玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

*後編*脇役ミドレンジャーでも活躍できるスポーツ

今週のお題「好きなスポーツ」。

 

 

前回の記事のつづきです。

 

urarie.hatenablog.com

 

 

 

5.それぞれの役割

1走:爆発力の黄レンジャー

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元気いっぱい黄レンジャー

 

黄レンジャーは、瞬発力・爆発力が最大の魅力である砲丸選手だ。

 

わたしも冗談まじりで砲丸を投げてみたことがあるがむずかしい。

 

何が難しいって、ほとんど「静」の状態から一気に「動」に転じなければいけない点だ。

半径1mほどのサークルの中から動けないので、助走は微々たる動きでしかとれない。

 

だから黄レンジャーはいつも「白筋(速筋)」を鍛えていた。

 

「白筋(速筋)」と「赤筋(遅筋)」は収縮速度の違いから、それぞれそう呼ばれている。

ラソン選手なんかは、長い間収縮することが出来て長時間の持続的な運動を支える筋肉=赤筋(遅筋)を鍛えている。

 

監督が組む練習メニューもそういう類のものが必然的に多かった。

ちなみに黄レンジャーは部内イチの筋肉オタクでもあった(笑)。

 

この身体のつくりは、ヨンケイの1走・スターターとの相性は抜群にいい。

 

「ピストルの音と同時に走り出せ!」

これがスターターの最大のミッションだからだ。

実際、黄レンジャーのスタートダッシュはかなり速かった。

 

だけど黄レンジャーには最大の弱点があった。

 

白筋(速筋)を鍛えすぎたのか、

持久力がめちゃめちゃになかった。

 

ラソン競技はおろか、100m走ですら後半でへばってしまうタイプだった。

50m走ならアカレンジャーアオレンジャーとも十分に戦えるレベルなのに。

 

この最大の弱点を補うのが、我が校の静かなるエース・アオレンジャーだ。

 

 

2走:エース、アオレンジャー

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静かなるエース・・・

 

アオレンジャー4人の中で一番100m走が速いエーススプリンターだ。

専門も100m、200m走であり、ホンモノのプロだ。

 

学校の運動会だとアンカーにエースを配置しがちだが、陸上界では実はそうじゃない。

ヨンケイではどのチームも2走にエースを配置することがほとんどだ。

 

理由は2つある。

 

1つは、2走が走るコースが直線コースだからだ。

 

ヨンケイは400mトラックを一周するコースなので、必然的にカーブコースが存在する。

そんな中、2走が走る区間は the 直線。

加速がめちゃめちゃしやすい為、シンプルなスピード争いになる区間だ。

 

そして2走にエースを配置するもう1つの理由は、4人の中で一番長い距離を走ることが出来るから(最大130m)。

 

各走者の間には「テイクオーバーゾーン」と呼ばれるバトンパスの区域が30mずつ配置されている。

この30mを上手く使えば、2走は100mといわず130m走ることが出来るのだ。

 

細かいことを省いてザックリ説明すると、

「1走から出来るだけ早くバトンを受け取り、3走へのバトンパスをギリギリまで引っ張ることが出来れば」130m走ることが出来る。

 

これはデカい。

 

エースの走力で30mも余計に走ってくれるとタイムはかなり縮められる。

ヨンケイは0.01秒を争う競技だからだ。

 

だけど2走に130m走ってもらう為には、それを実現するためのバトンパスの技術が必須となる。

バトンパスは、いかにトップスピードを落とさずに繋いでいくかだけでも難しいのに、こんな細かいことまで考えながらやるのは至難の業なのだ。

 

1走の黄レンジャーは間違いなくへばった状態でエースにバトンを持ってくる。

トップスピードが落ちている状態のため、こちらから早々にバトンを受け取ることはそう難しくはない。

 

問題は3走ミドレンジャーとのバトンパスだ。

 

 

3走:バランスのミドレンジャー

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・・・え、わたしですか・・・??

 

ミドレンジャーは、走り幅跳びが専門の選手だ。

 

そもそもだが4人の中で一番やる気がない。

陸上熱も、勝利への執念も希薄だ。

非常にマイペースで部活もこそこそとよくサボっている(そしてアカレンジャーによく怒られている)。

 

そんな一見ヨンケイに無縁そうなミドレンジャーが選ばれた理由は、一言でいうと「安定感とバランス力に長けているから」。

 

ヨンケイにおける3走の役割だが、ここは4人の中でも走力が劣っている選手が配置されやすい。

というのも、ここは2走のような単純な走力合戦ではないからだ。

技術的な意味で、実はいちばん難しいポジションと言われている。

 

理由は2つある。

 

最大の難所は、4人の中で唯一、直線を走ってくる選手からバトンを受け取る点。

 

3走以外は、カーブを走って来た選手からバトン受け取る。

これは視覚での距離感が掴みやすく、走り出すタイミングの微調整がまだしやすい。

 

一方3走は、2走のエースがトップスピードでまっすぐ自分に迫ってくる中、タイミングを見計らって走り出さないといけない。

これは距離感をはかるのがかなり難しい。

 

でもこのテクニカルポジションが意外にも走り幅跳びとの相性が良かった。

 

走り幅跳び選手は自分の走りをコントロールすることに慣れている。

走り幅跳びが、常に「安定した加速」が必要とされる競技だからだ。

 

走り幅跳びは0.1cmをせめぎ合う競技。

助走でしっかり加速しつつも、いかに踏み切りラインにプラスマイナスゼロで寄せてジャンプ出来るかがミソなのだ。

 

集中力を極限に高めて、

歩数、歩幅、リズム、スピード

これらを常に安定させる必要がある。

 

この辺りの技術が、難関のバトンパスポジションを担うのにフィットするという算段。

 

そしてもう1つ3走が難しいと言われる理由は、この難しいバトンパスをカーブコースの中で行わないといけない点だ。

 

が、これもミドレンジャーと相性がよかった。

 

というのも、ミドレンジャーは右足で踏み切るジャンパーだった。

これは反時計回りのトラックでは有利。

外側になる右足の脚力が強いのでコーナリングがしやすい身体なのだ。

 

ミドレンジャーは黄レンジャーのように、持久力がないという訳ではないが、走力にはやはり欠ける点が弱点だった。

 

その弱点を、安定したバトンパス技術で埋める作戦。

それは暗にアオレンジャーをギリギリまでトップスピードで走らせることを意味していた。

 

「お前は順位を上げようとか考えるな。

 

エースのスピードを殺さずにアンカーに届けることが最重要ミッションだ。」

 

監督からもそう釘を刺された。

 

 

4走:心が燃えてるアカレンジャー

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ずごごごご・・・。漂うリーダーのオーラ。

 

アカレンジャー名実ともにみんなのリーダーだ。

 

個人としての走力も高い。

100m走ではアオレンジャーには劣るものの、スプリンターとしても充分。

ラソンランナーとしても活躍出来るバランスのいい能力を持っている。

 

のちに部長も努めた、真面目で努力家で、やる気も能力もある the アカレンジャー

 

ヨンケイの4走を努めるのに大事なのは「勝負強さ」。

走力と同じくらいにハートの強さが大事になってくる。

 

ヨンケイは陸上の中でも華型競技なのだが、その中でも一番会場が沸くのが4走が走り出す瞬間である。

最後のコーナーを抜けて直線になったところで、一気に全体の順位が明るみになるのだ。

 

この最後の競り合いになんとしてでも我こそは勝つ!!という気持ちがなければ、気迫負けする。

 

そして3走ミドレンジャーの個人的主観としては、やはりラストにリーダーが待っててくれるのは何とも心強いものがあった。

 

ヨンケイの空気感に慣れていないミドレンジャーはレース中とにかく不安がいっぱいなのだ。

 

