玉ねぎのあれは目にしみる。

〝考え厨〟の頭の中のキロク。

自分のコンセプトの見つけ方

 

 

1.こんな方のヒントになるかも

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よろしければどうぞ

 

TwitterInstagramYouTubeやブログ。今は一個人が簡単に情報発信を出来る世の中になりましたよね。私もこうしてブログを運営していますが、やはり発信のコンセプトを固めるということは大事だと痛感しています。

 

発信のコンセプトを固めることって、簡単な様で難しいんですよね。私の様な凡人であれば尚さら(笑)

 

「発信のコンセプト=生き方のコンセプト」とも通ずるところがあると個人的には思っているのですが、土台がしっかりしていると軸のある発信どころか、実りある生活にも繋がると感じます。

 

前回の記事にも書きましたが、私も今まさにブログでの情報発信の軸を探し固めているところです( -᷅_-᷄ ๑)ムム そんな時、以前読んだ本のことをふと思い出したのですが、この本の考え方を取り入れること道が開けてきました!◝(⑅•ᴗ•⑅)◜パァ

 

なので、どなたかの道が開けるきっかけになればいいなと思い、今日はこの本のことを共有したいと思います。私の様に発信のコンセプトに迷う方以外にも、あらゆる方にオススメの考え方です。

 

こんな方にオススメ
  • 発信のコンセプトがなかなが定まらない方
  • 自分の個性の見つけ方を知りたい方
  • 今年の目標を定めたい方
  • なんとなく最近うまくいっていない方

 

 

2.自分のコンセプトの探し方

○コンセプト探しは〇〇探し

結論から言うと「自分が好きな “分人” を見つけよう」というアプローチ法です。

 

皆さんは“ 分人”という言葉を聞いたことはありますか?(˙˙*)

 

簡単に説明すると、“ 分人”とは人間の最小単位である「個人」をさらに細かく分けた人格の単位です。『私とは何か 個人から分人へ』という書籍の中で、著者である平野さんが新たに定義されている概念です。

 


私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

…と言われてもピンと来ないと思うので(私がそうでした笑)、もう少し具体的に説明します。

 

人はみんなその場の空気に合わせて、人格をいくつか切り替えながら生活しています。

 

例えば家族の前ではクールなしっかり者でも、友人の前ではおちゃらけたお調子者だったり、はたまた恋人の前では甘えた顔を見せたり。また職場の自分ひとつ取っても、上司の前なのか、後輩の前なのか、お客様の前なのか、対峙する人や状況に応じて違った顔を見せるもの。

 

これらの様々な顔は意識して「仮面」をかぶっている訳でも「キャラ」を演じている訳でもありません。自然と誰でもそうなるのです。

 

この顔ひとつひとつがあなたの“分人 ”です。

 

 

○私がコンセプト探しに苦労した理由

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the 迷子

 

著者の平野さんは、「個人」という単位では大雑把すぎて扱いづらい問題も、「分人」という単位で考えれば整理しやすいよ、ということを仰っています。

 

私の中にも様々な分人がいますが、私はこの分人たちの真ん中に、核となる「本当の自分」がいるものだと思っていました。だから「本当の自分=個性」がなかなか言語化できなくてグルグルしていました( ˊᵕˋ ;)こっちではこんな個性を発揮しているけど、あっちではこんな個性が全面に出てるしなぁ…という具合にグルグル…(笑)

 

こうして“ 個人”という大きな単位で自分を捉えようとすると、矛盾や不都合が出てきてしまい考えがまとまらない訳です。

 

 

○個性は流動的

一方、平野さんが提唱する分人主義という考え方の中には「本当の自分」という概念はありません。存在するのは複数の分人だけです。対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である、という考え方です。


そして、その人らしさ(個性)というものは、その複数の分人の構成比率によって決定されます。なので、分人の構成比率が変われば、当然、個性も変わるのです。

 

『個性が変わるのは当たり前』

 

私はこの言葉でグルグル、モヤモヤから何だか抜け出した気がします。

 

少し私の話になりますが、私は出産を機に自分の中に新しい分人が爆誕しました。そう「母」の分人です。そしてその新しい分人は新人のくせに、構成比率 堂々の第一位に鎮座しております( `ᾥ´ )笑  こうやって子供の誕生と共に突然に分人の構成比率が劇的に変化したことで自分の個性も変わったんだなぁとストンと腹落ちしました。

 

こういった大きな変化は親になることに限ったことではないですよね。人生のシンボリックな出来事があれば、誰でも新たな、そして大きな分人が作られます。そして各分人の構成比率が急激に変わることもあります。入学、卒業、就職、転職、恋人の変化、結婚など、他にも様々なことがきっかけになりえると想像できます。

 

分人のラインナップが変われば、また、その比率が変われば、個性は当然に変わるのです。

 

 

○個性をコントロールする

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個性はAボタンでジャンプし、Bボタンで走ります

 

また分人は、新たな人・環境・モノと出会う度に新たに自分の中で作られます。そして、逆にその人・環境・モノとの接点がなくなれば、その分人は消滅します。

 

これはつまり、ある程度自分の中の分人は、自分でコントロール出来る部分もあるということなのでは?と思います。

 

ある出会いにより、それ専用の分人が新たにつくられるのは無意識下で行われる自然現象です。ですが、そうやって生まれた分人たちの中から、自分で分人たちを取捨選択出来ることは出来る。つまり、自分が好きな分人のパーセンテージを大きくし、逆に自分が好きじゃない分人は消してしまう、なんてことも可能な訳です。

 

個性は先天的なものであり、コントロールする事なんて不可能と思いがちですが、新たな分人を作ったり、その比率を変えることで操作することが出来るんだと思うと、面白いのではないでしょうか。

 

 

3.自分が好きな分人、理想的な分人比率について考える

○どんな分人が好きか

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どのブンジンちゃんがお好み?

 

みなさんは、いま自分の中にどれくらいの分人が存在していますか?また、その中にあなたが好きな分人はいますか?

 

発信のコンセプトを考えるにしろ、今年の目標を考えるにしろ、なんとなく不調な毎日を変えたい時でも、自分の中の「好きな分人」を土台にこれからを考えてみてはどうでしょうか?

 

例えば私でいうと、我が子を叱ったり諭したりしている時の「厳格な親」「しっかりとした大人」としての分人はあまり好きではありません。多分まだ自信もないし、なんとなく違和感を感じているのが原因だと思います。

 

だけど、同じ親としての分人でも、娘の目線まで限りなく近くおりて、まるで「娘の友達」になっている時の分人は好きです。親として対応するというよりかは、大事な親友の話を聞こうとしている時の姿勢にかなり近い感じ。また、面白そうな遊びやアイデアを思いついた時の「これとあれをこうしたらめっちゃ面白そうじゃない!?(´。✪ω✪。 ` )●●ちゃん、これ好きそうー!!」などと無邪気な好奇心から娘に提案する時は、ワクワクした気持ちで友人を先導する時に似ていて、そんな自分は好きです。

 

他にも友人の前での分人といっても、中学からの友人との分人と、社会人になってから出来た友人との分人では、かなり違います。どちらの分人にもそれぞれ違った好きな面とそうじゃない面があります。

 

好きな分人たちを見つけてそこを土台とすることで、理想的な分人比率をつくることも出来ます。

 

 

○分人の整理を後押ししてくれる映画

好きな分人の比率を大きくする一方、好きじゃない分人との決別、分人の整理も同じくらい重要です。しかしこちらは時に勇気が必要で大きな決断を要すると思います。

 

