミッションだ。」

 

監督からもそう釘を刺された。

 

 

4走:心が燃えてるアカレンジャー

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ずごごごご・・・。漂うリーダーのオーラ。

 

アカレンジャー名実ともにみんなのリーダーだ。

 

個人としての走力も高い。

100m走ではアオレンジャーには劣るものの、スプリンターとしても充分。

ラソンランナーとしても活躍出来るバランスのいい能力を持っている。

 

のちに部長も努めた、真面目で努力家で、やる気も能力もある the アカレンジャー

 

ヨンケイの4走を努めるのに大事なのは「勝負強さ」。

走力と同じくらいにハートの強さが大事になってくる。

 

ヨンケイは陸上の中でも華型競技なのだが、その中でも一番会場が沸くのが4走が走り出す瞬間である。

最後のコーナーを抜けて直線になったところで、一気に全体の順位が明るみになるのだ。

 

この最後の競り合いになんとしてでも我こそは勝つ!!という気持ちがなければ、気迫負けする。

 

そして3走ミドレンジャーの個人的主観としては、やはりラストにリーダーが待っててくれるのは何とも心強いものがあった。

 

ヨンケイの空気感に慣れていないミドレンジャーはレース中とにかく不安がいっぱいなのだ。

 

そんな中3走で順位まで落とそうものなら、申し訳なさも相まって心が潰れそうになる。豆腐メンタルなのである。

 

3走がどんな順位で走ってこようが、アカレンジャーはいつでも大声を張り上げてミドレンジャーを勇気付けながら待っててくれるのだ。

 

普段はアカレンジャーのこのブレない暑苦しさと爽やかさを少々鬱陶しくも感じるわたしだった。

 

だけどヨンケイを通して、アカレンジャーのこの真っ直ぐさは何ものにも変えられない最大の魅力だと認めざるを得なかった。

 

 

 

6.人生はヨンケイだ

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結局この4レンジャーによる即席チームはいい線までいった。

 

この話は兵庫県下でのはなしなのだが、兵庫県は陸上界ナンバーワン都道府県らしい。

下記の記事にて統計が取られている。

 

編集部コラム「2019年度 陸上界ナンバーワン都道府県は?」 | 月陸Online|月刊陸上競技 (rikujyokyogi.co.jp)

 

そんな中で県大会に出場出来たのだ。

 

県大会でどこまでの記録を残したか、

最後はどんな風に負けたのか、

そこまで細かいことは正直一切覚えていない。

 

何十年経っても覚えていることは、自分みたいなやつでも貢献出来る場所があった、という感動だけだ。

 

凸凹の人間でもいいんだ。

一番大切なのは良さを見つけて活かすこと、伸ばすこと。

 

これは今でも自分の中の大事な人生論として刻まれている。

そういう大事なことを教えてくれたのがヨンケイだ。

 

 

こんな風に胸アツでヨンケイのことを散々語ってきたが、

 

やっぱり陸上は好きではない。

テレビで陸上競技が放映されていたとしても観ない。

人生やり直せるなら陸上部には絶対に入部しない(まちがいなく軽音楽部に入る)。

 

だけど、6000文字程度よゆうで語ってしまうくらい特別な何かがある。

はてなブログ今週のお題の「今週」が過ぎてしまっても尚、これだけは投稿したいと思わせる何かがある。

 

 

おしまいっ。

 

 

*うらりえ*

*前編*脇役ミドレンジャーでも活躍出来るスポーツ

今週のお題「好きなスポーツ」

 

今日は はてなブログのお題について書きたいと思います。

だけど思いのほか長くなったので、2回に分けて投稿します。

 

 

 

1.脇役ミドレンジャーでも活躍出来るスポーツとは

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おれ、脇役なの・・・

 

わたしはミドレンジャーだったと思っている。

戦隊ヒーローの中でも脇役ランキング1~2位を争う地味レンジャーだ。

 

わたしは学生時代、陸上部に所属していた。

 

だけど陸上は好きじゃなかった。

仕方なく入部した。

今でもテレビで陸上競技が放映されていたとしても観ない。

陸上熱みたいなものはまったくない。

 