そんな中3走で順位まで落とそうものなら、申し訳なさも相まって心が潰れそうになる。豆腐メンタルなのである。

 

3走がどんな順位で走ってこようが、アカレンジャーはいつでも大声を張り上げてミドレンジャーを勇気付けながら待っててくれるのだ。

 

普段はアカレンジャーのこのブレない暑苦しさと爽やかさを少々鬱陶しくも感じるわたしだった。

 

だけどヨンケイを通して、アカレンジャーのこの真っ直ぐさは何ものにも変えられない最大の魅力だと認めざるを得なかった。

 

 

 

6.人生はヨンケイだ

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結局この4レンジャーによる即席チームはいい線までいった。

 

この話は兵庫県下でのはなしなのだが、兵庫県は陸上界ナンバーワン都道府県らしい。

下記の記事にて統計が取られている。

 

編集部コラム「2019年度 陸上界ナンバーワン都道府県は?」 | 月陸Online|月刊陸上競技 (rikujyokyogi.co.jp)

 

そんな中で県大会に出場出来たのだ。

 

県大会でどこまでの記録を残したか、

最後はどんな風に負けたのか、

そこまで細かいことは正直一切覚えていない。

 

何十年経っても覚えていることは、自分みたいなやつでも貢献出来る場所があった、という感動だけだ。

 

凸凹の人間でもいいんだ。

一番大切なのは良さを見つけて活かすこと、伸ばすこと。

 

これは今でも自分の中の大事な人生論として刻まれている。

そういう大事なことを教えてくれたのがヨンケイだ。

 

 

こんな風に胸アツでヨンケイのことを散々語ってきたが、

 

やっぱり陸上は好きではない。

テレビで陸上競技が放映されていたとしても観ない。

人生やり直せるなら陸上部には絶対に入部しない(まちがいなく軽音楽部に入る)。

 

だけど、6000文字程度よゆうで語ってしまうくらい特別な何かがある。

はてなブログ今週のお題の「今週」が過ぎてしまっても尚、これだけは投稿したいと思わせる何かがある。

 

 

おしまいっ。

 

 

*うらりえ*

*前編*脇役ミドレンジャーでも活躍出来るスポーツ

今週のお題「好きなスポーツ」

 

今日は はてなブログのお題について書きたいと思います。

だけど思いのほか長くなったので、2回に分けて投稿します。

 

 

 

1.脇役ミドレンジャーでも活躍出来るスポーツとは

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おれ、脇役なの・・・

 

わたしはミドレンジャーだったと思っている。

戦隊ヒーローの中でも脇役ランキング1~2位を争う地味レンジャーだ。

 

わたしは学生時代、陸上部に所属していた。

 

だけど陸上は好きじゃなかった。

仕方なく入部した。

今でもテレビで陸上競技が放映されていたとしても観ない。

陸上熱みたいなものはまったくない。

 

でも唯一、胸アツで語れる競技がある。

それが4×100mリレー。

通称「4継(ヨンケイ)」。

 

ヨンケイはすごい。

ミドレンジャーが華開くんだから。

その瞬間は今思い出しても興奮する。

弱小主人公が逆転劇をかます少年漫画を読んでいるような、そんな気分になる。

 

ヨンケイはわたしにとって特別なスポーツ。

チームプレイのバイブルみたいな存在なのだ。

 

人生とはチームプレイの連続である。

仕事や家庭、趣味、あらゆる場面でチームプレイが必要とされる。

そんな場面で実はこっそりこの時のことを思い出したりしている。

 

今日はそんなヨンケイの魅力について饒舌に語ってみる回。

よろしくどうぞ(ぺこり)。

 

 

2.ヨンケイの魅力とは

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ヨンケイの最大の魅力は、ミドレンジャーでも逆転劇が起こせるところだ。

 

4×100mリレー。文字通り4人が一人ずつ100mを走る。

単純に100m走が速い4人を集めるのが勝利への近道。

アカレンジャーが4人いるチームが圧倒的に有利だ。

 

だけど粒だけ揃えても勝てない。

これがヨンケイの面白いところ。

 

素材を生かすも殺すも「戦略」と「バトンパスの技術」にかかっている。

逆に言うと「戦略」と「バトンパスの技術」次第で、総合力を底上げすることも可能な訳だ。

 

これは何を意味するか?

 

それは、ミドレンジャーでもアカレンジャー(最強エース)に勝つことができるということ。

1対1では絶対に勝てない相手でも、チームプレイでは勝利をおさめることが出来る。

これがヨンケイの最大の醍醐味。

 

 

陸上部という集団の中でアカレンジャーを4人集めることは難しくはない。

普通のクラスにアカレンジャーは4人もいない。

だけど陸上部にはアカレンジャーがゴロゴロいる。

熟練スプリンターから大型ルーキー、色んなアカレンジャーがいるのだ。

 

つまりヨンケイでミドレンジャーの出番はない。

大体ミドレンジャーは他のマニアックな競技にこっそり出場してたりするものだ。

 

そんな中なぜこんな記事を書いているかというと、ミドレンジャーがヨンケイに出場する運びになってしまったからだ。

 

陸上界には「学年別大会」というものが存在していたのだ。

全ての競技を同じ学年の選手だけで競う大会だ。

つまりヨンケイに関しても、1年生チーム、2年生チーム、3年生チームの3チームが各学校に発足される。

 

この縛りはなかなか厄介だった。

同学年という縛りの中でアカレンジャーを4人も確保するのはさすがに簡単ではない。

陸上というのは、短距離選手以外の選手もたくさんいるからだ。

駅伝、マラソン、ハードル、棒高跳び走高跳砲丸投げ円盤投げ・・・。

短距離走が苦手な選手もじつは結構いるのだ。

 

そんな中、顧問(監督)から呼び集められた4人というのが、

アカレンジャー

アオレンジャー

黄レンジャー

そして、わたしミドレンジャー

だった。

 

この時のミドレンジャーの心境

 

ミ「いや、なんでやねん」

 

 

3.各レンジャーのイメージとは

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ここで一旦、私の各レンジャーへのイメージを表明しておきたい。読者の方とニュアンスがズレてしまわないように。

 

まずアカレンジャー

 

  • 圧倒的リーダー
  • 戦闘能力高め
  • 精神力も高め
  • 熱い人
  • 真っ直ぐ

 

 

続いてアオレンジャー

 

  • 隠れエース
  • 実は戦闘能力いちばん高い
  • エリート
  • でも本当は陰の努力家
  • 冷静沈着
  • オトナ

 

 

そして黄レンジャー。

 

  • 元気
  • 力持ち
  • 爆発力は最強だが持久戦に弱い
  • 頭で考えるよりとりあえずやってみる派
  • 不器用
  • 優しい

 

 

さいごにミドレンジャー

 

  • 地味
  • 強くない
  • だけど特殊能力的なのを持ってる一芸タイプ
  • 平和主義
  • 可もなく不可もなく
  • バランサー

 

(※モモレンジャーは今回お休みなので割愛)

 

 

うーん、やっぱりミドレンジャーは影がうすい(笑)。

 

先ほども書いたとおり、出来ることならば戦闘能力の高いアカレンジャー、ないしアオレンジャーだけでヨンケイチームを組みたいところである。

 

だけど実際のところそうもいかない。

学年別で区切られた小さな海に、そう都合よくアカ魚とアオ魚ばかりが泳いでいないものだ。

 

そんな訳で今回はこの4人が選ばれた。

 

「赤・青・黄・緑の4人でヨンケイを勝利せよ」

監督からの渋いミッション通達だった。

 

 

4.黄レンジャーとミドレンジャーをどう使うかが戦略の見せどころ

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監督の戦略とは?