そんな時にぜひ見て頂きたい映画があります。きっと分人の整理を後押ししてくれるはずです。

 

真木よう子さん主演の『脳内ポイズンベリー』というラブコメ映画です。

 


脳内ポイズンベリー

 

7歳年下のフリーター早乙女に恋をしたアラサー女子いちこ。「話しかける?」「話しかけない?」恋するいちこの頭の中では、擬人化した5つの思考“ポジティブ”、“ネガティブ”、“理性”、“衝動”、“記憶”が脳内会議を繰り広げながらいちこを動かしていく様子が描かれています。この脳内会議の描写がかなり面白い映画です(笑)

 

この映画のラストの方で「分人の整理・決別」に通ずる印象的なセリフがあります。

 

↓ ちょこっとだけ

↓ ネタバレ要素を

↓ 含みます

 

いちこはひとめぼれした早乙女と付き合うことが出来たのですが、最終的には迷いに迷った末、いちこから別れを告げます。その時のいちこの印象的なセリフがこちら。

 

「早乙女のことは好きだけど、早乙女といる時の自分は好きじゃない」

 

この映画を見たのはもう5年以上前ですが、今でも覚えているセリフです。

 

この考え方は個人的にとても好きです。対象の人・モノ・環境のせいにせず、それによって作られる分人をどう感じるか?で判断する考え方。悩ましい選択・決断をする時でもとても納得感があると感じます。

 

もし今あなたの中に好きじゃない分人がいる場合、ぜひ見て欲しい映画です。

 

 

4.余談&まとめ

まだ分人主義という考え方を知らない頃に、私は自分の中の分人について言語化しようと過去のブログ記事で実は試みていました。

 

urarie.hatenablog.com

 

そして、なんとなく当時の分人比率に違和感があって、今思えば「本当の自分」たるものを探そうとしていたのかな、と思います。

キョロ(・ω・`三´・ω・)キョロ

 

でもそうじゃなくて、その一つ一つの顔が全て本当の自分であり、ナチュラルな個性であること。そして、その個性は環境や状況に応じて流動的に変化するものであること。好きな分人を土台として、心地よい分人比率をある程度自分でコントロール出来ること。そうやってふんわりと自分を客観視することで、その時々の自分の軸(コンセプト)や変化を前向きに受け止められる様になりました。

 

生きていれば、誰にでもシンボリックな出来事や変化は起きると思いますが、もし自分のコンセプトが見えづらくなった時は「自分が好きな分人」を探してみてはいかがでしょうか?( ¨̮ )

 

 

 

\  インサイドヘッド/

     \ も好きです /

         * うらりえ *

来年こそはブログのコンセプトを固めたいぃぃぃ

 

1.1か月ブログをお休みしていた理由

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何の予告もなく閉店ガラガラ(おい)

実は今ブログの設計図を作っています

 

理由はタイトルで叫んでる通り

ブログのコンセプトを固めたいぃぃぃ

んです。

 

具体的には以下3つを目論んでいます

  • ブログタイトルを変えたい
  • カテゴリを整理したい
  • 記事の取捨選択をしたい

 

 

これがですねぇ…

ネット関係ドシロートの私には想像してた以上に難しくてですね、、、苦笑

 

毎日大学ノートにアイデアを書いてはネット検索をし、また再考してはネット検索をする日々です(笑)

 

 

そうやって頭ばかり使う日々で

身体を使うことが疎かになっていたようです

 

すみませんオシャレに言ってしまいました

もう少し端的に言うと・・・

 

太って来たことに気付きました(え笑)

 

なので最後らへんは食事管理・ストレッチ・筋トレにガチで明け暮れておりました

(現在-1.5kg!戻るまでもうちょっとぉぉ)

 

 

1個集中すると

1個疎かになる・・・(くそぉ・・・

 

 

そんなこんなであーーっという間に

O-MI-SO-KA!!(꒪д꒪II

おーまいがーっ(꒪⌓꒪)

 

 

2.悩んでいること

■1つめ

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「ねぇねこちゃん、どうしよう?」『おなかすいたニャー』

もの凄ーーく かいつまんで述べると

 

  1. 子育てブログ
  2. 子育て以外のブログ

 

どっちがフィットするかをずーっと考えています

 

結論どっちも混じった雑記ブログになることは見えてるんですけど(笑)、軸をどちらにするかで外見(タイトルやその他諸々)が変わるなぁーって。

 

urarie.hatenablog.com

 

ちょっとここから私の矛盾バナシをどなたか聞いて頂きたいんですけど(笑)

 

わたしは純な子育てのブログをしたくないんですよ

 

『じゃ、やめとけばいいじゃん』

 

いえす。

私も当然そうツッコミましたよ( ¯−¯ )ダヨナ

 

だけど私の頭の中は「子」に侵食されまくってるんです

 

子供のことをダイレクトに考えている時はもちろん、子供以外の自分の趣味や仕事のことを考える時も

 

「これを子供と一緒に出来ないか?」とか

「やりたいことをする為には、子供をどうしたらいいか?」

 

と、常に主語は『私と子』なんですよね。

 

(子供がまだ2歳と幼いということが理由としては大きいですが)

 

 

「子」に「私」が完全侵食されたくない!という想い(強めの抵抗感)と

 

いやしかし

「子」抜きで今の私のほとんどを語れねぇだろがい!っていうリアルの狭間でウーロウーロしてます

 

 

■2つめ

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「あのねくまさん、きいてほしいんだ」『はちみつ食べたいなぁ』

そして悩んでいること2つめ。

 

  1. 人に読まれたいのか?
  2. 自分の納得いく記録が出来たらいいのか?

 

これも結論は何となく見えてる

 

『どっちも混じってていいやん』

ってなると思うんですけど(笑)

 

結局1つめの話とリンクしてくるんですよね

 

コンセプトが固まれば

自分の「ブログへのスタンス」も自然と固まると思うんです

 

 

ちなみに

「2.自分の納得いく記録が出来たらいいのか?」について

 

とあるアナログ手帳との出会いも大きく影響しています

 

この手帳が「自分のための記録媒体」としての役目を負ってくれそうなんですよね

 

だからこそブログの立ち位置が少し変化するのも必然なのかも

 

 

3.自分軸手帳との出会い

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お久しぶり!アナログ手帳さん

先月からアナログ手帳を付け始めました

 

その名も「自分軸手帳」

 

twitterを積極的に使っていたときに見かけて、来年は使ってみたいなぁーと思ってました

 

そしてついに2022年版を購入

 

特典で2021年末のダイアリーもちょこっと付けて下さっていて今それを使い始めていますが、とても良きです(こちらについてもまた記事にしたいところ)

 

 

久々に私の生活に「アナログの記録媒体」が復活しました

 

アナログとデジタルにはそれぞれメリット・デメリットが当然ありますが、やっぱり下記はアナログの方が強し

 

  • 時間の可視化
  • イデアの可視化
  • 日々の俯瞰しやすさ
  • スピード感

 

 

つまりですよ?

 

前述した下記ブログに求める役割の中で

 

  1. 人に読まれたいのか?
  2. 自分の納得いく記録が出来たらいいのか?