でも唯一、胸アツで語れる競技がある。

それが4×100mリレー。

通称「4継(ヨンケイ)」。

 

ヨンケイはすごい。

ミドレンジャーが華開くんだから。

その瞬間は今思い出しても興奮する。

弱小主人公が逆転劇をかます少年漫画を読んでいるような、そんな気分になる。

 

ヨンケイはわたしにとって特別なスポーツ。

チームプレイのバイブルみたいな存在なのだ。

 

人生とはチームプレイの連続である。

仕事や家庭、趣味、あらゆる場面でチームプレイが必要とされる。

そんな場面で実はこっそりこの時のことを思い出したりしている。

 

今日はそんなヨンケイの魅力について饒舌に語ってみる回。

よろしくどうぞ(ぺこり)。

 

 

2.ヨンケイの魅力とは

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ヨンケイの最大の魅力は、ミドレンジャーでも逆転劇が起こせるところだ。

 

4×100mリレー。文字通り4人が一人ずつ100mを走る。

単純に100m走が速い4人を集めるのが勝利への近道。

アカレンジャーが4人いるチームが圧倒的に有利だ。

 

だけど粒だけ揃えても勝てない。

これがヨンケイの面白いところ。

 

素材を生かすも殺すも「戦略」と「バトンパスの技術」にかかっている。

逆に言うと「戦略」と「バトンパスの技術」次第で、総合力を底上げすることも可能な訳だ。

 

これは何を意味するか?

 

それは、ミドレンジャーでもアカレンジャー(最強エース)に勝つことができるということ。

1対1では絶対に勝てない相手でも、チームプレイでは勝利をおさめることが出来る。

これがヨンケイの最大の醍醐味。

 

 

陸上部という集団の中でアカレンジャーを4人集めることは難しくはない。

普通のクラスにアカレンジャーは4人もいない。

だけど陸上部にはアカレンジャーがゴロゴロいる。

熟練スプリンターから大型ルーキー、色んなアカレンジャーがいるのだ。

 

つまりヨンケイでミドレンジャーの出番はない。

大体ミドレンジャーは他のマニアックな競技にこっそり出場してたりするものだ。

 

そんな中なぜこんな記事を書いているかというと、ミドレンジャーがヨンケイに出場する運びになってしまったからだ。

 

陸上界には「学年別大会」というものが存在していたのだ。

全ての競技を同じ学年の選手だけで競う大会だ。

つまりヨンケイに関しても、1年生チーム、2年生チーム、3年生チームの3チームが各学校に発足される。

 

この縛りはなかなか厄介だった。

同学年という縛りの中でアカレンジャーを4人も確保するのはさすがに簡単ではない。

陸上というのは、短距離選手以外の選手もたくさんいるからだ。

駅伝、マラソン、ハードル、棒高跳び走高跳砲丸投げ円盤投げ・・・。

短距離走が苦手な選手もじつは結構いるのだ。

 

そんな中、顧問(監督)から呼び集められた4人というのが、

アカレンジャー

アオレンジャー

黄レンジャー

そして、わたしミドレンジャー

だった。

 

この時のミドレンジャーの心境

 

ミ「いや、なんでやねん」

 

 

3.各レンジャーのイメージとは

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ここで一旦、私の各レンジャーへのイメージを表明しておきたい。読者の方とニュアンスがズレてしまわないように。

 

まずアカレンジャー

 

  • 圧倒的リーダー
  • 戦闘能力高め
  • 精神力も高め
  • 熱い人
  • 真っ直ぐ

 

 

続いてアオレンジャー

 

  • 隠れエース
  • 実は戦闘能力いちばん高い
  • エリート
  • でも本当は陰の努力家
  • 冷静沈着
  • オトナ

 

 

そして黄レンジャー。

 

  • 元気
  • 力持ち
  • 爆発力は最強だが持久戦に弱い
  • 頭で考えるよりとりあえずやってみる派
  • 不器用
  • 優しい

 

 