 

残念ながら、ヨンケイ走者として抜群の資質をもつアカレンジャーアオレンジャーだけで組めなかった我がチーム。

 

だけど監督は勝つ気だった。

黄レンジャーとミドレンジャーの弱点を補いつつ、それぞれの良さを生かす戦略があるとのこと。

 

ヨンケイの戦略とは、走順のことである。

走順とは、走る順番のこと。

これはヨンケイでめちゃくちゃ重要である。

 

この走順(戦略)を元に、試合当日に向けてバトンパスの技術を最高点まで極めていくのだ。

 

監督が選抜したこのリレーメンバーに驚きだった理由がある。

黄レンジャーとミドレンジャーは100m走のタイムが単純にトップ3・4では無かったのだ。

 

100m走のタイム順でいうと、実は他に候補が2名いた。

黒レンジャーと白レンジャーだ。

黒レンジャーは専門が100m走でもある選手。

白レンジャーは専門が100mハードル選手。

 

だけど今回は監督の戦略により、あえての黄レンジャーとミドレンジャーの採用だった。

 

ちなみに黄レンジャーは専門が砲丸投げの選手。

ミドレンジャーの専門は走り幅跳び

 

実はこの専門性にも監督の狙いがあった。

 

監督の戦略(走順)はこうだった。

 

 

この戦略でどうやって弱点を補いつつ、それぞれの良さを活かしているのか?

次の項目で順に説明していきたいと思う。

 

冒頭でも述べたが、今でも監督のこの戦略のことはよく思い出す。

「弱点克服」ではなくて「長所伸長」を大事にする自分の今の価値観の原点でもある。

 

 

次の記事へつづきます。

 

 

urarie.hatenablog.com

 

 

*うらりえ*

取り戻さなければ、遊び心を。

 

 

1.あやうく一生懸命生きるところだった

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先輩とか

妻とか

母とか

 

そういう色んな役割を担っていない、すっぴんな自分を取り戻す為にこのブログを始めていたのに、だんだん違う方向にいっていることに気付いた。

 

はじめは分かってて道を逸れたり、あえて紆余曲折してみたりしてたんですよ、色々試してみたくて。

 

私は、答えが出ていることでも、ちゃんと自分の目で見て、耳で聞いて、体験したことだけを信じたいという面倒な人間でして、一つ一つ潰していっていたんですよ、分かった上で。

 

それがさー、気付いたらマジで迷子になってた的な。

ミイラ取りがミイラになりかけた的な。

 

やばーい。

こわーい。

あっぶなーーい。笑汗

 

 

というのも、二週間ほど前、以下の記事を執筆中に、気付いてはいけないことに気付いてしまった。

 

urarie.hatenablog.com

 

記事を6割くらい書き切ったくらいで、ふっと答えが舞い降りてきてしまった。

 

 

「・・・ちょっと待て。

 

 私いま、この生活に満たされてないんやん(笑)」

 

と。

 

 

慌てて書きかけの記事を全消しして、気付いてしまった事実を元に急遽方向転換したんですよ。いやー、キツかったな、精神的に(笑)。嘘やろー?ちゃうやんなー?!嫌だぁぁーーーー!と思いながら書いてた(笑)。

 

 

記事を書き終えてから、見つけてしまった事実(=ワタシ満タサレテナイ問題)について真剣に考えた訳です。

 

色々と整理して分かったことがあるんだけど、一番大事なことはタイトルにもある通り

「遊び心を取り戻さないといけない」

という事でした。

 

 

本来の私は、真面目ちゃんがベースにいるはいるんだけど、真面目だけの人間ではないんですよ。ていうか、真面目一辺倒なのはまじでつまんないと思ってる人なんですよね。

 

 

意識高い系な仕事論を吐く奴だけど、くそ忙しい仕事を面白くする為に、報連相用の糸電話をハイクオリティで真剣に作ってそれで上司に報連相する系の会社員だし

 

生徒会とか学級委員とかやってるんだけど、好きな友人をビックリ喜ばせる為に、4階の教室の窓から「はっぴーばーすでー」のバカ長い垂れ幕をビローーンって放り投げられる系JKだったし

 

そういうふざけた事をやっても、周りの人間も誰一人ビックリしてなかった。そんな奴だ。

 

 

中二感が抜けきらない残念な大人だけど、その代わりにどんな困難な状況でも楽しみを見出すのが得意で、やる時はちゃんとやる。自分のそういうところは好きだったはず。

 

 

やばー、

『あやうく(ただただ)一生懸命生きるところだった』

 

あ、実はこの見出し文、本日完全にジャケ買いした書籍のタイトルでございます(笑)。

 


あやうく一生懸命生きるところだった

 

 

私は脱力系人間って訳ではないのでもしかしたらかすっているだけかもしれないけど、今はとてもフィットしそうな気がした。なんとなくの直感。

 

 

遊び心のないうらりえなんて、お肉の入っていないカレーよ。(急に何)

 

それはもはやカレーでは、ない。(ただの肉好き)

 

 

2.てことで色々と辞めてみることにした

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せめて自分が好きな自分を取り戻す為に、色々と辞めてみようと思います。

 

辞めてみること
  • ブログの更新をツイートすること
  • 今のtwitterアカウントの積極的運用
  • ブログに好きなこと以外を書くこと
  • スマホで時間を浪費してしまうこと

 

このブログと今のtwitterアカウントを連携させると、恰好つけてしまうんよね。

よそよそしくなってしまう、っていう方が適切かな。

 

一応それなりに「受け」を気にしてなのか、本来の自分を出せなくなってしまう。

これはホントに本末転倒といいますか。

 

私みたいなちょっと面倒な奴がさ、ネット上ですっぴんの自分でいる為には、繋がる人の人選がホントに大事だと思うんだよ。

 

その為にはもっとエッジの利いたアカウントでいいと思った。

分かりやすく言うと、嫌われる勇気論みたいなね。

 

「2:6:2の法則」の「好意的な2の人」だけに囲まれて息してたい。

 

おい、私よ。お前は、自分に無関心な 6と、嫌悪感を持つ2、そこら辺とはそもそも接点すら持たない人間だよな?

 

自分を好いてくれている2と、自分が好きだーと思える人としか付き合ってこなかったじゃん。何してんだよ。喝、かーっつ。

 

 

こうやって書いていて、今また一つ思い出したことがあるんだけど。

 

「自分の同郷の人と出会ったら忖度するか?」

という話を以前ある人としていたんですよ。

 

例えば「実は自分と出身大学が同じだった」とか「自分とバイト先が同じだった」などというエピソードを知った時、その相手に対して良い意味で見る目が変わるか?って話。

 

その人は「変わる」とのことでしたが、私の答えは「特に変わらない」なんですよね。

 

私はあくまでフラットに「その人の内面が自分と合うかどうか」をいつも一番優先しているから、その人がどこで何をしていた人かとかいう後付けの条件は大して意味をなさないんだよなぁ。

 

人間性と、その人が選ぶ環境ってのは全くの無関係って訳でもないんだけど。)

 

これは良い面でもあり、悪い面でもあるんですけどね。

 

twitterはどうしてもこの同族情報が先走って繋がってしまうことも多いから、それを避ける為にもエッジを効かせたキャラクター(アカウント)でいることが抑止力として働いてくれそう。

 

それにさ、遊び心って「自分が楽しみたい」っていうエゴイズムだけでは成り立たなくない?