 

2番の割合が自然と減少していて(自分軸手帳に移行していて)、ブログの位置づけとしては1番の比重が大きくなっているんです、勝手に

 

結果、余計に「コンセプト固めたいぃぃぃ」に繋がってるんです

 

 

4.2021年のブログ生活の総まとめ

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玉ねぎのあれがしっかりと目にしみた1年でした

まずはお礼をお伝えしたいです

 

こんな拙いブログですが

読んで下さる方がいて

リアクションをして下さる方がいて

 

本当~~~に嬉しいです!

励みにしかなりません( ᵒ̴̶̷̥́ㅿᵒ̴̶̷̣̥̀ )

 

いつもご覧頂きありがとうございます( ´͈ ᵕ `͈ )

 

 

なんだかんだで2021年

1年で42記事かいていました

 

1ヵ月あたり3.5記事ですね

 

質に関しては思うことあり過ぎるし

コンセプト固まってないし

自分のアウトプット力の低さにうんざりだし

 

…反省はほんとに尽きませんが

 

その分学びも多かったし

やっぱりブログは楽しいです

 

 

1つ体感したこととしては

私自身がこのブログの読者なんだなーってことです

 

  • 読み返したいと思える
  • 読んでて面白い
  • 読んだらモチベーションあがる
  • 読んだら当時の学びを思い出す

 

なんかそういう気持ちが入ったものだと大事にしたいと思えるし、また書こうって次の意欲に繋がる気がするなぁーって感じがします

 

 

細かいところでいうと

 

目次を設けたり(=#思考メモ の記事でさえ見出しをつくったり)

見出しごとに画像を挿入したり

挿入画像にキャプションをつけたり

 

こういうのは「私」という読者のためにやっているものでした

 

ブログ更新数を担保するためにはむしろ不要だし辞めるべき点ですが

現時点では「私」がそれなしでは楽しく読めなかったんです

 

 

こういう小さなことも含めて種々気付きはありました

 

来年はブログのコンセプトを固めて

「私以外の読者さま」に面白いと思って頂ける様、かつ私も楽しいと思えるブログになる様

試行錯誤していきたいと思います

 

 

2022年もどうぞよろしくお願い致します

 

 

\ よいおとしを /

* うらりえ *

他人に期待しない生き方は超オススメ。3つの方法をシェアします。

 

 

1.他人に期待しない生き方は超オススメ

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人の悩みの9割は“人間関係”・・・?



今日は

 

他人に期待しない生き方は超オススメ

 

って話をしたいと思います。

 

 

対人関係でイライラしたり、悩んでいる人に読んでほしいです。

 

ほんとにイライラもモヤモヤもなくなるから(当社調べ)

 

 

結論からいうと、以下3点が「他人に期待しない方法」です。

 

  1. 常に最悪のケースを考えておく
  2. 優しさはただの自己満足と心得る
  3. 注意や叱責はただの意思表示と心得る

 

※ 詳細は後で説明しますね ※

 

 

 

2.オススメする理由

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これだけはオススメしたいの

 

今回この記事を書いた理由は

周りの友人たちが立て続けに人間関係で悩んでいて辛そうだったからです。

 

最終的にはみんな「他人に期待しない」という選択を取り、スッキリ解決しました。

 

 

パートナーや恋人、子供、親友、会社の同僚など

相手が自分に近しければ近しいほど、人間とは自然に相手に期待してしまうものです。

 

 

「私なら絶対こうする!(あの人はそうしない)」

「普通気付くよね?(あの人は普通じゃない)」

「俺はこう言ってるのに、全然聞かないんだよな…」

 

 

こういう話ってよく聞くし、主張は割と正論だったりします。

 

だけど、他人に期待してしまってる。

無意識に他人を自分の思い通りに動かそうとしてしまっている。

 

それが人間関係がうまくいかない根本原因。

 

 

 

他人に期待する・しないは、それぞれの自由。

 

だけど他人に期待した結果、イライラ、モヤモヤが続くのであれば、

最初から他人に期待をしないことでノンストレスに生きられるという選択も視野に入れてほしいんです。

 

驚くほどに快適ですから。

 

 

 

3.他人に期待しないための3つの方法

他人に期待しない方法として、わたしが実践していることを3つご紹介したいと思います。

 

 

1.常に最悪のケースを考えておく

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最悪こうなって、ああなったら・・・うん、ヤバイ。

 

具体的な対策としては、これがいちばん有効です。

 

「あの人なら、

    あの子なら、

    彼・彼女なら

 

 きっと〇〇してくれるだろう」

 

という根拠もない期待が、イライラとモヤモヤを生みます。

 

 

 

相手に期待するということは

 

相手に任せっぱなし

責任をすべて相手に負わしている状態

 

だから期待通りに相手が動いてくれなかった場合に、不満に直結してしまいます。

 

 

 

それを避けるために

「もしかしたら〇〇してくれないかもしれないというスタンスで接してみてはどうでしょうか?

 

そうやって常に最悪のケースを考えることで、相手に任せっきりにして責任を全て負わせることは自然と無くなります。

 

「もしかしたら〇〇してくれないかもしれないから、私はこうしようと、自責で考え行動することが出来ます。

 

 

 

2.優しさはただの自己満足と心得る

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「自分が」優しくしたいと思ったときに優しく出来ればそれで充分

 

これは考え方の話になります。

 

 

あなたは他人に優しくするとき、どんな気持ちで接していますか?

 

 

おそらく多くの方が

「喜んでもらえたらいいな」

という純粋な気持ちで、相手に優しくしていると思います。

 

 

この優しい気持ちってものすごーーく素敵ですよね。

そう思ってもらえる相手の方は幸せだなと思います。

 

 

ただ、

 

優しさは時に、相手に自分の価値観を暗に押し付けてしまっている恐れがあることを心得ておくと、他人に期待せずに快適に生きていけますよ。

 

 

 

相手との人間関係が順調なときはいいんです。

 

だけど、何かの拍子で綻びが出来たときに

 

「あんなに良くしてやったのに」

「優しくして損をした」

「裏切られた気分だ」

 

と、急に今まで優しくしてきたことを棚にあげて怒り出す人がいます。

 

 

優しさは「ただの自己満足」と考えておくととても楽です。

 

 

何かを期待して優しくするくらいなら、優しくしなくていいんじゃないかと思います。

 

「相手が応えてくれなくても問題なし」

「私の自己満足で優しくしてるだけ」

「そもそも相手は私に優しくされても嬉しくないかもしれないし」

 

  • 自分の優しさを過大評価しない
  • 相手に何かを期待しない
  • 自分の優しさはただの自己満足

 

そういうスタンスで人に優しく接することで、余裕を持って人間関係を築けるはずです。

 

 


3.注意や叱責はただの意思表示と心得る

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「わたし、言ったからね?」──言う・言わないも自由。聞く・聞かないも自由?

 

先程の「優しさは自己満足」と同様、こちらも考え方の話です。

 

 

あなたは他人とぶつかる時、どんな気持ちでぶつかっていますか?

 

 

多くの人は

ぶつかりたくてぶつかっている訳じゃないと思います。

ぶつかるのもエネルギーがいりますからね・・・

 

もうそうするしかなくて、意を決してぶつかる場合もあると思います。

 

 

本当は避けたいけど、必要と思うから

  • 話し合いをする
  • 注意をする
  • 怒る

実はどれも前向きな行動だと私は感じます。

 

 

 

だけど「優しさはただの自己満足である」のと同様、

他人に注意・叱責するなどネガティブなアプローチをする時も「これはただの意思表示」くらいに思っておくと気が楽です。

 

 

  • 伝えたところで何も変わらないかもしれない
  • 相手の劇的な変化に頼らない
  • これはただの自分の意思表示

 

意思表示をするのは大事。

言葉にしないと伝わらない。

 

だけど「伝えたらOK」と相手に任せっきりにするのではなく、

「これはただの意思表示」というスタンスでいると建設的な対策を打てるはずです。

 

 

 

4.人に期待しない生き方は寂しいのか?