さいごにミドレンジャー

 

  • 地味
  • 強くない
  • だけど特殊能力的なのを持ってる一芸タイプ
  • 平和主義
  • 可もなく不可もなく
  • バランサー

 

(※モモレンジャーは今回お休みなので割愛)

 

 

うーん、やっぱりミドレンジャーは影がうすい(笑)。

 

先ほども書いたとおり、出来ることならば戦闘能力の高いアカレンジャー、ないしアオレンジャーだけでヨンケイチームを組みたいところである。

 

だけど実際のところそうもいかない。

学年別で区切られた小さな海に、そう都合よくアカ魚とアオ魚ばかりが泳いでいないものだ。

 

そんな訳で今回はこの4人が選ばれた。

 

「赤・青・黄・緑の4人でヨンケイを勝利せよ」

監督からの渋いミッション通達だった。

 

 

4.黄レンジャーとミドレンジャーをどう使うかが戦略の見せどころ

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監督の戦略とは?

 

残念ながら、ヨンケイ走者として抜群の資質をもつアカレンジャーアオレンジャーだけで組めなかった我がチーム。

 

だけど監督は勝つ気だった。

黄レンジャーとミドレンジャーの弱点を補いつつ、それぞれの良さを生かす戦略があるとのこと。

 

ヨンケイの戦略とは、走順のことである。

走順とは、走る順番のこと。

これはヨンケイでめちゃくちゃ重要である。

 

この走順(戦略)を元に、試合当日に向けてバトンパスの技術を最高点まで極めていくのだ。

 

監督が選抜したこのリレーメンバーに驚きだった理由がある。

黄レンジャーとミドレンジャーは100m走のタイムが単純にトップ3・4では無かったのだ。

 

100m走のタイム順でいうと、実は他に候補が2名いた。

黒レンジャーと白レンジャーだ。

黒レンジャーは専門が100m走でもある選手。

白レンジャーは専門が100mハードル選手。

 

だけど今回は監督の戦略により、あえての黄レンジャーとミドレンジャーの採用だった。

 

ちなみに黄レンジャーは専門が砲丸投げの選手。

ミドレンジャーの専門は走り幅跳び

 

実はこの専門性にも監督の狙いがあった。

 

監督の戦略(走順)はこうだった。

 

 

この戦略でどうやって弱点を補いつつ、それぞれの良さを活かしているのか?

次の項目で順に説明していきたいと思う。

 

冒頭でも述べたが、今でも監督のこの戦略のことはよく思い出す。

「弱点克服」ではなくて「長所伸長」を大事にする自分の今の価値観の原点でもある。

 

 

次の記事へつづきます。

 

 

urarie.hatenablog.com

 

 

*うらりえ*

取り戻さなければ、遊び心を。

 

 

1.あやうく一生懸命生きるところだった

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先輩とか

妻とか

母とか

 

そういう色んな役割を担っていない、すっぴんな自分を取り戻す為にこのブログを始めていたのに、だんだん違う方向にいっていることに気付いた。

 

はじめは分かってて道を逸れたり、あえて紆余曲折してみたりしてたんですよ、色々試してみたくて。

 

私は、答えが出ていることでも、ちゃんと自分の目で見て、耳で聞いて、体験したことだけを信じたいという面倒な人間でして、一つ一つ潰していっていたんですよ、分かった上で。

 

それがさー、気付いたらマジで迷子になってた的な。

ミイラ取りがミイラになりかけた的な。

 

やばーい。

こわーい。

あっぶなーーい。笑汗

 

 

というのも、二週間ほど前、以下の記事を執筆中に、気付いてはいけないことに気付いてしまった。

 

urarie.hatenablog.com

 

記事を6割くらい書き切ったくらいで、ふっと答えが舞い降りてきてしまった。

 

 

「・・・ちょっと待て。

 

 私いま、この生活に満たされてないんやん(笑)」

 

と。

 

 

慌てて書きかけの記事を全消しして、気付いてしまった事実を元に急遽方向転換したんですよ。いやー、キツかったな、精神的に(笑)。嘘やろー?ちゃうやんなー?!嫌だぁぁーーーー!と思いながら書いてた(笑)。