「相手に笑って欲しいな」とか「喜んで欲しいな」っていうホスピタリティ精神が無いと発揮されない。

 

つまりさ、そういう風に思える様な人が目の前にいないと、出ないんだよ、遊び心ってやつは。

 

逆に言うと、そんな人の前でならすっぴんな自分の遊び心が爆発する。

 

 

 

3.2週間、実際に生活を変えてみた経過について

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辞めてみること
  • ブログの更新をツイートすること
  • 今のtwitterアカウントの積極的運用
  • ブログに好きなこと以外を書くこと
  • スマホで時間を浪費してしまうこと

 

完全には辞めてないけど、これらを緩めた生活をここ2週間ほど実際に送ってみた。

 

その結果、すこぶる調子がいい(笑)。

 

厳密に言うと、これらを辞めたことで出来た時間で、楽しいと思えることをやっているから、というのが理由として大きい。

 

楽しいと思えること

  • 読書

  • 運動

  • 気の合う友人との交流

  • 自分の好きな文章に全力投球する

 

これさー、特に「運動」と「気の合う友人との交流」に関しては、『コロナ×育児』の閉鎖生活以前の私からすると、当たり前すぎる日常だったんだけどなぁ…。

 

まぁ環境のせいにしても仕方ないので、能動的に動いてみることにした。

 

 

あと「自分の好きな文章に全力投球」の件だけど、これはホントにこのブログを続けて来たからこそ出て来た、貴重な選択肢。

 

自分の文章に自信は相変わらず無いんだけど、好意的に受け入れて下さる人の存在が出来たことは本当に心の支えになっている。

 

そのおかげで、はてなブログが主催の「はてなインターネット文学賞」に応募してみることが出来たんです。

 

何て言うんだろうな、「受賞したい!」みたいな挑戦的な気持ちではなくて、応募ボタンを押せる自分かどうか試したい、みたいな。そんな感じ。

 

ボタンを1つクリックするだけなんだけど、凄い緊張した(笑)。

だけど、応募出来た。それだけで凄い満足。ホクホクしてた。

 

けど、そこからの変化が色々とあって。

 

ここに応募したことで検索に引っかかるんだね、色んな方が見に来てくれた。

 

はてなブログでいう「いいねボタン」であるスターを、初見さんから何人も頂けたり。

 

人生初のカラースターまで頂けて。(カラースターの存在すらよく分かってなかった様な人間なんだけど、初めてそんなのがあるんだと知った。)

 

twitterより はてなブログの方が自分に近い匂いがする人を数倍探しやすいぞ、と体感した(笑)。はてなブログが元々用意してくれている環境を、もっと上手に使っていきたいと思った。

 

(念の為、補足だけど、twitterのおかげで得られたものもあるし、良いことも勿論ある。twitterがよくないとかって話ではない。)

 

だから、据え置きしていた、この夏のブログのテーマ3選ってやつも辞める(笑)。実際にやってみて、何か違うと感じたことを、ずるずるとやる必要なんてない。

 

書きたいことを書きたいし、もしテーマに困る事があったら、その時は はてなブログが提示してくれているお題に対して答える形でブログを書こうと思う。

 

 

4.まとめ:遊び心を取り戻すためには

今日はツラツラ~と放出系の記事だったからな、最後にちゃんとまとめておく。

 

 

・すっぴんの自分で楽しく生きる為には、遊び心を取り戻す必要がある。

・遊び心を取り戻すには、分のホスピタリティ精神がオートで爆発しちゃう様な人と付き合うのが早い。

・遊び心を取り戻すには、余計なことは辞めて楽しいと思えることだけをする

 

 

はい、そんな感じっ。おしまい。

 

 

*うらりえ*

 

まるで夜景みたい、SNSってやつは。

 

 

 

1.SNSに疲れたら「SNS=夜景」と思えば楽になれる

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SNSを眺めている時に時々

「あれ、この感じ、何か前にも感じた事あるなぁ・・・」とずっと思っていた。

 

それが最近分かった。

 

「夜景を眺めている時」と同じ感覚だった。

 

 

 

夜景を見るのは好きですか?

その時どんな気持ちで見ていますか?

 

 

 

私は・・・

 

「ふ~ん」って感じで見ています(真剣な回答)

 

 

 

いや、夜景を最初に見た時の第一印象は「わー!キレイー!」と感動はする。感動しますとも。美しい景色を見るのは好きですし。

 

 

ただ、壮大な自然や雄大な空を見て膨らむ感情は色々とあるが、夜景に関しては「キレイ」以上の感情や感想は特に持たない。

 

厳密に言うと、持たなくなった。

 

 

 

 

そこでふと思った。

 

時々、SNSを眺めている時、夜景を眺めている時の様な感じだなぁ。

だから、昔みたいにしんどくないんだなぁ。楽なんだなぁ。

 

そんなことに気付いた。

 

 

 

 

2.なぜならSNSも夜景も結局は「他人の生活の集合体」なだけ

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美しい自然を見た時の感動と、夜景を見た時の感動に何故差があるのか?

 

それは、夜景は「他人の生活の集合体」なだけだから。

 

 

住宅やビルに灯るオレンジや黄色の光。

高速道路を流れる天の川の様な輝き。

空に浮かぶリズミカルな光の粒。

どこまでも広がる光の海。

 

 

目に映る光景としては物凄く美しい。

 

だけど実態は、他人の生活から零れた明かりがただ集まっているだけ。

 

 

 

極論だけど、SNSだって他人の生活の集合体なだけ。

 

 

強く明るい光。

楽しそうに弾む光。

弱弱しいけどそっと輝く光。 

 

 

色んな光がある。

色んな人間の人生がある。

そんな他人の生活の集合体。

 

 

1つ1つの光自体が美しく輝いていて、そんな光が集まると物凄く綺麗なんだよね。夜景と一緒。

 

 

ただ、夜景と違って、SNSは1つ1つの光が物凄く近い。

だから傍観し切れない。

 

 

夜景が美しいのは、1つの1つの光の正体が分からないくらい、遠い距離から俯瞰して見ているから。

 

現実は、家の中のLED電球だったり、自動車のビカビカのヘッドライドなのに。

 

 

 

スマホやPCの画面を、超ウルトラスーパーパノラマ画面にびよーーんと引き伸ばしたら、夜景と何ら変わらないと思うのだけれども。

 

 

 

3.夜景を見ると自分の悩みごとがちっぽけに思えていた学生時代の話

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夜景に対して「ただの他人の生活の集合体でしょ?」と、物凄く淡々と語っているが、別に元々こんな斜に構えた捉え方をしていた訳ではない。

 

 

まだまだ多感な学生時代、私にはお気に入りの夜景スポットがあった。

 

 

悩みごとがあった時、友人関係が上手くいかなかった時、親と喧嘩した時、失恋した時。

 

気分が落ち込んでいる時にこそ行きたくなる場所だった。

 

 

そこは、目の前がドカーンと開けた山上の駐車場で、180度美しい夜景が堪能出来る、隠れ家的な場所だった。

 

 

何故、気分が落ち込んでいる時こそ夜景を見に行っていたのかというと、自分の悩みごとがちっぽけに思えるから。

 

 

 

目の前の夜景を彩る光の1つ1つの元に、一人一人の生活がある。

 

 

一家団欒の光もあれば、一人暮らしのOLさんの光もあるかもしれない。

 

もしかしたらどこかの光の下では泣いている人がいるかもしれないし、喧嘩しているカップルもいるかもしれない。

 

どこかのビルのエレベーターの光もあれば、よく分かんない機械が点灯しているだけかもしれない。

 

 

「この光の一つ一つに、色んな人の人生の一瞬が灯されているんだなぁ」

 

「今私が悩んでいるこの瞬間も、世界は色んな人の人生を乗せていつも通り回っているんだなぁ」

 

・・・なんて思うと、自分の今の悩みごとなんて大したことないのかもしれない、と思えたのだ。それが良かった。

 

 

 

少し前、10年振りくらいにお気に入りだった夜景を見に行ってみた。

 

だけど「ふ~ん、綺麗だな」としか思わなかった。

 

きっと、卒業したんだな、と思った。

自分の悩みを他人と比較しながら受け止める時期を。

 

 

 