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信用して大丈夫なんだろうな?さびしくならねーか?

 

結論から言うと

全く寂しくないです。

むしろ、嬉しいことが増えます

 

 

あのユニクロの「顧客満足の方程式」ってご存知ですか?

 

期待 > サービス     → 不満

期待 = サービス     →普通、納得

期待 < サービス     →満足

期待 << サービス  →感動

 

ユニクロの高い顧客満足の秘訣は、常にお客さまの期待を遥かに超えるサービスを追い求めているからなんですね。

 

 

ここで、さきほどの表の「サービス」を「相手の言動」に置き換えてみます。

 

相手への期待 > 相手の言動     → 不満

相手への期待 = 相手の言動     →普通、納得

相手への期待 < 相手の言動     →満足

相手への期待 << 相手の言動  →感動

 

 

期待が大きいほど「満足」はおろか「納得」のハードルが高くなります。

 

逆に、期待が小さいほど「納得」どころか「満足」「感動」のハードルも下がります。

 

 

つまり、

 

他人に期待せずに生きると

人間関係で不満なことが勝手に減り

嬉しいことが自然と増えます。

 

 

私はこうやって20年近く生きてきましたが

間違いなく楽!快適です!

 

 

 

5.まとめ:やっぱり他人に期待しない生き方はオススメ

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期待が叶わなくても、あなたの存在に影響されていることはきっとある



ここまで、他人に期待しない生き方がいかにオススメか書いてきました。

 

とはいえ、他人に期待しちゃうときって誰でもあると思います。

 

これを書いている私自身も、信頼*している人や期待したい人はいます。

 

(*信頼とは、未来の行動を信じ「期待する」ことだそうです…( ☉_☉) !)

 

 

 

わたしたちは感情のある人間なので、常に「他人に期待しない生き方」を貫くことは難しいかもしれません。

 

それでも、やっぱり他人に期待しない生き方を超オススメします。

(だって、いいことの方が圧倒的に多いんだもん!)

 

 

 

同じ期待をするにしても

 

「私は今この人に期待してしまっている」

と客観的に理解しているのと

 

全く無意識でやるのとでは、その後の事態の受け止め方が全然違うからです。

 

 

うっかり無意識に相手に期待してしまって、勝手にモヤモヤ・イライラしてしまっていたとしても、事態が大きくなる前に鎮火できる可能性もかなり高くなります。

 

 

 

 

私は今2歳の娘の子育て中ですが、可能な限り我が子にも期待せずに生きたいと思っています。

 

 

期待することにエネルギーを注ぐよりも

 

子供が選んだ道の先でたとえ何が起きても、守ってあげられる器量を身に付けることにエネルギーを注ぐべきかなと思います。

 

(…あくまで理想論ですがね( ˊᵕˋ ;) )

 

 

 

一説では、人の悩みの9割は人間関係だと言われています。
 

人間関係のモヤモヤ・イライラに疲れて潰れてしまうことなく、笑顔で過ごせる人が少しでも増えればいいな、と願います。

 

 

 

 * うらりえ *

「ブログも見た目が9割」な気がします

 

 

1.見た目を意識すると迷いが減りますね

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どうやってラッピングしましょうか

このブログの説明文を変えました。

変えた理由は「迷いを減らしたい」とずーっと思ってたからです。

 

ブログでも

ファッションでも

住まいでも

何にでも当てはまるなぁと思うんですけど

 

見た目を意識すると、迷いが減りますね。

 

 

厳密に言うと、ニワトリが先か卵が先か…みたいな話になるんですけど、

 

迷いが減ることで見た目に反映されるし

見た目を意識することで迷いも減るし

 

相乗効果なのかな。

 

 

私はブログの更新が死ぬほど遅いんですけど(涙)、頭の中ではほぼ毎日ブログのことを考えてます。

 

で、いつも思ってたのが、自分のブログなのに書く内容めっちゃ迷うしめっちゃ時間かかる現象、これなんなん(笑)ってことでした。

 

毎日ブログのことを考えるくらいブログが好きなのに、いざ手を動かすと死ぬほど遅くて、

 

「やりたいのにできねぇ…( `ᾥ´ )!」

「なんでこんな書き直してんだ( ー̀罒ー́;)!」

 

ってヤキモキしてました。

 

 

お分かりの通り、迷う理由、時間がかかる理由の根本原因はブログのスタイルが確立出来ていないっていうとこなんです。

 

だから自分のスタイルってやつをですね、ゆ〜っくりと探しつつ、ちょ〜っとずつ迷いとか余計な物を削ぎ落としていけたらいーなぁと思ってます。

 

 

むかし「人は見た目が9割」ってタイトルの本が話題になりましたよね。私は結局いまだに読んでないんだけど、何かタイトルにインパクトあってふと思い出しました。

 

さっき書いた、意識と見た目の相乗効果みたいな意味も込められてるのかなぁと勝手に想像して、今日の記事のタイトルをつけてみた感じです。

 

 

 

2.新しいブログ説明文の意味

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何か書いてあるわよ

こちらが新しい説明文です。

 

親が敷いてくれたレールから飛び降りた世間知らずの女子高生だった私がワーママになり、子育てについて子供と一緒に模索するブログ

 

え、ながっ(笑)

 

またこれを変えられる頃、自分のスタイルが今より少しハッキリしてたらそれでよしってことにします(笑)

 

 

全然まとまっていませんが、唯一ちょっと分かったことがあります。

 

 

それが、

 

私、子育てって親がするものじゃないよな、って強く思ってるようです。

 

子育ては子供と親でするものだと思うんですよ。

 

 

ここからは少し自分の話になってしまうんですが。

 

そういう風に強く思った原点っていうのが、

親が敷いてくれたレールから飛び降りた世間知らずの女子高生だった私

ここにありまして。

 

高校2年生の時に、私は周りの人たちの期待を盛大に裏切っています。

 

そして何人にも何ヶ月にも渡って引き止められ続け、泣いてキレて大喧嘩しまくってました(笑)。

 

詳しい話は割愛しますが、レールを敷いた親に憎しみなんかは一切ないです。むしろ私のことを想ってレールを敷いてくれたことに感謝してます。

 

 

だけど、未だに答えが出ないんですよね。

 

「この時もし私が母親の立場だったら、この女子高生にどんな風に接していたかな?」ってことが。

 

ほんとの答えは、この瞬間だけを見つめてても絶対に出ないんですよね。

 

この瞬間にたどり着くまでに積み重ねられた一日一日が影響してて、私の生い立ち、しいては、それまでの16年の「子育てられ方」がまるっと影響してる。

 

 

そして今、自分が親の立場になり、当時親が私にしてくれた子育てを本当の意味でなぞれる様になりました。

 

条件が整った今だからこそ、この謎を解き明かしたい、っていう好奇心が強くなってるんですよね。

 

それに「子育て」っていう視点だけでは紐解けないだろうなぁ。

 

 

ま、なんだかんだと書きましたが

 