 

 

記事を書き終えてから、見つけてしまった事実(=ワタシ満タサレテナイ問題)について真剣に考えた訳です。

 

色々と整理して分かったことがあるんだけど、一番大事なことはタイトルにもある通り

「遊び心を取り戻さないといけない」

という事でした。

 

 

本来の私は、真面目ちゃんがベースにいるはいるんだけど、真面目だけの人間ではないんですよ。ていうか、真面目一辺倒なのはまじでつまんないと思ってる人なんですよね。

 

 

意識高い系な仕事論を吐く奴だけど、くそ忙しい仕事を面白くする為に、報連相用の糸電話をハイクオリティで真剣に作ってそれで上司に報連相する系の会社員だし

 

生徒会とか学級委員とかやってるんだけど、好きな友人をビックリ喜ばせる為に、4階の教室の窓から「はっぴーばーすでー」のバカ長い垂れ幕をビローーンって放り投げられる系JKだったし

 

そういうふざけた事をやっても、周りの人間も誰一人ビックリしてなかった。そんな奴だ。

 

 

中二感が抜けきらない残念な大人だけど、その代わりにどんな困難な状況でも楽しみを見出すのが得意で、やる時はちゃんとやる。自分のそういうところは好きだったはず。

 

 

やばー、

『あやうく(ただただ)一生懸命生きるところだった』

 

あ、実はこの見出し文、本日完全にジャケ買いした書籍のタイトルでございます(笑)。

 


あやうく一生懸命生きるところだった

 

 

私は脱力系人間って訳ではないのでもしかしたらかすっているだけかもしれないけど、今はとてもフィットしそうな気がした。なんとなくの直感。

 

 

遊び心のないうらりえなんて、お肉の入っていないカレーよ。(急に何)

 

それはもはやカレーでは、ない。(ただの肉好き)

 

 

2.てことで色々と辞めてみることにした

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せめて自分が好きな自分を取り戻す為に、色々と辞めてみようと思います。

 

辞めてみること
  • ブログの更新をツイートすること
  • 今のtwitterアカウントの積極的運用
  • ブログに好きなこと以外を書くこと
  • スマホで時間を浪費してしまうこと

 

このブログと今のtwitterアカウントを連携させると、恰好つけてしまうんよね。

よそよそしくなってしまう、っていう方が適切かな。

 

一応それなりに「受け」を気にしてなのか、本来の自分を出せなくなってしまう。

これはホントに本末転倒といいますか。

 

私みたいなちょっと面倒な奴がさ、ネット上ですっぴんの自分でいる為には、繋がる人の人選がホントに大事だと思うんだよ。

 

その為にはもっとエッジの利いたアカウントでいいと思った。

分かりやすく言うと、嫌われる勇気論みたいなね。

 

「2:6:2の法則」の「好意的な2の人」だけに囲まれて息してたい。

 

おい、私よ。お前は、自分に無関心な 6と、嫌悪感を持つ2、そこら辺とはそもそも接点すら持たない人間だよな?

 

自分を好いてくれている2と、自分が好きだーと思える人としか付き合ってこなかったじゃん。何してんだよ。喝、かーっつ。

 

 

こうやって書いていて、今また一つ思い出したことがあるんだけど。

 

「自分の同郷の人と出会ったら忖度するか?」

という話を以前ある人としていたんですよ。

 

例えば「実は自分と出身大学が同じだった」とか「自分とバイト先が同じだった」などというエピソードを知った時、その相手に対して良い意味で見る目が変わるか?って話。

 

その人は「変わる」とのことでしたが、私の答えは「特に変わらない」なんですよね。

 

私はあくまでフラットに「その人の内面が自分と合うかどうか」をいつも一番優先しているから、その人がどこで何をしていた人かとかいう後付けの条件は大して意味をなさないんだよなぁ。

 

人間性と、その人が選ぶ環境ってのは全くの無関係って訳でもないんだけど。)

 

これは良い面でもあり、悪い面でもあるんですけどね。

 

twitterはどうしてもこの同族情報が先走って繋がってしまうことも多いから、それを避ける為にもエッジを効かせたキャラクター(アカウント)でいることが抑止力として働いてくれそう。

 

それにさ、遊び心って「自分が楽しみたい」っていうエゴイズムだけでは成り立たなくない?