今は自分の悩みは他人と比べない。

過去の自分と比べて受け止めている。

 

「悩み方が変わったな」

「この部分は成長したな、私」

 

そうやって『過去の自分』と『今の自分』を比べる事で、『明日の自分』が楽しみになる。

 

 

だから今は、悩み事があっても、夜景も見に行かなかくなった。

 

 

 

4.夜景のたしなみ方

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1.夜景は夜にしか出会えない

 

夜景は、夜にしか現れない。

昼間は、出会いたくても出会えない。

 

それぐらいの距離感が、ちょうどよかったのかもしれない。

 

 

しかし、SNSという景色はいつ何どきでも好きな時に見に行ける。

手を伸ばせばすぐそこに現れる。

 

 

何百人、何万人という他人の生活、雑踏の中に佇んでいれば、普通ならそりゃ疲れるもの。

 

夜にしか出会えないからこそ、美しいと思えるのだ、夜景も。

 

 

雑踏の中に飛び込んでいくのが楽しい人もいる。

そうじゃない人もいる。

 

それこそ色んな人がいる。

 

 

自分に合う距離感で夜景をたしなめばそれでいい。

 

 

2.夜景は語らない

 

夜景は、喋らない。

いつもひっそりと、だけど悠々と、いつもただそこに居座っている。

 

だからいい。

だから美しい。

 

好きな時に会いに行けばいい。いつでも夜景はそこにいる。

 

 

「この部屋の電気今つきましたよ!」

「今この街灯、明るく輝いてますよ!」

 

何万人の生活一つ一つが、そんな風にいちいち主張してきたら、私はすぐに家に帰るだろう。

 

 

SNSも、喋ろうが喋らまいが、そこに世界が存在することには間違いないんだから、どっちでもいいんじゃなかろうか。

 

 

ちなみに私は、SNSのお口にチャックをさせて貰っている。

 

その方が会いに行く時のワクワク感がある。

 

 

3.私も夜景の一部

 

私は、自分自身も、夜景を彩る光の1つに過ぎないと思っている。

誰かから見た時の私なんて小さな小さな光だ。

 

ランランと輝いていようが、じりじりと消えかけていようが、夜景の中に溶け込んでしまえば大した差はない。

 

それくらいの心構えが自分にとっては丁度いいと思っている。

 

 

近所のコンビニやスーパーにちょっと出かける時に

「あれ?この恰好やばくないか?いや、誰も自分のことなんて見てないか」

と思うあのくらいの感覚。

 

 

誰も夜景の1つ1つの光の機微なんてそんなに気にしていないもの。

それくらいに思うと結構楽だったりする。

 

 

そんな中、こんな小さな光にたった一人が気付いてくれるだけでも凄いものだ。そこは大事にしたいなと思っている。ただそれだけ。

 

 

 

夜景のど真ん中で明らかな存在感を放つ光になる事を目指すのも良し。

 

夜景の端っこで誰にも気づかれていないかもしれないけど、夜景を夜景たらしめる一つの光であるのも良し。

 

夜景の中には飛び込まず、山上から傍観するも良し。

 

 

夜景の楽しみ方なんて人それぞれである。

 

 

 

5.自分が心地よいと思える距離感で夜景をたしなめばいい

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「世の中には本当に色んな人がいるなぁ」

多くの人は過去に一度はここに行き着いているんじゃないかと思う。

 

そういう自分も誰かからそう思われていると思っている。

 

 

思われているだけならいいが、そこで攻撃されたり、誹謗中傷を受けたりすると、そんな達観した気持ちになれない事もあるかもしれない。

 

 

だけどいつだって構造はシンプルで変わらない。

 

 

色んな人の生活をぎゅっと集めただけ。

夜景もSNSも、いろ~んな人生を、ぎゅっと。しただけ。

 

その中にあなたも、ぎゅっと。入っていたり、いなかったり。

 

 

 

疲れている時にわざわざ夜にお出かけして夜景を見に行かなくていいし、

 

自分の光の輝きが観客の目にどう写っているか考えるのがしんどいなら、今日だけ消灯すればいい。

 

 

夜景もSNSも逃げない。

自分が心地よいと思える距離感で、好きな時に好きな様にたしなめばいい。

 

気楽に行こう。

 

 

*urarie/うらりえ*

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

SNSが苦手な私だけど、SNSにも居場所が欲しい

  

 

1.SNSがやっぱり苦手

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SNSに苦手意識が消え去らないのは何でなんだろう。楽しい部分も沢山知ってるのに。

 

mixiFacebook時代はリアルな友人知人のみがフォロワー。

 

仲良しな人達とそれなりに楽しくやってた。けど、一緒に遊ぶ程でもない顔見知りな距離感の人にも、自分の日常や友人とのやり取りを公開することに疑問が出て来て疎遠に。

 

Instagram時代はリアルな友人知人を徹底排除した趣味アカウントだった。

 

こちらは、妊娠・出産を機にそもそも趣味の時間を確保することができなくなり終了。

 

どれも微妙な結末を迎えつつも、何だかんだと言いながらこれまでもそれなりにSNSを嗜んでいる自分に気付いて「嫌いではないんだろうな」と改めて認識。

 

でも嫌いじゃないといっても、苦手意識はある訳で。

 

そんなSNSに不向きな私がなぜ今twitterを続けられているんだろう?

 

その矛盾を整理してみたら、気付きたくなかったことに気付いてしまって猛烈に落ち込み、そしてSNSに救われたという話が今回の記事である。

 

 

2.現実世界で満たされていない事実に気付く

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現実世界で満たされない何かをtwitterで補って貰ってるんだろうな、と気付いてしまった。これは自覚したくなかった事実。

 

明らかに今の私は満たされていない。

 

コロナ×育児中 ということで、異常な閉塞感の中なんとか毎日を生きている。この2つの事象が重なったことは致命傷でもあり、ある意味人生の転機ともなっている。

 

SNSに入り込めなかったのは、何だかんだリアルな世界にそこそこの満足感がきっとあったんだと思う。

 

自分が楽しんでいる姿をネット上でアピールする必要性も当時は分からなかったし、逆にネガティブなことを公に吐露することにも共感出来なかった。

 

でも今なら分かる。

 

物理的に不自由になり、それにより心が満たされなくなっている私を満たしてくれる万能な世界になっていた。

 

私が話をしていい場でもあり

誰かとワイワイ戯れられる学校みたいでもあり

色んなお話を聞ける講演場でもあり

ちょこっと立ち寄れる図書館みたいでもあり

思考のメモ帳でもある

 

今の私を密かに支えてくれる場所と化しているけれど、これでいいんだろうか…とふと心配になる瞬間も実はかなり多い。

 

 

前回の記事から引き続き「スマホ脳」って本をまだ読んでいるんだけど、SNSってやっぱり怖い。

 

薄々勘付いてはいたけど、人間の行動心理学を完全に押さえた設計になってる。SNS漬けになる様に設計されている。

 

脳がデジタルにハッキングされている。

 

 

3.色々と不安になった

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いつの間にかtwitterばかり見て一喜一憂している自分がいた。

 

はいはい、これが「ツイ廃」ってやつね(笑)。

 

小さな繋がりではあるけれど、twitter上で人の縁が出来てきたことが理由として大きいんだろうな。

 

だけど凄く不思議だった。

 

私はtwitter上ではとてもよく分からない人間だと思う(笑)。迷いながらスタートしているからまぁそれは仕方ないのかもしれないけれど。

 

そんなよく分からないキャラクターでも絡んでくれる人がいるというのが、凄く不思議だった。

 

何かさ、対面で話していれば少なからず分かるよね。目の前の人が自分に好意的か、義務的か、とか。

 

極論、他人の心の内なんて分からないんだけど、表情とか態度とか空気感で多少なりとも心の機微が拾える。

 