私の子育ての価値基準はこの出来事が間違いなく原点になってます。

 

 

これから自分の好奇心にしたがって勉強もするし、色々チャレンジしていく中で、見つけたことや気付いたことを、子供や身近な人、はたまた画面越しの誰かにシェア出来たらいいな、って感じの内容が新しい説明文に…反映…されてたらいいんですけど(笑)。

 

 

まとまりないですが

今日はここまで。

 

 

\言葉にするってムズカシぃぃ/

                うらりえ

 

相手が子供だろうが大人だろうが、信頼は「いつもの姿勢」からしか生まれない

 

1.信頼は「いつもの姿勢」からしか生まれない

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見てるんだよね、背中を

最近、子育てで悩んでいたことがありました。

 

悩みの詳細は後述しますが、それを紐解いていく中で、子育ても大人同士のコミュニケーションも結局同じだなぁ、と考えさせられる出来事がありました。

 

何が同じかっていうと、

 

相手が子供だろうが大人だろうが、そもそも信頼関係がなけりゃ話になんないよね

 

ってこと。

 

信頼関係って「いつも約束を守ってくれる」とか「いつも話を否定せずに聞いてくれる」とか、結局「いつもの姿勢」から生まれるもの。

 

それに当てはめると、子供との信頼関係も結局「いつもの姿勢だよなぁって。

 

  • いつもママは遊んでくれる
  • いつもママは話を聞いてくれる
  • いつもママは私を好きでいてくれてる

 

「いつもママは私を見てくれている」という愛着形成が出来てこその信頼関係。

 

子育ても人との付き合い方も正解はない。

だから難しい。

 

正解は人の数だけある。

何が信頼に繋がるかも微妙に人によって違う。

だから難しい。

 

だけど、信頼や愛情は「いつもの姿勢」からしか生まれない。これはみんな一緒。

 

小さくて大したことない出来事ではあるけど、これからも子供と生活していく中で「信頼関係」、つまりいつもの姿勢」を基準として考える考え方は大事だなぁと感じたので、今日はそのことについて書いていきたいと思います。

 

 

2.子供とのコミュニケーションの取り方で悩んでいたこと

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“無限電池”を背負っている子どもたち…

何に悩んでいたかというと、

 

子供のテンションについていけなーい( ´-` lIl)ゲッソリ

 

ってことが増えて来てたこと(笑)

 

今娘が2歳4ヵ月になったところですが、語彙が大爆発しています。

 

2歳になるちょっと前からおしゃべりが上手になりだして、歌が歌えるように。そして噂の「イヤイヤ期」にも突入。

 

「嫌」という気持ちだけでなく「嬉しい」とか「楽しい」とか「自分はこうしたい」という気持ちをしっかりと言葉で表現出来るようになりました。

 

ほんと急に動物から人になったって感じ。

 

テンションが全解放しています、プラスにもマイナスにも。

 

嬉しい時も全力!

怒っている時も全力!

不満な時も全力!

 

常にフルMAXのテンションで気持ちを言葉にのせてぶち当たってきます。

 

で、問題なのが、過去のブログにも書いているんですけど、私がこういった子供の全解放されているテンションについていくのが元々苦手な人間っていうこと…(苦笑)。

 

urarie.hatenablog.com

 

いや、私も生粋の関西人なので「テンションおもしろモード」みたいなチャンネルは標準装備されてるし、割と陽気な人間なんですけど、、、ずーーっとはなかなか大変…(笑)。

 

かたや子供はこっちの事情おかまいなしに、常にフルMAXのテンション、、、。

 

まぁ幼児に限っていえば、こうやってテンション全解放でマシンガントークするのも、イヤ!!って気持ちを全力で表現するのも、ものすごく順調な成長を遂げている証拠。

 

だからそれを辞めさせるとか、制限させるとかは絶対にしたくない。

 

でも一方で、受け止められない気分の時も現実問題としてある。そういう時にどうしてあげたらいいんだー!?

 

という点で悩んでいました。

 

ママも人間だもの・・・しんどい時もあるのよ・・・疲れている時もあるのよ・・・

 

 

3.どんな工夫を取り入れたか?

結果的には、「いつもの姿勢」を見直したことで良い方向に向かっています。

 

娘と私の信頼関係を地道に積み重ねていこうという気持ちで、生活に『工夫』を取り入れることにしました。

 

どんな工夫かというと、たとえばこんな3つ。

 

  1. 園へのお迎えをあえて徒歩で行く
  2. 朝のメイクはダイニングでする
  3. いちゃいちゃタイムの回数を増やす

 

それぞれの詳細についてまとめてみました。

 

1.園へのお迎えを“あえて”徒歩で行く

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家ってこんなに遠かったっけ…?笑

保育園の送迎用に子乗せ電動自転車を買ったのですが、今は朝しか使っていません。お迎えは“あえて”徒歩で行っています。

 

自転車だと5分ほどの道のりですが、子供と一緒に歩いて帰ると30〜40分はかかります(笑)

 

落ち葉や木の実を拾ってみたり

階段を登ったり降りたり

途中のベンチでお菓子を半分こしながら休憩したり

公園ですべり台をしてみたり

 

子供の好奇心の赴くままに、寄り道をしっかりしながら帰ることにしています。

 

「1分でも早く帰って家事や育児に取り掛かりたい( ー̀罒ー́;)」

 

今まではそういう気持ちが強かったですが、今はこの寄り道タイムが平日の親子の大事なコミュニケーションタイムとなっています。

 

もちろん、この時間を作るためにそもそも家事の時短も工夫が必要。

 

便利家電や宅配サービスを駆使して生み出した時間を、このお迎え後の寄り道タイムに充てることにしています。

 

 

2.メイクはダイニングでする

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洗面所でやる方が速いんだけどね

これは賛否両論ある気がしますが、私にとっては朝のメイクタイムは親子の大事なコミュニケーションの時間になっています。

 

朝はどうしてもバタバタと動きがちで、じっと何分も娘の隣に座っておしゃべりに付き合う余裕がありませんでした。

 

であれば、嫌でも15分ほどじっとせざるを得ないメイクの時間を、あえて子供が起きてから&あえて子供の隣でやったらどうだろう?

 

という発想の転換で今に至ります。

 

最初は衛生面の観点から娘に化粧品やメイク道具の存在を認知させるのはどうなんだろう?と迷いましたが、思い切ってやってみた結果、これが意外とよかったです。

 

娘の最初の反応は予想どおり興味津々で「これは何だ!?」「これは?これは?」の質問攻めでした(笑)。

 

その時に「触っちゃダメ」ではなくて、一つ一つ「それはマスカラ」「それはアイブロー」「それはチーク」と答えて好きに触らせてあげたのですが、これが良かった様です。

 

「これは、ちーく!ますから!」などと喜びながらある程度自由に触ると満足し、3日目ぐらいから横で私がメイクをしてても気にする素振りもなく、メイク道具にも触らなくなりました。

 

触ると言っても、自分で蓋をひねって開けたりはまだ出来ないので、ちゃんと大人が見てさえいれば危険性はないんじゃないかなと思います。

 

今はメイク中の私の膝に娘がゴロゴロ乗ってきたり、隣にぴったりくっつきながらテレビを見ている事が多く、おしゃべりをしたり触れ合いながら、のんびり楽しく朝の準備が出来ています。

 

 

3.いちゃいちゃタイムの回数を増やす

『いちゃいちゃタイム』とはこちらです。

urarie.hatenablog.com

 

朝、娘が目覚めた時

夜ご飯のあと

寝る前

 

心に余裕がある時は、集中してイチャイチャするようにしています(笑)

 

ワーママ・ワーパパが、平日に子供とゆったりと過ごせる時間は限られています。そのわずかな時間の中で、出勤や登園の準備をしたり家事・育児をこなす「作業」がどうしても最優先となりがち。

 

子供とじっくりと触れ合える時間は一体何時間?…いや、何分?