「相手に笑って欲しいな」とか「喜んで欲しいな」っていうホスピタリティ精神が無いと発揮されない。

 

つまりさ、そういう風に思える様な人が目の前にいないと、出ないんだよ、遊び心ってやつは。

 

逆に言うと、そんな人の前でならすっぴんな自分の遊び心が爆発する。

 

 

 

3.2週間、実際に生活を変えてみた経過について

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辞めてみること
  • ブログの更新をツイートすること
  • 今のtwitterアカウントの積極的運用
  • ブログに好きなこと以外を書くこと
  • スマホで時間を浪費してしまうこと

 

完全には辞めてないけど、これらを緩めた生活をここ2週間ほど実際に送ってみた。

 

その結果、すこぶる調子がいい(笑)。

 

厳密に言うと、これらを辞めたことで出来た時間で、楽しいと思えることをやっているから、というのが理由として大きい。

 

楽しいと思えること

  • 読書

  • 運動

  • 気の合う友人との交流

  • 自分の好きな文章に全力投球する

 

これさー、特に「運動」と「気の合う友人との交流」に関しては、『コロナ×育児』の閉鎖生活以前の私からすると、当たり前すぎる日常だったんだけどなぁ…。

 

まぁ環境のせいにしても仕方ないので、能動的に動いてみることにした。

 

 

あと「自分の好きな文章に全力投球」の件だけど、これはホントにこのブログを続けて来たからこそ出て来た、貴重な選択肢。

 

自分の文章に自信は相変わらず無いんだけど、好意的に受け入れて下さる人の存在が出来たことは本当に心の支えになっている。

 

そのおかげで、はてなブログが主催の「はてなインターネット文学賞」に応募してみることが出来たんです。

 

何て言うんだろうな、「受賞したい!」みたいな挑戦的な気持ちではなくて、応募ボタンを押せる自分かどうか試したい、みたいな。そんな感じ。

 

ボタンを1つクリックするだけなんだけど、凄い緊張した(笑)。

だけど、応募出来た。それだけで凄い満足。ホクホクしてた。

 

けど、そこからの変化が色々とあって。

 

ここに応募したことで検索に引っかかるんだね、色んな方が見に来てくれた。

 

はてなブログでいう「いいねボタン」であるスターを、初見さんから何人も頂けたり。

 

人生初のカラースターまで頂けて。(カラースターの存在すらよく分かってなかった様な人間なんだけど、初めてそんなのがあるんだと知った。)

 

twitterより はてなブログの方が自分に近い匂いがする人を数倍探しやすいぞ、と体感した(笑)。はてなブログが元々用意してくれている環境を、もっと上手に使っていきたいと思った。

 

(念の為、補足だけど、twitterのおかげで得られたものもあるし、良いことも勿論ある。twitterがよくないとかって話ではない。)

 

だから、据え置きしていた、この夏のブログのテーマ3選ってやつも辞める(笑)。実際にやってみて、何か違うと感じたことを、ずるずるとやる必要なんてない。

 

書きたいことを書きたいし、もしテーマに困る事があったら、その時は はてなブログが提示してくれているお題に対して答える形でブログを書こうと思う。

 

 

4.まとめ:遊び心を取り戻すためには

今日はツラツラ~と放出系の記事だったからな、最後にちゃんとまとめておく。

 

 

・すっぴんの自分で楽しく生きる為には、遊び心を取り戻す必要がある。

・遊び心を取り戻すには、分のホスピタリティ精神がオートで爆発しちゃう様な人と付き合うのが早い。

・遊び心を取り戻すには、余計なことは辞めて楽しいと思えることだけをする

 

 

はい、そんな感じっ。おしまい。

 

 

*うらりえ*