でもSNSにはそれがない。何を考えてるのか読みづらい。

 

だからかなのかな、ネット上で繋がっている人がいたとしても「甘えてはダメだ」って頭の中の自分が強く言ってくる。「現実世界の友人とは違うんだから」と。

 

そうやって抑止するのにもエネルギーを遣ってしまってる。甘え下手で、適当さが不足がちな自分がここで裏目に出る。

 

インターネット上で息をし続けていく自信は元々かなり低い。それがさらに失われそうだ。

 

孤高の戦士の時の方がよっぽどハートは強かった気がする(笑)。

 

ブログの方針にやや迷っているから、というのもかなり影響していそうだ。

 

私はtwitterではブロガーと名乗らない様にしている。twitter上にいるブロガーさんとはちょっと何かが違う気がしてならないから。

 

自分のことを何と名乗ろうと自由なんだけどさ、そうしてしまうと疑念の波にさらわれそうな気がするんだよね。

 

だからブロガーさん達とはまだ積極的に絡む気持ちが整っていない。徐々にね、そういう繋がりも欲しいところではあるんだけど。明らかに今じゃないな。

 

あまり深く考えずサクッとやっていくのも大事。

 

けど、持論を獲得出来ていないものに対して、自分の気持ちをごまかしたまま進めたり、1%でも迷いや疑問がある癖に納得している風に振舞ってしまうと、あとあと絶対に響いてくる、私の性格上。自分が一番それはよく分かっている。

 

ちょっと良くないなぁ。

 

自分に自信が無くなってしまうとチャレンジングな事は出来なくなるし、純粋な気持ちでブログを楽しめなくなっちゃう。

 

 

 

4.じゃあやめればよくない?

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心がざわつくくらいならtwitterやブログを辞めればいい。ストレス因子を排除すればいいだけ。

 

当然それも考えた。

だけどそれは何か嫌なんだよね。

 

リアルな現実世界で自分の心の「カラメル部分(以下、過去記事参照)」を100見せきれる自信はないけど、ブログを通してなら何故か出来る。

 

urarie.hatenablog.com

 

自分で自分の頭と心を整える手法であり

新しいことにチャレンジ出来る世界であり

カラメル部分が露呈した状態の私が誰かと繋がれる場でもある。

 

今の私にとってのサードプレイス的な存在なんだよね。

 

昔の自分には必要なかったのに、環境や条件が変われば選択肢は変わってくるもので。

 

だけど、この空間で息がしづらくなった時はどうやったら踏ん張れるんだろう。

 

 

5.疲れた時ってどうしてたっけ?

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最近、実は私は人好きのウェット人間だったと判明した。

 

urarie.hatenablog.com

 

その癖、現実世界での人との交流をかなり疎かにしてしまっていることにも気付いた。

 

自覚していなかったんだけど、育児で自由時間が激減している中で一人時間を欲しすぎていたことも明らかに影響している。

 

ピンチな時は遠慮し過ぎず人に頼る。

大人になってからそう出来る様になってきた。

 

だけど、今回のことに関しては相談できそうな相手が一人も思い浮かばなかった。というのも、こうやってネット世界で生きていることはリアルの友人知人には伏せておきたいと思っているから、相談したくなかった。

 

それこそこういう感情をtwitterで吐き出すのも一つの手なんだろうけど、何か根本解決になってないというか、それじゃない感。

 

 

おやおや?

ではこれからこういう感情に陥ってしまった時は、どうやって対処していくべきなんだ?

 

 

6.インターネットと現実の境界線について

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今回のことは、結論から言うと、ネット上で仲良くさせて貰っている人たちに今の悩みを吐露させて貰った。自分でもよくこんなことが出来たものだと思ったんだけど。

 

SNSが苦手な私からすると、ネット上の繋がりは希薄なものでしかないと思っていた。でもそうじゃなければいいな、と思う気持ちもどこかにあった。

 

正直ネットで繋がる人にこんな深層心理を話すことはとても怖かったし、適切ではない判断だったかもしれない。

 

それなのに心の内を開きたいと思ったのは、

 

この人たちが現実世界に、今自分の隣にもしいたとしたら、私はどう接するかな?

 

そういう風に考えたから。

 

ネット上の人といってもちゃんと実在する人間でしょ?顔が見えないだけで。

 

私は自分と関わる人たちには、出来ることならば自分という人間性を深く理解してほしいと願っているし、反対に、相手の人間性も誤解曲解なく理解したいと思っている。

 

当たり障りない付き合いをすれば当たり障りない人脈が形成できるけど、そういう人間関係は正直もう別にいらないなって思ってる。そういう人脈形成に時間と労力を充てられるほど、自分の人生に余白もない。

 

自分の心の内を見せることで「何だこいつ、めんどくさ」と不快に感じる人もきっといる。寂しいけれど、そういう人はきっと私から離れていくだろうし、受け止めてくれている人がいればそういう人を大事にしたい。

 

限られた時間をそういう人だけに遣いたい。

 

そう、ほんと余白ないのよ(笑)、悲しいことに。

 

これからもう少しこの場所にいたいと思うのであれば、「ネットだから」「現実だから」という線をきっちり引かなくてもいいんじゃないかと思った。

 

とは言っても、現実世界と一緒で甘え過ぎちゃダメだし、バランスは大事だけど。

 

今はこんな風に考えているけど、これから色んな失敗も経験するだろうなぁ。勿論その都度考え方や接し方は修正していくつもりだけど、後悔が残る様なことはしたくないなぁ。

 

 

7.ツイッター君に言いたいこと

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もしツイッター君が現実世界に存在して、自分の目の前に現れたらどうするだろうなぁ。

 

とりあえずまずは説教したいな(笑)

 

君は人の気持ちを揺さぶり過ぎです

疲れている人がいるの分かってんでしょ?ねぇ?

揺さぶるだけ揺さぶっといてフォローしないのはアカンところよ

ほんと反省しな

 

まぁノーダメージなのは分かってる。

くそぉ、ツイッター君め・・・。

 

でも最後にやっぱ感謝は伝えるよね。

 

君のそういうところはどうーーも好きになれないけれど

個人的にツイッター君に救われている部分も凄いある

ありがとう・・・って調子に乗るんじゃないよ!(小さな抵抗)

 

 

ツイッター君、もし現実世界にいたら、、、魅力的ではあるけど、絶対距離取るわ(笑)。

 

 

*urarie/うらりえ*

 

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

子供が苦手なギリギリママの寝かしつけ術。ココリコ遠藤さんから学んだ〇〇タイムを設けています。

この夏は、固定した3つテーマ記事を日替わりで書いていきます。

 

てことで、今回のテーマはこちら。

 

この記事のテーマ
  • 子供が苦手なママの子育て事情 ☜ピコン!
  • SNS苦手民がネットで息していく奮闘記録
  • 日々の出来事から考察して考えたこと

 

 

 

 

1.子供が苦手なギリギリママとは

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はい、私のことです。

「子供が苦手」と「子供が大好き」の狭間で息をするギリギリママです。

 

私は、赤ちゃんや小さい子供に苦手意識が元々強い人間でした。(やや克服したという意味で過去形で表現していますが、悩むところ。)

 

urarie.hatenablog.com

 

 

今は、自身の妊娠・出産を経て、2歳の娘の母親をやっています。現役ママですから、当然子供の生態には以前より詳しくなってきましたし、色々分かって来たこともあります。

 

子供と一緒に生活をしてみて気付いたことは、「私は子供を“嫌い”な訳では無かったんだ」ということ。とっても可愛くて愛しい存在です。

 

それでも心の奥深くの「やっぱり子供は苦手だ」という気持ちは、今も完全には消え去ってはいないです。

 

どの部分が苦手なのか?