 

私の場合は、この時間が全然確保出来ていなかったな、と反省しました。

 

忙しい時こそ家事もスマホも一旦ほったらかして思い切っていちゃいちゃした方が、その後子供のテンションがほくほくして落ち着いていることが多いです。

 

たった2〜3分のいちゃいちゃタイムであったとしても、子供にはしっかり伝わっていると実感しています。

 

 

4.いつもの姿勢を見直した結果、起きた変化

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「何だかちょっと前と違うママ…」

自分なりにいつもの姿勢を見直して子供と接していた中で嬉しい変化がありました。

 

その日は仕事が忙しくて、お迎えの後も凄く疲れていました。その時にテンションフルMAXで話しかけてくる娘にこう言いました。

 

「今日は、ママすっごくしんどいの。ちょっと休憩してもいい?」

 

すると、以前なら「やーだ!あそぶ!!」とご不満な表情を見せていた娘が「うん、わかった」とすんなり受け入れてくれました。

 

「おねつ、はかる?」と体温計を持って来て私の服の中に投げ込んでくれたり(←脇に挟むということはわからなかったみたいです笑)、「〇〇ちゃんがトントンしてあげる」と横たわる私のお腹をトントンしてくれました。

 

その後も一人でテレビを見たり、おもちゃで遊んだりしながら、静かに横で過ごしてくれたことがあります。

 

2歳と侮ることなかれ。子供と侮ることなかれ。

 

子供は子供なりに、よくも悪くもしっかり親の言動をいつも見ているんだな、と痛感した出来事でした。

 

これも、日々の「いつもの姿勢」を改善したことで、娘の中で「ママはいつも私のことを見てくれている、遊んでくれる」という安心感・信頼感が育まれてきた証拠なのかなーと、いいように解釈しています(笑)。

 

子供も親も人間なので、そんな綺麗ごとだけではどうにもなんない日も勿論あります。

 

そうやってうまく行かない日が時々あったとしても、大事なことは変わらなくて、

 

信頼や愛情は「いつもの姿勢」からしか生まれない。一朝一夕では築けない。

それは相手が子供だろうが大人だろうが同じこと。

 

これからも子供や大切な人と生活していく中で「信頼関係」、つまり「いつもの姿勢」を基準として考える考え方は大事だなぁと実感した出来事でした。

 

 

 

* うらりえ *

 

ブログを続けたら「メタく」なれるかも

 

 

1.Facebookが社名を「メタ」に変更したそうです

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当時のこの「青いf」の人気はなかなかだった記憶がある

 

10月28日、Facebookが社名を「Meta(メタ)」に変更しましたね。

 

このニュースを知った最初の感想は

 

「ん・・・!?メタだと・・・!?」

 

と妙に刺さりました。

 

というのも、ちょーーど今わたしの中で「メタ」という単語が熱いんですよ。

 

以前の記事で「コーチング」に興味がある旨を書いたんだけど、その流れでメタ認知という概念と出会ったんですよね。

 

urarie.hatenablog.com

 

メタとは「高次の〜」とか「卓越した〜」って意味。つまりメタ認知っていうのは『自分が認知していること(記憶、思考、感情、知識とか)を、高次の視点から認知する』という直訳になる。

 

もうちょっと平たくいうと『自分を客観視出来て、さらにコントロール出来る能力』ってこと。

 

教育関係や人材育成、経営などの業界で重要な能力の一つとして注目されるようになってるみたいなんだけど、人生快適にいきたい身としても個人的にはこの力は大事だなーと思ってる。

 

まぁそんなこんなで、今わたしの中では「メタ(認知)」がホットな訳なので、今日はメタなおはなしをしたいと思う。

 

あ、ちなみにちょっと話は逸れるけど。

見出しのFacebookの話だけ回収しておく。

 

Facebookの方の「メタ」の由来は、仮想空間である「Metaverse(メタバース)」事業に本気で取り組んでいく姿勢の表れらしいよ。

 

メタバースってのは「超(meta)」と「宇宙(universe)」を組み合わせた造語なんだって。元々は、SF作家のニール・スティーヴンスンさんって人が、1992年に発表した作品『スノウ・クラッシュ』に登場する、架空の仮想空間サービスに付けられた名前だったらしい。(※参考サイト「IT media NEWS」より)

 

Facebookの方の「メタ」は、もっと高次元的なハイテク臭の強い「メタ」っぽいね。

 

まぁわたしにとっては、はてなブログも、Facebookも、Instagramも、twitterも、広い意味では充分メタバースだけど。

 

わたしがインターネットという仮想空間でしっかり息するようになった背景には、「コロナ」と「育児」という現実世界の閉塞感がきっかけとしてある。まだコロナとのお付き合いは完全には切れないし、その中で毎日に窮屈さを感じる人もさらに増えていくだろうな…。

 

もっとハイテクに、もっとフレキシブルに、思い思いのアバターで「もう一つの現実」を生きていけるようになれば、そんな世界はこれからの時代では重宝されそうな気がするよ。

 

別にそういうものに強い期待をしている訳ではないけど「メタ繋がり」ってことで妙にFacebook社、否、Meta社の肩を持っている感じになってしまった。メタ友~。

 

 

2.ブロガーって、ある意味メタい

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「メタい」って何よ・・・?

 

メタ友?・Meta社の話はほどほどにして、私の中のホットな「メタ」の話をしていこうと思う。

 

見出しにもある通り、わたしは前から強く思っていることがあるんですよ。それが何かっていうと、ブロガーってブログやってない頃の自分と比べたら、メタ認知能力が高まっていると思うんだよね。

 

ブログ、とひと言で言っても色んなジャンルのブログがある。でもどんなブロガーでも、自分の日常、思考、知識、記憶、そういうあらゆるものを俯瞰的に見ながら文章に落とし込んでる、という点においては共通してる。

 

めっちゃメタ認知してるじゃーん。しかも日常的に。

 

※実際はさ、メタ認知的能力を使って「不得意分野への対処法などを把握する」ことまでできてはじめてメタ認知能力を高めることができてる、というらしいけど…。ま、そういう難しいことは一旦横においとこ。

 

わたしは、はてなブログを始める前の15年間くらいは、オシャレでもなんでもないただの大学ノートに、わわわ〜っとアレやらコレやらを書き殴ってた。そういうことをずっとやってたから体感的にも感じてるんだけど、シンプルに「書く」ってメタれるよなーって。自分の中身も、周りのことも、俯瞰的によく整理出来る。

 

プラットフォームが大学ノートからブログに変わったことで難しさも増えたり、自分の文章の下手さとかそういう残念な面も露呈しちゃったりもしてるけど(しょぼーん)、それって捉え方を変えれば、別角度からメタれてるってことなのかな?そう思うと、これはこれで全然ありなのかも。

 

それにさ、ブロガーさんなら自分の記事を読み返す人も多いと思うんだよね。単純に昔のアルバムを懐かしむ感覚で読み返す人もいれば、リライトするって目的がある人もいたり、人それぞれだと思うけど。

 

今提供されている、はてなブログの特別お題の中でもこんな質問があった。

 

『Q:自分の記事を読み返すことはある?』

 

わたしは大学ノート時代からそうしていたように、ブログもときどき読み返すんだけど、これもいい感じにメタれるなって思ってる。

 

「うわーこの時の自分、残念やなぁ。笑」とか

「で、結局何が言いたかったん、これ」とか

「これは黒歴史やなぁ・・・(苦笑)」とか

 

まぁそういうのが多いんだけど(笑)、稀に良い方のやつもあったりする。読み返すことで頑張ろうって思えたり、ほっこりする時もある。きっとブロガーさんならこんな感覚あり・・・ますよね?