 

答えは、

  • 常にテンションが高い点(喜怒哀楽すべて)
  • 子供との時間は自分でコントロール出来ない事が多過ぎる
  • 子供との時間は基本的に全てが体力勝負である点

 

子供がもう少し成長したら、またきっと受け取り方は変わってくると思いますが。

 

 

 

2.寝かしつけの理想と現実

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『寝かしつけ時には必ず絵本を数冊読んであげます』

 

キラキラママたちが語る、こんな映画のワンシーンみたいな寝かしつけをするんだと思っていました。

 

だけど現実の私はというと、ベッドに横たわる頃には既にヘトヘト。ベッドに寝転ぶやいなや「あ~やっとこの時間だ~~」と一瞬で脱力。いつも心の中では「早く寝てくれ~」と唱えていました。

 

絵本を読んであげたい気持ちは山々なんだけど、しんどすぎて無理(笑)。絵本を読み終わったら「もう1回!もう1回!」ってキラキラした顔で何回も言われるのもしんどい・・・。「今日はこれで終わりね」って言おうものなら大きな声で「や~だ~!」とゴネられるのもしんどい・・・。もう、寝ようよ・・・ってさらにクタクタになります。

 

 

寝室で、娘が寝るまでの時間をじんわり楽しむ余裕などなく、「早く今日が終われ~」と祈りながら毎日眠りを迎えるのは、喜ばれたものではないなと胸がチクッとしていました。

 

 

3.子供が苦手なママの寝かしつけ術、〇〇タイムを設けています

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そういう反省もあり、現在、私が寝かしつけの時に毎日行っていることがあります。

 

それが「いちゃいちゃタイムを設けること」

ネーミング、何かあれなんですけど(笑)、その名の通り子供といちゃいちゃするんですよね。

 

具体的な行動としては、子供を抱きしめながら「〇〇ちゃん、今日も大好きだったよ」と寝る前に必ず言葉にして伝えます。

 

どんなに疲れている日でも、どんなにイライラすることがあったとしても、1年間これだけは毎晩欠かさず行ってきました。棒読みの日もあったり(笑)、最初は子供もノーリアクションだったのですが、1年間ずっと続けて来れたのは、とあるテレビ番組での一コマがきっかけでした。

 

それは今から一年前、2020年7月に放送された、TBSの『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』での一コマでした。もしもペットが突然話しかけて来たら、子供は信じて話すかどうか?というコーナーで、ターゲットはココリコ遠藤さんの2人の息子さんでした。

 

大人が部屋からいなくなり、ペットの犬と子供たちだけになったら、犬が日本語で話しかけてくるんです。2人の子供たちはそれを信じて、犬とお話していました。その時の犬と息子君の会話が、とても印象的だったんです。

 

犬『〇〇君はさ、お父さん(ココリコ遠藤さん)のこと好き??』

 

息子さん『うん、好き!毎日「〇〇君大好きだよ」って言ってくれるんだよ!』

 

息子さんは「お父さんから愛されているという事」に自信がある様子でした。

 

別室でモニターを見ていた遠藤さんも、「ちゃんと僕の言葉、聞いてたんだ」と感心していました。

 

私はこのやり取りが物凄くいいなぁ~と思って、その日から早速真似してみました。寝る前に絵本を読んであげたり、色んな事をしてあげるほどの余裕はないけれど、「あなたを嫌いなどではない、むしろ大好きだよ。」と、心を満たしてあげることが出来ればいいな、と。

 

 

4.〇〇タイムを続けたことで起きた変化

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いちゃいちゃタイムを1年欠かさずに行ってきた結果、以下の様なうれしい変化が起きてきました。

 

いちゃいちゃタイムを1年続けた結果
  1. ポジティブな時間を意識的に振り返るスイッチが入る様になった。
  2. 子供が安心した様子ですんなりと眠る様になった。
  3. 子供が「だいすき!」と言ってくれる様になった。

 

変化①:ポジティブな時間を意識的に振り返るスイッチが入る様になった

1年前は、そもそも私が「大好きだよ」という言葉を絞り出すのに慣れておりませんでした(笑)。子供側も私の言葉をまだ完全に理解出来る様な歳ではありませんでしたが、続けてみようと思いました。

 

というのも、自分がどんなに疲れていても、カリカリしていても、「大好きだよ」と言葉にして発する事で、子供とのポジティブな時間を意識的に振り返るスイッチが入る様になったからです。

 

「〇〇ちゃんのどんなところが好き」とか「今日はこんなことが出来る様になったよね」とか、そんな言葉がスラスラ続く様になり、「明日も一緒に遊ぼうね」と温かい気持ちで一日の最後を迎えることが出来る様になりました。

 

「今日が早く終われ」と願いながら寝かしつけをしていた昔の自分からすると、これは大きな大きなプラスの変化でした。

 

変化②:子供が安心した様子ですんなりと眠る様になった

私にとっての良い変化は最初からありましたが、子供側はというと、最初はほぼノーリアクションでした(笑)。1歳になりたてで言葉もまだ上手に喋れない歳だったので、そりゃそうだよなって感じではありました。

 

しかし毎晩続けていると、次第に変化が出て来ました。

 

最初の変化は、「〇〇ちゃん、大好きだよ」と抱き締めると、ぎゅっと抱き返す様になって来ました。娘も安心している様子で、寝付くのも早くなって来ました。

 

慣れてくると、ベッドに入るやいなや、自分から私のお腹の上に乗って来て、ハグの態勢で待機してくれる様になりました(笑)。

 

変化③:子供が「だいすき!」と言ってくれる様になった

そして、だんだん娘がお喋りが出来る様になってきた頃、ビックリする変化がありました。

 

日中、普通に一緒に遊んでいた時に、とてとてとこちらに歩いて来たかと思ったら、「だいしゅき」と言いながらぎゅっと抱き着いてきたのです。これはとても感動しました。

 

娘の様子を見ていると、例え言葉の意味や理由は分からなくても、「ママは自分のことを好きなんだ」と自己肯定感に繋がっているんじゃないかなと感じます。

 

今は、寝かしつけへのストレスはほとんどありません。

 

「ねんねしに行こう?」と誘うと、大好きなぬいぐるみ達に「おやすみ~」と手を振りながら、ささっと寝室へ向かい、勝手にベッドに上がって待っていてくれます(笑)。

 

電気を消して、私がゴロンとベッドに寝転ぶと、お腹の上に乗って来たりゴロゴロとスキンシップを取り始め、「まま、だいしゅき~♡」と言いながら、向こうからいちゃいちゃしてきてくれる様になりました。

 

 

5.キラキラママは目指さない、子供が苦手なママでもいい

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世の中には育児を心の底から楽しむママもいれば、私の様なママもいます。やっぱり子供は苦手だけど、我が子を愛している、という狭間のギリギリママです(笑)。

 

私は自分の子育てに自信が無いので、発信するつもりは元々無かったですし、適切な表現や伝え方が出来るのかどうかも、個人的には少し怖いところでもあります。

 

それでもありのまま発信したいなと思うのは、ありのまま話してくれたママ友に過去に救われたことがあるから。

 

「キラキラママ以外にも、色んなママがいる」

 

この事実は、当時の私にとっては物凄く救いでした。 

 

urarie.hatenablog.com

 

 

 当時の自分を救うつもりで、子育ての記録も残していきたいなと思います。「大丈夫、何とかなるよ!」という気持ちで。それが誰かの心を軽くすることに繋がればいいなぁ。

 

 

***

 

 

P.S. 