 

こうやって自分が紡いだ文章を読み返すことも、時間差のメタ認知だと思う。

 

つまりさ、

 

世のブロガーさんってみんなメタくて好きだって話です。

 

…メタ友がほしいです(笑)。

 

 

 

3.自己肯定感という言葉にメスを入れたい

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大事なのは「バランス」ですよ

 

メタな話といえばもう一つ。前から思っていることがあって。

 

いつからか「自己肯定感」という言葉を世の中で見かけることが急に増えた。どっかの何かのタイミングで流行ったのかなぁ。

 

自己肯定感って大事だと思う。けどさ、必要以上に煽りすぎてない(笑)?って当時思ってたんだよね。

 

自己肯定感ってのはさ、自己否定感とセットで持たないといけないと思うんですよ。

 

そんでもって、

 

どのタイミングでどっちを発動させるかはメタ認知」でコントロール出来てこそ意味がある。

 

自己否定感って書くと、己の存在を全否定する感も含まれてしまいそうで、それはかなりニュアンスが違うんだけど。もっと部分的に、自分を疑うというか、客観視してみるというか。

 

例えると、自分を「」という容れ物として捉える感じかなぁ。

 

  • 自己肯定感=アクセル
  • 自己否定(懐疑)感=ブレーキ
  • メタ認知=運転手

 

前の記事にも似たようなこと書いた気がするけど、一番だいじなのは「自己肯定感」よりも「バランス」だと思うんですよ。

 

urarie.hatenablog.com

 

不調なとき、進めなくなったときは、アクセルを踏めるように自己肯定感を養うための生活、人付き合いを優先した方がいいだろうし、

 

好調なとき、物事が順調なときは、調子に乗らず、いつでもブレーキを踏めるようにフラットな目で周りと自分を見ておいた方がいい。

 

わたしの乗ってるクルマは、ブランド物でもなければ高性能でもないし、自動アクセル&ブレーキがついてるわけでもない。さらには今どきレンタカーにも標準で付いてくるナビすらも付いてない。

 

快適なドライブライフになるか否かは運転手の力量次第みたいなとこある。

 

 

ついでに、つい数年前から私のクルマにはお客さまが乗ってらっしゃいまして。助手席にちょーんと2歳が座ってるんですよ。

 

この小さなお客さまを教習所にお連れして、自分の小さなクルマを運転できるようになるまで見守りながら、「ハタチ」という場所まで無事に送り届けねばいけませぬ。

 

そうやって彼女を色んな場所に連れて行きつつも、わたしはわたしで行きたい場所に立ち寄りたいし、自分のドライブライフも楽しみたいと思ってる。

 

1台の普通車で2人分のコースを走って行くのは欲張りかもしれないけど、やれるだけやりたいですねぇ(とおいめ…)。

 

その為にも、迷いなき運転手としてメタっていきたい所存です、はい。

 

 

4.【特別お題】この10年で変わったこと

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祝・10周年

 

はてなブログさんが2021年11月7日にサービス開始から10周年を迎えられるそうです。凄い。おめでとうございます(パチパチ!)

 

10周年を記念して10にまつわるお題が出題されてます。

 

『Q.10年で変わったこと・変わらなかったこと?』

 

ここまで書いてきた通り、わたしがこの10年で変わったと思うことは「昔よりは運転手らしくなってきたんじゃないか」という点かな。

 

正直まだまだ自分を客観視しきれてないけど、10年前のじぶんと比べたら幾分かマシになってると思う。さっきも書いたけど、それは はてなブログさんのお陰でもあるんですよ。初心者でも簡単に執筆しやすいブログというプラットフォームを提供してもらえてるんだもん。ありがたい〜。

 

これからも他のブロガーさんをひっそりと応援しつつ(メタ友…)、私自身もブログを続けてメタくなっていきたい。

 

 

 *うらりえ*

 

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

無双することのデメリット&無双しないことのデメリットについて

 

 

1.本日は超ひとりごとです

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ぼーっと過ごして、出来ればひとりごとを「アイデア」にまで昇華したい…

はい、得意の夜中執筆です。我がおなかの上に乗っかって爆睡している2歳(重さ約12kg)をそっと引っぺがしてPC前に来てしまいました(笑)。

 

わたしはですね、頭がフル回転するような出来事が起きると、大体夜中に目が覚めてそこから寝れなくなるんですよねー…。これは苦痛ではなくて「わー考えが止まらないー謎が解けそうー」っていう良い方のギラつき。もはや考えることが趣味の領域なんだろな。

 

ってことで、どうせベッドに横たわっていても寝れないんで、それなら言語化しちゃいたいって感じで のそっと起きて来ました。

 

#思考メモ

#超思考メモ

#このタグの由来は過去記事へ

 

urarie.hatenablog.com

 

書いている途中の他の記事もあるし、ブログ以外にやりたいこととか、やらなきゃいけないこととか色々あるんだけど、夜中にこの状態になった時はこの思考を優先するって決めてるんです、最近は。なんていうんだろうな、睡眠欲に勝つぐらい「だいじなこと」か「印象的なこと」だったりすることがほとんどだから。

 

はい、前置きはこれくらいで。

 

 

 

2.先週気付いた2つのこと

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日常の気付きは大事にしたいですねぇ。

 

先週仕事中にあることがあった。出来事としてはほんの些細なことだったんだけど、ずーっと前から芽が出てきてたアレとかコレとかと、何かパチーーッとハマった。から、こういう状態になっている訳でして。

 

まず結論から。気付いた2つのことっていうのは、

  • もしかしたら自分は周りの人の成長の機会を奪っているかもしれないということ
  • もしかしたら今が、望まれていないけどこちらから働きかける時かもしれないっていうこと

 

まず先週のはなし。

 

過去の記事にも書いたけど、わたしは今のチームでは「改革」を担当させてもらっている。

 

えーっと、確かこれに書いた。

urarie.hatenablog.com

 

「改革担当」みたいな公の役職名とかはないけど、今となってはそれっぽいことはほほ全部 自動的に集まってくるようになった。そういう状況に仕向けたのは自分。

 

  • 自分はやりたい
  • 周りはやりたくない

 

win-winすぎて、なーんの問題もないやん。

 

と思ってたんだけど、

 

果たしてほんとにそうなのか?