最近、多忙を極めていたのですが、せかせかしている時こそ、あえて意識的に物凄くゆっくり歩くと、心が落ち着いていきました。

 

「行動する」「言葉にする 」って自分をマインドコントロールする力があるなぁと感じました。

 

 

*うらりえ*

 

 

次回のテーマ
  • 子供が苦手なママの子育て事情
  • SNS苦手民がネットで息していく奮闘記録 ☜ピコン!
  • 日々の出来事から考察して考えたこと

反省メモ

 

1.自分の悪い癖

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昨日は久々にブログを書いてみて思った。

「いや、長すぎやろ」って、失笑しながら投稿ボタン押してました。

 

自分の「思考の広がり」については矯正しないといけないな、と痛感した。

 

昨日のブログもさ、分解したら3記事くらいに出来る訳よ。「人生論とブログ論と交換日記プロジェクトの所感」だよ?それぞれ別の記事にしろよな、って思ったよね。

 

子育てしながらがしんどすぎて、それを言い訳に、毎日数分ずつの執筆時間を積み重ねて一つの記事を書いていたんだけど、このやり方は私の場合はアカンですね。

 

深く深く…と垂直方向に掘っている様に見えて、実は他の考えに移っていたり、水平方向に思考が泳いでいってしまう。それも無意識に。

 

日にちをかけることで、自分の文章を客観的に見れるというプラス面もあるんだけど、ブログという箱の中では、良くない癖が出て来てしまうやり方だなって思った。

 

文章能力を高めたいのであれば、最初にテーマをバシッと決めて、ある程度の制限時間の中で文章にまとめていく訓練も必要だと思った。

 

 

2.自分が無能であることを痛感

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紙の日記時代はさ、自分が書いた文章というのは、自分にとっては読んでて気持ちが良かったんですよ。だから定期的に読み返したりもよくしてた。

 

でもさ、このブログには現在50超の記事を投稿しているんだけど、まぁまぁ読み返す気がしないんだよね(笑)

 

いや、厳密に言うと、「自分が好きで何度も読み返す記事」と「そこそこ人に見られている記事」と「ゴミ多数」って感じ。最後、ごめん、過去の私(笑)

 

せめてさ、自分が読み返したいと思える様な記事を羅列したいよ。本当はそうしてから人様の目にもそっと触れる様にしたい。ゴミはゴミ箱に捨てたい・・・(涙笑)

 

でもそれじゃ全然成長しないのは分かっているから、もっと潔く恥を捨てるんだ~~。

 

 

3.自己成長に関する持論

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文章を書く技術を成長させたいと思っている訳ですが、自己成長を欲する時はそれが何であっても圧倒的な量の経験が必要だと信じてる派です。

 

というか、未知の世界をスマートに歩けるほど、残念ながら頭良くないんだなぁ(しょぼん)。

 

例えば、私のこれまでの人生で言うと、勉強、部活、恋愛、ファッション、仕事、ドラムなどなど、大抵がまずは一定量という経験値&失敗から学び、次第に自分軸いう質とオリジナリティに転換していっている。だから多分、文章術もそうだと信じてる。

 

最初から質を追求したり、教科書読み込んだり、師匠を探したり、そういうんじゃなくて。そんなんしてる暇あるなら、とにかく動いて、いっぱい失敗して、体で感じるんだー、みたいなんが持論。

 

人生快適に生きたい癖に、これに関しては泥臭くいくしかないんじゃないかと思ってる。でも大体経験の量がある点を超えたくらいから、グンって自分が大きくなるポイントがあるんだよね。

 

そこから理論を頭に入れると、凄い速さで吸収していくのよ。「うんうん、分かる、知ってる、これ体感済みだ!」って。

  

で、この持論に今の自分を当てはめるとですね。「あれ、どの口が言ってんですか??」って状態なので、量を確保する為、矯正という名の工夫が必要だなと痛感してる。

 

 

4.テーマを一旦決めてみようと思う

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ブログ運営において、超絶基本的なことだけど「ブログのテーマを設定すること」。分かってるのに聞こえていないふりを続けてきてたよね(笑)

 

でも、とりあえず好き勝手続けてみてきた結果、少しずつ自分の何が特徴的なのかも見えてきた様な気がする(気がしているだけかも)。あと、自分自身の気持ち的にも何を書いたら夢中になれて、何を書いたらやる気が出なくなるのか、何となく感覚が掴めてきた。

 

なので一旦テーマ的なのを仮にでも固めてしまって、量の訓練のフェーズに移るべきなんだろうなと思いました。

 

私の特徴的なところ(たぶん)

   ×

比較的量産できるカテゴリ(きっと)

   ×

書いててつまんないって自分がならない分野(だいじ)

 

って感じで考えると・・・

 

  • 子供が苦手なママの子育て事情
  • SNS苦手民がネットで息していく奮闘記録
  • 日々の出来事から考察して考えたこと

 

この辺かなぁと思うのです。

 

1つ目は、正直書いていくのはちょっと怖いんだよね。でもまぁ・・・暫定ってことでリストイン。

 

2つ目をこじらせた結果、大好きなアナログパワーを注入したくなって、交換日記プロジェクトとか文通とかを嗜むことに繋がっているので、その経過も2点目のジャンルとして盛り込んでいくよ。

 

3つ目は、ある意味フリー枠だよね。ここに関しては、自分の思考とか想いが膨らみやすいから、どう切り取っていくかの練習になると思うんだ。

 

一旦この夏はこんな感じでやってみようかな。理想は週3くらいで更新したいんだよなぁ。月曜日はこのテーマ、水曜はコレ、金曜はコレ、みたいな感じでグルグルまわしていきたい。

 

でも私の今の人生での最優先事項は「子供を育てること」。だから、無理してまでやらない。生活が最優先。これは肝に命じておく。

 

 

5.ツイッターに関して

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ツイッターはさ、くれぐれも必要以上に深入りしない様にしたい。

 

私の様な無能な文章書きにとっては、ツイッターの様な公開処刑場は必要だし、有難い場所なんだよね。だから恐れずに晒していきたいとは思ってる(本当は恐怖で心はプルプル震えているのだ・・・)。

 

それから、140文字という制限の中で文章を作ることはとても勉強になることが多いし、人と交流するのも基本的には楽しいんだけど、ノープランでやってしまうとあまりにも時間が奪われる。

 

それに、私そもそもそんな瞬発力のある文章が好きな訳じゃないしなー。瞬発力のある文章をたくさん読むより、一冊の本をじっくり読む方が学びも多いし好きなんだよね。あと、ノイズも多いから疲れやすい。

 

とはいえ、こういう長文ばかりを書いていると、瞬発力のある発信を欲してしまう時がよくある。隣の芝は青く見える的な。そういう時は、何かゆるい絵でも描こうかと思うよ。

 

絵はね、友人の間では昔から色紙やアルバム制作とか色々頼まれたりしてきたんだけど、自分としてはこっちも文章同様、力量不足がゆえに表現の幅が物凄く狭いなと感じている。頭の中のイメージと、動かせる手の差異が文章を書く以上に大きくて、描いててモヤモヤしたりする。かつ、デジタルなイラストというとホントだめ。

 

だけど、ブログやツイッターをやる中で、少~しずつこっちの技術も育って来てるから、こちらもサブ的に伸ばしていきたいなと思っている、長い目で。

 

ほんとはさ、このはてなブログという海で、近しい匂いがする人を探して、文章を通して交流したいなって思うんだけど、あれもこれもと出来るほど器用じゃないから、出来ることからやっていくことにする。

 

ツイッターは嬉しいご縁もあったりするもんだから、上手に使いたいなって思うんだけど、あまり欲張らない様にしよう。

 

とりあえず目下の目標は、3ジャンルでコンスタントに文章を書いて、量の訓練をしてみることかな。上手くいかなそうなら、どんどんやり方を変えていこう。

 

夏が終わる頃にまた振り返りたいなと思う。

 

 

 

  アイコン作り変えたら

\ ちょっと楽しくなった /

    *うらりえ*