 

と、先週の一件で思いました。

 

先週あったことを簡潔に伝えるならば、本来なら私が適任だろうと思われる他部署への報告業務、他の女性(仮称:ドーナツさん、とでもしよう)がしてくれたんですよ。

 

この報告業務の対象となったものが、「改革」の一環として導入されたシステムに関することだったから、そういう意味で適任が私だったんだよね。

 

「スムーズに完了させられる」という意味での適任は私だったけど、「現時点での運用主担当はドーナツさん」という意味ではドーナツさんが対応するという選択でも筋は通ってるし、まぁ、しゃしゃり出る必要はないなと思って、見守ってました。ドーナツさん、わたしの後輩だけど、そもそも年上だしな、というのもあり。

 

その結果、ただ報告するだけで良かったはずなのに、他部署の上位役職者に言いくるめられて、謎に余計な仕事まで押し付けられて帰って来た。

 

いや、なんでやねんw

 

ってうちのチームが全員ズコーッてなりまして(笑)

 

最終的にはうちのチームの上司が「俺の名前を遣って断ってきます」って動いてくれたから、この件は昨日のうちに処理が終わったんだけど(上司の鑑)、この一件は色々考えさせられたね。

 

 

3.気付き1:無双することでまわりの成長を奪っている疑惑

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子供って純粋に“無双”している気がするなぁ

 

無双って書くとなんかゴッツイけど(笑)。シンプルに自分が好きとか得意っていう領域で、楽しくやってたり成果を上げてたり。そういうもうちょっと柔和なイメージです、はい。

 

見出しの気付きがあったものの、結論、わたし自身はそのままでいいと考えている。これまで通り、自分の得意を活かして「改革」を推し進めて、その「改革」の上で詳しくなったこと、繋がった人脈をフルに生かしてチームに貢献するのが、一番全体の利になると思うから。

 

ただ、そうやって無双することで、まわりの誰かの成長の機会を奪っているかもしれない、という意識だけは持っておこうと思った。

 

今回の件でいうと、簡単な作業と侮ることなかれ、報告相手が曲者であることを鑑みると、交渉力とか胆力(度胸)とか、あと人脈形成が出来るとか、得られるものも色々あったわけですよ。

 

こういう類の「成長」がドーナツさんに必要かどうかを判断するのは上司。上司が「もっとドーナツさんにこういうことを任せていこう」と言うなら、わたしは喜んでサポートする。それも将来的には全体の利になるし、そもそも上司のチーム運営のやり方に、基本的にわたしは全幅の信頼をおいているから。

 

もしくはドーナツさん本人がこの類の課題を自ら望むなら、その場合も私は喜んでサポートする。チャンスが巡ってきたらジャンジャン渡すよ。能動的に何をやりたいと言っている人は個人的に応援したいし。

 

でも現時点では、上司もドーナツさんもそういうアクションはない訳だから、ステイでよいと考えている次第。

 

誰かに遠慮したり、気を遣ったりすることなく、のびのび楽しい~!!って無双している状態って、能力もアイデアも全解放されててめっちゃ健康的だと思うんだよね。

 

実際わたし自身、改革に関してはチーム内への遠慮とか変な気遣いなく好きな様に動きまくってるから、楽しいし、成果もあがりやすい。

 

個人的に思う究極の理想論だけど、仕事のチームとか友人間とか家庭内でも、自分が苦手なことはそれが得意な人にぜーんぶ任せて、全員がじぶんのポジションで無双状態になれたらめっちゃ楽しいし強いよなーとか思う訳ですよ。

 

この辺の話と若干かぶる。

urarie.hatenablog.com

 

だから今後も、そういうあんまりプラスにならない方のブレーキ(変な遠慮、行き過ぎた配慮)は持たなくていいんじゃないかな、と思ってる。

 

一旦今回の件に関しては『ステイ(現状維持)』でいくけど、自分の得意分野で無双することで誰かの成長の機会を奪っているかもしれない、という意識だけは持っておいた方がよさそうだな、というのが1つ目の気付き。

 

 

 

4.気付き2:望まれていなくても働きかけるべき時がある疑惑

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はたらきかける…?

 

これは「疑惑」ってか「確信」に近いけど、ありますよね、きっと、こういう時って。

 

今回の件でいうと、ドーナツさんの本音にふれるなら今かも??とかって個人的に迷ってるんですよ。

 

んー、色々はしょって端的にまとめるとですね、

 

現時点では職場でドーナツさんの本心を理解している人は誰一人としていない

 

と、わたしは感じてる。この読みはそこそこ外してない自信がなんとなくある。そんでもってこの状態って、うちの会社的にも、あとわたし個人的にもあんまりよくない状態だと思ってる。ドーナツさん自身がどう思ってるのかは知らないけど。

 

うちの会社はさ、謎の遠慮を捨てて、個性ぶちかましてる人が無双できる環境なんですよ(必要な配慮とマナーがない人には厳しいけどね)。自分から発信したもの勝ち、上司の力は遣うが正解、短所を改善するよりも長所伸ばしてこうぜ〜的な。

 

そういう社風が好きで入社して、今尚身をおき続けてる私個人としても、この考え方には賛成派。

 

だからドーナツさんみたいな自ら本心を発しない系の『ことなかれ主義の人』って、サポートしづらい部分は正直ある、会社の毛色的にも、わたし的にも。「自分から発信する」っていうのに重きを置いてる人が多いから。

 

話は少し変わるけど。

 

日々ブログで自分のことを棚卸ししている内に、やっと言語化できた「なりたい像」みたいなのがあるんですが。

 

あ、ここに書いてる。

urarie.hatenablog.com

 

  • いろんな選択肢を提示できる大人でありたい
  • 基本的には相手の意志を尊重したい
  • でも必要な時は流れに逆らってでも引っ張ってあげたい

 

でもこれって、明らかに歳の離れた後輩とか、子供とか、どうやっても自分が下から見上げられる立場であるときに限っての「なりたい像」なんだよね。

 

同年代とか、ましてや年上に対しては「私なんぞが何おこがましいこと言ってんねん」となるので、対象外なんですよ。わたしから働きかける対象の外。

 

だけどそれは「興味の外」、アウトオブ眼中(←なんか懐かしい響き笑)って訳ではない。興味はあるし、見てる。けど、積極的に働きかけはしないってだけ。

 

年上の人に至っては人生の先輩でもあるし、自分の軸みたいなもんはご自分の中で確立されているだろうし。

 

で、例のドーナツさんは、私のこの理屈でいうと「対象外」の人だったわけですよ。見習うべき年上らしさみたいなのも持っている人だし(ドーナツさんはわたしの後輩だけど年上なんです)

 

でもなんか昨日のドーナツさんを見てて感じたことがひとつある。

 

この人は『ことなかれ主義』を本心からやりたくてやってるんじゃなくて過去の環境のせいで)それが染みついちゃってるんかもしれない、という仮説が自分の中で急速に大きくなってます。

 

もしこの仮説が正しいなら、彼女がじぶんの本心を出せない・出さないことは『我慢』てことになるし、知らず知らずの内に『無双ライフ』から遠ざかっていってることになる。

 

これはマイナスにもなんないけど、プラスもない。

 

ことなかれ主義の人って、大体このプラマイゼロの状態を自ら好んでやってる。ほんとに自ら望んでやってるんだったら、好きにしたらいい。

 

でもそうじゃない説が出てるからちょっと迷ってる。見出しにもある通り、まさに今が「望まれてもないけど働きかける時」なのかなぁ?なんて。

 

やー、別にまぁいっか?

んー、でも物理的に距離いちばん近いん私やしなぁ、どうしよかなぁー。

 

ドライ君とウェットちゃんがせめぎ合ってます。笑

urarie.hatenablog.com

 

 

見事に超〜ひとりごとですが、おしまい。笑

 

 

*うらりえ*